東京競馬場は左回りの競馬場であるが、かつては右回りの周回設定も存在していたこともあり、1984年ごろまで右回りでのレースが行われることもあった。なお現在の天皇賞(秋)などの芝2000mのスタート直後のカーブが右回り用の3コーナーにあたり、そこから2000mのポケットに向かう部分が4コーナーとなっていた。そして右回り用のゴール版は残り200mのハロン棒に設置されていた。
また障害コースは襷コースも以前は存在していたこともあり、逆回り→順周りの走路でのレースもあった。
東京競馬場の第3コーナーの内側にある大木、通称「大ケヤキ」(大欅)。正面映像からコースを隠すようにあるその大木は東京競馬場ができる前から存在しており、その根元には府中の当地を開拓した井田摂津守是政とその子孫の墓がある。当初の計画では東京競馬場の設立とともに撤去される予定であった大木と墓は、墓守一族の懸命な抵抗や、その霊験に応えるかのように大木の撤去に関わる人物への不幸により、何度も撤去の話が立ち上がっても、現在もなお同地に存在する。
大ケヤキの前後はレースの局面が大きく変わるターニングポイントである。そのためかこの大ケヤキの前後では様々な事件が生まれている。1971年の第19回日経賞での落馬事故により騎手生命を断たれたスイノオーザ騎乗の丸目敏栄騎手と予後不良となったハクエイホウ、1998年の第118回天皇賞(秋)での故障により予後不良となったサイレンススズカが記憶に新しい。これらの事件は、一部の者からは大ケヤキの呪いだのと戯言を言うものもいるとかいないとか。
なお、「大ケヤキ」と呼ばれているが、いくつかの木の集合体であり、現在の筆頭木はケヤキではなくエノキ(榎)である。数十年前まではケヤキが筆頭木であったが、いつの日か雷で焼け落ち、その後の筆頭木が今の「大ケヤキ」であるエノキである。そんなことを知ってか知らぬか、代々の関係者は、昔の呼び名のママ「大ケヤキ」と呼び続けている。
↓ 競馬の祭典「日本ダービー」 2013年。 ↓ 世界の強豪が集う「ジャパンカップ」 1998年。
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最終更新:2024/05/05(日) 23:00
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