照らされる神戸港周辺の夜景 |
1868年1月1日(慶応3年12月7日)に開港した。東西に伸びる湾口に沿って走る六甲山系の美しい景観を持つ日本を代表する国際貿易港である。
地理的条件にも恵まれており、「天然の良港」と称される。西は高取、鉄拐、鉢伏山に、北は六甲山脈に囲まれ、しかも和田岬によって西方よりの波浪を防いでいる。港内の水深は近代的大型船舶の泊地として最適であり、海底土質も船舶の投錨、浮標の設置に好適であると評される。また、港に沿って走る六甲山系により強風にも耐性がある。潮が満ちたときの水面差も少なく、潮の流れも安定している。
港湾法23条2号に定められている特定重要港湾に政令によって指定されており、大阪港と共に阪神港としてスーパー州通湾口にも指定されている。
神戸港の歴史は務古水門として現れた3世紀ごろまでさかのぼることができる。奈良時代には摂播五泊に一つとして大僧正行基によって築かれ大輪田泊といわれた。大輪田泊は現在の神戸港西部の一部に相当する。古くから海運上の重要拠点とされ続け、日米修好通商条約では条約港に設定される。
大阪の外港として断続的に補充・発展され、屈指の設備を持つ港湾に成長した。また、阪神工業地帯の輸出港として、一時期、コンテナ輸出量世界一になるなど世界屈指の港湾としても知られる。
神戸市の特徴であるポートアイランドなどのウォーターフロント開発によってさらに港湾区域を拡大している。それに伴う商業開発などで、元来からのハイカラな雰囲気とあわせてエキゾティックな町並みを得ており、観光地として非常に人気がある。また、神戸港自体も旅客港として人気があり、現在の日本三大旅客港の一つに数えられる。
大東亜戦争中/太平洋戦争では戦略的要港として機能。多くの船舶が停泊し、同盟国のドイツやイタリアから来た封鎖突破船の受け入れ港となっていた他、ドイツ海軍潜水艦U-183、U-510、U-532、イタリア海軍潜水艦コマンダンテ・カッペリーニなどが遠路はるばる来訪した事もあった。ゆえにアメリカ軍から執拗に狙われ、度重なる機雷封鎖や空襲に見舞われている。それでも戦争末期まで比較的使用出来ていたが、1945年5月3日の機雷投下で使用不能にされ、造船能力や荷役能力の低下を招いた。この時に投下された機雷は戦後になっても発見され続けており、2006年になってようやくほぼ掃海完了となった。
2007年(平成19年)の神戸港における年間の港勢は以下の通りである。
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最終更新:2025/12/22(月) 02:00
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