1 ななしのよっしん
2012/09/08(土) 14:09:06 ID: 46kZGUqOoT
名士・連合の上に成り立つの中でも有貴族のこの人が、段の大敗以降に後の不満をんで北伐反対に回ったのだとしたらそれは当然だし納得
けどが隴西に拠点作らないよう北伐繰り返したのは諸葛亮だし、
世代が変わってもの脅威は変わらないから、姜維の判断は間違ってないよね
ドラマ三国志の新しい方では50年先の滅亡を防ぐために戦う諸葛亮と、
今のの人々の暮らしを守るために北伐の邪魔をする李厳が描かれてた
上記の対立は物語として描かれたものだけど、この対立の構図は段以降の姜維たち北伐継続VS諸葛瞻たち反対にそのまま当てはまる気がする
👍
高評価
0
👎
低評価
0
2 ななしのよっしん
2012/10/23(火) 23:04:25 ID: kclUw7dXdE
大した功績はい(親の七光り)が絵は上図。黄皓にはるけど忠臣。戦は上手くないけど最期は壮絶。
正直評価に困る人だ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
3 ななしのよっしん
2012/11/04(日) 04:01:56 ID: Crh6H1q0FQ
基本的に余りヤル気が感じられない人に思える。良くも悪くも
👍
高評価
0
👎
低評価
0
4 ななしのよっしん
2013/04/25(木) 13:00:17 ID: ROQ62m8qsx
姜維ですら勝てない戦錬磨の鄧艾相手に、野戦をした事を考えると軍才かったんだろうね
強行軍で碌な装備がかったはずだからに篭ってれば防げたはず、そこら辺の教育はどうしてたんだろう
👍
高評価
0
👎
低評価
0
5 ななしのよっしん
2013/04/27(土) 03:54:17 ID: FmF7Z07O7A
そうは言っても将兵ともども実戦経験がい上に正規兵じゃないような連中すら混じってる軍じゃ篭戦すら上手く出来たかどうかって疑問もあるけどね。
諸葛亮の子とは言え、実戦は素人であることに違いはいし、いつ援軍が到着するか解らない上に負けたら後がいというプレッシャーの中でその素人以下の連中を揮して待ち続けるのは難しかったのかも知れない。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
6 ななしのよっしん
2013/05/02(木) 07:33:37 ID: Crh6H1q0FQ
>>4
この時代、教育ごとにやるしかなく、それにはがかかる
孔明財産残さない人だったし、なにより諸葛瞻が幼少のころ死んだから、
父親陶」という意味での教育はほぼなかったんだろう

悪人ではない
だが同じ偉大なを持つ司馬兄弟陸抗、いや庸な官吏・将軍辺りとべても明らか
戦時において、国家の危急において、こういう人物が揮をとる事が如何に悲劇かを教えてくれる
👍
高評価
0
👎
低評価
0
7 ななしのよっしん
2013/08/05(月) 13:44:00 ID: 46kZGUqOoT
おそらく軍事とはほとんど縁の人だったと思われる
最高権者の一人に名を連ねた頃は北伐がしばらく止まってたし
文官のエリートコースから外された宗預羅憲軍事の実務経験を積んで名将に成長したが、諸葛瞻の場合は出世が順調すぎた上に北伐反対者だったから軍事経験の機会そのものがかったんだろう

いっそ成都から出ずに引き篭っていればよかったかもしれないが、同僚の董厥は出してるし、諸葛亮息子としては国難に際して出撃しない訳にはいかなかったのかもしれない
そこが司馬炎に高く評価されてるし(評価されてるのは忠義だけだが)
👍
高評価
0
👎
低評価
0
8 ななしのよっしん
2013/08/05(月) 21:51:27 ID: P+DTBuTYtU
 後漢の士大夫観のを強く受けてるこの時代は、「士大夫なら軍を率いるぐらいの賤業はできて当然」みたいな感覚だから、高官の息子とかが純エリートコースを進むと、結構な確率軍事に縁がないまま軍隊を率いる立場になるのよね。

 費イみたいにうまくいくケースもあるけど、馬謖諸葛瞻のように当然のごとく失敗したケースの方が多いし、しかも後者の方はことごとく致命傷という悲劇。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
9 ななしのよっしん
2013/09/19(木) 21:19:46 ID: 1y+fiRFLTY
なんか従兄弟諸葛恪とは良くも悪くも正反対の評価されてるような気がする。
諸葛恪は幼いころから俊才だったが性格がいい加減で傲慢だし
👍
高評価
0
👎
低評価
0
10 ななしのよっしん
2013/12/26(木) 21:05:48 ID: ROQ62m8qsx
まあ総大将には格が必要な訳で、の大半が出て行ってる状態だと軍を率いる位を持ってるのが彼だけだったのかもな
もちろん頼りになる他の武将もいないんだよな、それ考えると最初から軍事で結果出してる親父は凄いわ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
11 ななしのよっしん
2014/02/13(木) 17:07:06 ID: umRpyoEAvs
>>4
少なくとも馬バクが降するまではまともに装備がなかっただろうが、
初っ端の相手である馬バクが降しちまったからなぁ
した以上鄧艾あそこで補給を受けた可性は高いし装備がないと言い切れるかは微妙だ、
というか馬バクはなんであの状況で降したんだか
👍
高評価
0
👎
低評価
0
12 ななしのよっしん
2014/02/23(日) 20:51:59 ID: ROQ62m8qsx
>>11
ある程度は補給出来たと思うけど、なんせ辺だから一軍を賄うだけはかったと思う
したのは碌に軍が居なかったせいかと、こんな所に回すだけの兵ないだろうし
👍
高評価
0
👎
低評価
0
13 ななしのよっしん
2014/08/30(土) 11:59:05 ID: 9I3Uxuj86/
素人考えで聞いてみるけど、にこもったらごと無視されない?
劉禅が降する気まんまんだから辿り着けばいいとかそんなので
👍
高評価
0
👎
低評価
0
14 ななしのよっしん
2014/09/05(金) 23:38:59 ID: glH+sV0MQC
無視して通ると後方を遮断されることを警するだろう
する気満々とか、そこまで掴まれてるならもうその時点では負けてるw
👍
高評価
0
👎
低評価
0
15 ななしのよっしん
2014/09/06(土) 05:12:01 ID: 75vTCuRwDz
する際は外部に遊軍を置くのが普通だろうね。牽制はもちろん糧や退路の遮断が出来る可性もある
脅威にならないほどの兵数しか置けないとか遊軍ごと包囲されるほどの兵差があるとどうしようもないだろうけど
👍
高評価
0
👎
低評価
0
16 ななしのよっしん
2014/10/12(日) 20:34:17 ID: BjtFKSo/aP
と言うか籠ってのは味方の後詰・援軍か敵の時間切れを待つか、どちらかが期待できる時にしかやらん。やっても全く意味が
籠るだけ籠っておきながら援軍も待たず敵の兵糧切れも待たずに突撃するとか、「忠義を貫いて死にました」って美徳?を残す以外に何の意味も
👍
高評価
0
👎
低評価
0
17 ななしのよっしん
2014/10/13(月) 03:11:37 ID: 75vTCuRwDz
「…後世のご苦労なしの文人や理論が、暖衣飽食しながら是々非々論じたところで、
それはことばの遊戯以外の何ものでもないのである。」 吉川英治先生三国志より
諸葛亮に対して色々とあった批判に対しての吉川先生の私心だがピッタリな言葉ではある
断定イクナイ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
18 ななしのよっしん
2015/01/22(木) 01:03:26 ID: SNKpLaAOQu
>>17
吉川もそんなこと書いてるのかよ…
自分を引き合いに出すなら別だが
基本、歴史上の人物を評するに、自身の遇を鑑みる必要は全くない

人物論議を遊戯と言い切るなら、極端な話
偉大な歴史たちの記した列伝もただの遊びだ

で、この人だが親父の面を汚さない節度、忠義はあったが
それ以外は特に…といった感じ
なんだか曲者に担がれそうなお人好しのイメージはある
👍
高評価
0
👎
低評価
0
19 ななしのよっしん
2015/01/22(木) 01:23:03 ID: eL2fmb5loh
>>18
まあ、まだ若いというか血気を抑えることが出来なかったのかもね。
血縁も、位も投降しても何らかの讒訴で死ぬと思い込むには充分に高かったろうし。
劉備辺りなら投降して隙を伺いつつ身一つで再起を計りそうなものだけど。この辺りは守るべき領地や名やらがあった分、身動きが取れなかったのだろうね。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
20 ななしのよっしん
2015/02/08(日) 10:53:24 ID: 6H7B666yQC
三国志では諸葛瑾の子で孔明の養子ということになってる
👍
高評価
0
👎
低評価
0
21 ななしのよっしん
2015/02/14(土) 03:02:00 ID: DxQSX+QbtZ
基本的に中を抑えていれば安泰というのがウリだからね
都にいる士大夫は軍務と縁だし、地位はいけど軍才はあるなら前線へ行く
ゲームで言ったら敵の領地に接してないから軍は置かないみたいな土地だし
弱くても仕方ないという気がする
👍
高評価
0
👎
低評価
0
22 ななしのよっしん
2015/04/08(水) 03:42:29 ID: 75vTCuRwDz
>>18
吉川三国志青空文庫に全巻並んでるから最終巻の余録の部分を読んでみるといいかも
そういう意味で皮っている言葉ではないよ

ちなみに当の諸葛瞻の人物のこともちょっと触れられてたりする
👍
高評価
0
👎
低評価
0
23 ななしのよっしん
2015/07/15(水) 16:57:17 ID: JyjeEzEsaP
>>4
地形とか季節とか士気とか工作とか糧食・装備とかその辺もするから
野戦やっただけで才ないってのはどうかなあ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
24 ななしのよっしん
2015/07/27(月) 22:45:15 ID: n92IsA8RCz
綿を守りきらなかったことより、崇の嘆願すらつっぱねて陰から回していた鄧艾を捕捉しなかったことが大問題なのでは…
所詮はただの結果論だけど、どうせ々しく散るなら山越えして弱ってる鄧艾いた方が良いだろ!と思わざるを得ない
まぁ鄧艾の軍が実は大した数じゃなかった&疲れ切ってるってことが分からなかった時点でな話か…
👍
高評価
0
👎
低評価
0
25 ななしのよっしん
2015/10/31(土) 11:08:04 ID: N8vaq8Hzqa
綿が防衛に適していないのは劉備が易々ととった時点で明らかだしなぁ。守るならより引いた雒県でという気はする。
というか孫述の時もうそうだったけど、って涪を乗り越えられると案外脆い気がする。内地の兵や防衛を重視しないからだろうか
👍
高評価
0
👎
低評価
0
26 ななしのよっしん
2017/05/22(月) 20:54:27 ID: Vgfax0gWqr
>>18
2年も前のレスにいうのもなんだけどある程度は自分の遇も鑑みろって思う時もあるけどね
別に歴史上の人物に限った話でもなく事実情報を理解したり分析するのにはそれ相応の知識が必要なのは言うまでもない
それがない人間の評価なんて薄っぺらくてそこが浅いものばかりだし
遇だってそう。実際戦争を行った人間の気持ちや心情はちみたいな現代人より昔の戦国時代人間の方が価値観とかも近かったしよっぽどわかっただろう
👍
高評価
0
👎
低評価
0
27 ななしのよっしん
2017/07/01(土) 11:50:52 ID: n92IsA8RCz
姜維閣での本隊足止めしてるんだから首都から出撃命受けた諸葛瞻の役割が別動隊の迎撃なのは明らかなのに、涪と綿を行ったり来たりした挙句首都防衛ラインを突破されてるからね
しかもも止めなかったわけじゃなく、崇が敵が地に入ってくる前に全線の要を押さえろと提言してるのに無視してるし…
そりゃ無能扱いする人がいても不思議じゃないよ

忠義と才イコールで結ばれないというだけの話だと思うけどね
👍
高評価
0
👎
低評価
0
28 ななしのよっしん
2017/08/03(木) 21:39:07 ID: cLjQ6qzOGe
実は黄夫人開発したアンドロイドだった説
👍
高評価
0
👎
低評価
0
29 ななしのよっしん
2017/08/05(土) 01:31:34 ID: s6zTjwaO/v
昔、新人物往来社の本の記事で
糜夫人(第二夫人)の子って説を読んだことが有る。
諸説あるんやね
👍
高評価
0
👎
低評価
0
30 ななしのよっしん
2017/08/05(土) 10:52:22 ID: s6zTjwaO/v
29ですが、追記します。
記事には出典が記されていなかったので偽は全くの不明です。
『諸説有り』という事で勘弁して下さい。
👍
高評価
0
👎
低評価
0