ご冥福をお祈りします[ごめいふくをおいのりします]とは、仏教などで用いられる、死者を弔う意味の文言である。
概要
字義通りに捉えれば「死後の幸福があるように」、より仏教的に言うなら「冥土の旅を終えて良い世界に転生できるように」という願いを込められた言葉であると言える。
誰かが死んだときに「自分の礼儀正しさを誇示するために、便利かつ無難に使える紋切り型の表現」として広まっているが、一般に「仏教由来の用語」と認識されているため、キリスト教などの他宗教を信仰する当事者に向けては、安易に使わないほうがよい(≒死者および、葬儀などの当事者となる家族・親族の信仰・教義を、仔細に記憶・記録する習慣のある者は「内心の自由」もあるため、そうは多くないはずである)。
この言葉は本来(かなり昔であるが)、仏教用語ではない。原理的には「死後の運命はすでに決まっている」ことであり「死んではもはや左右されない」ためである。言葉自体は仏教伝来以前から存在するものであり、儒教・道教・土着信仰的な理念と仏教が融合し、今日に至ったと思われる。このため浄土真宗では、この言葉を「非仏教的で故人を侮辱するもの」として忌避する(「浄土真宗の弔辞の例文」参照)。また、キリスト教やイスラム教でも宗派によるが、まあ上述の浄土真宗と近い感じの解釈であるようである。
現代日本では、宗教的な意味合いも薄れ「単なる弔辞の言葉」として捧げられることが多い。しかし、気にする人も少なくはないので、浄土真宗や仏教以外の宗教を信仰する当事者に対する場合、あるいは当事者の信仰・教義(宗教)が分からない場合は「謹んで哀悼の意を表します」や「お悔やみ申し上げます」と言い換えたほうが、なおのこと「無難」である。
上述を反映しているのが、NHKのニュース等各種報道番組である。著名人の訃報を伝える際は、たいていの場合、出生・略歴・挙績(・家族構成)・死因および死去した日時を淡々と伝え、終了する。比較的長時間のニュース番組である「ニュースウォッチ9」の当該内容で余裕時分が発生したとしても、キャスターが(個人としての)思い出や印象、人物像を口にすることはあっても、この文言を口にすることはほぼない。
その真逆を行くのが「報道ステーション」の古舘伊知郎、であった。彼なりに訃報を伝える際の最後のフレーズとして、紋切り型にまず間違いなく用い…ていたのであるが、2013年11月8日に島倉千代子の訃報を当該番組で報じることになった際に…、使わなかった。彼がこの記事を見ているのか、はたまた他方面から指摘なり助言でもあって使わなくなったのか、の真相は、定かではない。大元はテレビ朝日という私企業が発しているものとはいえ、公共の電波に乗せ、広く視聴者のいるテレビ番組内でのこと、それこそ内心の自由であるので、ひとまずここでこれ以上は追及しないでおく。
ニコニコでは
亡くなった作者、声優、俳優、歌手などの方々が動画内で出てくると見かける発言である。
しかし、実際にそのコメントを残す場所が追悼動画などであればともかく、ほんの少し出てきた瞬間に「ご冥福をお祈りします」。といったコメントを残す者もいる。
…、ちょっと待って欲しい。
「関係ない動画に『ご冥福~』のコメントを残して、亡くなった本人は喜ぶだろうか?」「『ご冥福』の弾幕で、本来の動画が荒れてまで弔いをしてほしいだろうか?」「果たして、本当に見たい動画、見たいコメントの中に『ご冥福~』と書かれていたらどう思うだろうか?」「このご冥福のコメントを、そういう意向で作られた動画でもない場所で発言されたら、他の視聴者はどう思うだろうか?」
決して「冥福を願うコメント」自体を「悪」とするわけではないが、書こうとしている人は、今一度落ち着いて考えたうえ、発言をする「考慮」も必要である。
関連項目
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