概要
日本国有鉄道時代に三度登場したが、どれも短命に終わっている列車名であるのが特徴である。
東海道特急へいわ
最初のへいわは戦後初の特急列車として終戦から4年後の1949年9月15日に東京駅と大阪駅を結ぶ特急として誕生した。当時は急行列車が全国で運行されていた訳でもなかったので特急列車の運行は時期尚早等と言われたが、それでも国鉄はへいわを運行させることとなった。戦前の超特急燕は両駅間を8時間で結んでおり特急富士・櫻も8時間半で運行していた中でへいわは9時間で両駅を結ぶ事となった。
それでもへいわは復興の役に立ってはいたものの、戦前に運行されていた超特急燕の名称復活を望む声が多かった為、翌年の元日より特急つばめにとして運行されるようになったのでへいわは一回目の廃止を迎えている。ちなみに列車番号は11・12であり1・2は鹿児島駅方面の列車(後の急行霧島)に与えられていたが、つばめに改称と同時に列車番号も1・2に変更されている。
運行期間は3ヶ月強。
夜行特急平和
次のへいわは漢字書きで平和と名乗っていた。1958年当時の東京~九州の寝台特急はあさかぜ・さちかぜの2往復が運行されていたが、両列車の名称が紛らわしいという事で鹿児島駅発着のはやぶさが新設された際に後発のさちかぜの名称が平和と改称されたのである。同時に東京駅の発車時間が12時50分から9時30分に、長崎駅の発車時間が15時から11時10分に変更されたので、さちかぜ時代に行われていた肥前大浦駅に上りのみ停車するといった事態は解消されている。
ところが平和に改称された時にあさかぜに投入された20系客車が平和にも投入されるのを機に、戦前運行されていた櫻の名称復活という事で長崎駅発着の寝台特急をさくらと改称する事となったので平和は二度目の廃止を迎えている。
運行期間は9ヶ月強。
山陽特急へいわ
最後のへいわはサンロクトオのダイヤ改正で昼行特急の少なかった山陽本線広島駅以東に設定されたものである。列車番号の5・6は京都駅と長崎駅・宮崎駅を結んだ特急かもめが1・2、大阪駅と博多駅を結んだ特急みどりが3・4を使用していたのでそれに続く番号であった。
同ダイヤ改正で誕生したみどりのように予備車確保の為に運休といった処置はなされていなかった。しかし山陽本線の電化が広島駅まで到達した1962年6月に東京駅と大阪駅を結んでいた東海道本線電車特急つばめ2往復の内1往復が広島駅まで運行区間が延長された事から、へいわは三度目の廃止を迎えた。
運行期間は8ヶ月強。
廃止直前の運行形態
停車駅
| 駅名 | 大 阪 駅 |
三 ノ 宮 駅 |
姫 路 駅 |
岡 山 駅 |
福 山 駅 |
尾 道 駅 |
三 原 駅 |
広 島 駅 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 下りへいわ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
| 上りへいわ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
その他
定期列車としては上記の通り1962年に廃止されたへいわであったが、1983年に東京~大阪間のリバイバルトレインとして2日間だけ復活した事がある。ちなみに、この時は寝台特急時代の平和のヘッドマークが使われていた。
列車名の由来
年表
東海道特急へいわ
1949年9月 東京~大阪間に戦後初の特急であるへいわが設定される。
停車駅は東京 - 横浜 - 沼津 - 静岡 - 浜松 - 名古屋 - 米原 - 京都 - 大阪
夜行特急平和
1958年10月 東京~長崎間の寝台特急さちかぜを平和に改称。
改称時の停車駅は東京 - 横浜 - 静岡 - 名古屋 - 京都 - 大阪 - 神戸 - 姫路 - 岡山 - 糸崎 - 徳山 - 西宇部 - 下関 - 門司 - 博多 - 佐賀 - 諫早 - 長崎
山陽特急へいわ
1961年10月 大阪~広島間に特急へいわが設定される。
停車駅は大阪 - 三ノ宮 - 姫路 - 岡山 - 福山 - 尾道 - 三原 - 広島
1962年6月 東京~大阪間の特急つばめの運行区間を東京~広島間とした事からへいわ廃止。
関連動画
外部リンク
関連項目
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