プレナパテスとは、以下の2通りの意味がある単語である。
- ギリシア語のうち、新約聖書が流通していたコイネー頃にあった、英語で言うところの「soul-deceiver」、「self-deceiving」に相当するとされる単語
ただし、実はカタカナ表記するときは長母音を慣例的に無視するなどの、まどろっこしい慣習を取っ払って厳密にカタカナ表記すると、プフレナパテースというのが実は近かったりする - 上記にちなんだ、スマートフォン用ゲーム「ブルーアーカイブ -Blue Archive-」に登場するキャラクター
1の概要
プレナパテスというこの絶妙に書き損じやすい単語は、ギリシア文字ではφρεναπάτης (phrenapatés)と書く。なお、φは元々は帯気音だったため、pとfの中間みたいな音(ざっくりいうと口をすぼめてプと言おうとした瞬間一気に息を出してやや破裂気味に言う)となるので、プレナパテスともフレナパテスともどちらでも書ける。
また、最後の母音も短母音のεではなく、長母音のηなので、実はネイティブ的には(?)プレナパテスと発音することは全くなかったりする。
ちなみに、余談だが、現代ではφは完全にfになり、ηもiに近い短母音になってしまったため、現代のギリシア人にプレナパテスと言っても当然伝わらない(現代語は最後のςも落ちてしまったので、後述の通りフレナパティが近い)。
意味は、古典ギリシア語の代表的な辞書である『リデル=スコット』によると「soul-deceiver」、つまり「魂を欺くもの」。また、『ジェームズ・ストロングのコンコルダンス』によると「self-deceiving」、つまり「自己欺瞞」や「欺瞞的なもの」。
ちなみに、ジェームズ・ストロングや、ジョセフ・ヘンリー・セイヤーの編纂した聖書ギリシア語の辞書によると、心臓や精神、意志や目的を意味する「φρήν」と、欺き、詐欺、欺瞞などを意味する「ἀπάτη」という2つの名詞の合成語らしい。
コンコルダンスが存在することからもわかる通り、聖書には、「テトスへの手紙」1章10節に登場する単語である(新約聖書なので、七十人訳聖書ほど古くからあるわけではないが)。
Εἰσὶν γὰρ πολλοὶ [καὶ] ἀνυπακτοι,, ματαιολόγοι καὶ φρεναπαι, μιστα οἱ ἐκ τῆς περιτομῆς,
また、「ガラテヤの信徒への手紙」6章3節では転じて動詞的に使われている。
εἰ γὰρ δοκεῖ τις εἶναί τι μηδὲν ὤν, φρεναπατᾷ ἑαυτν.
実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。
※それぞれギリシア語部分がネストレ・アーラント第28版、日本語部分が聖書協会共同訳
しかし、紀元1世紀~2世紀頃にはまれとはいえ使われる単語ではあったようで、聖書以外の用例もちらほら見つかったりする。例えば2世紀ごろの文法学者、アレキサンドリアのアポロニウス・デュスコロスの文法書にこの語が出てくる。
他にも近代にイオーアンネース・ウェスリー・パウエルの編纂した『Collectanea Alexandrina』に収録された古代の断片的な文書のうち、詩「Lyrica Adespota」の中の「Παρακλαυσιθυρον(パラクラウシトゥロンと呼ばれる、直訳すると「ドアの横の嘆き」という意味の、恋愛詩の一ジャンル)」の18行目に「ο φρεναπάτης(おお、人を惑わすものよ)」と使われている。
また、現代ギリシア語にも「φρεναπάτη(フレナパティ)」としてきっちり生き残っており、意味もおおよそ「心を惑わすもの」、「幻覚」とそこまで乖離していないが、正直日常会話ではまず使わない文語である。
この用例として、100年くらい前のものだが以下が挙げられる。
2の概要
このゲームの黒幕の一つである無名の司祭たちに担ぎ上げられている、「色彩の嚮導者」と称されし、色彩の玉座に据えられた唯一の偶像ともいうべき存在であり、さながらナザレで生まれゴルゴタで処された彼の人のような、デスマスクを被り棺に納められた預言者のような姿をしている。先生の持っているものとは微妙に異なるシッテムの箱を有している。
最終編「あまねく奇跡の始発点」前半では
早い話、「なにかあった未来の先生」、というか「なにかあった別の世界線の先生のなれの果て」。傍らには「なにかあった別の世界線のアロナ」を従え、「シロコ*テラー」こと「なにかあった別の世界線の砂狼シロコ」と共闘している。
ただし、「シロコ*テラー」によると既に彼女に殺された故人らしく、プレナパテス自身は言ってしまえばもはや粛々とかつて先生だったかのように「大人のカード」を使ってシロコに湯水のように課金して援護するただの傀儡ともいうべき存在らしい。
ちなみにこの戦闘はホドのように状態異常でCCゲージをためてプレナパテスのスキル発動を妨害できるため、特に春日ツバキがもっぱら使われたことから、先生も相変わらずだななどと言われるなどしていた。
最終編「あまねく奇跡の始発点」後半では
実は既に虚ろな死人であるというのは事実ではあったものの、その真実の物語はどうしようもなく哀しいものであった。
このプレナパテスとなった先生のいた世界では、アビドス高等学校の面々がシロコ以外全員死に、この先生まで意識不明の重体に陥ったという、対策委員会編の考えられる限り最悪のバッドエンドルートになっていた。そんな中、色彩と接触し神「アヌビス」として覚醒し、世界の破壊者となったシロコを救うために先生は奇跡的に意識を取り戻し、彼女の心を取り戻させつつも、彼女に代わり色彩の玉座に据えられる嚮導者になったのである。
そして、「無名の司祭」の傀儡となった先生であったが、彼は大人としての責任を果たすべく、あらゆる代償を払いつつも、きっとある人物なら生徒たちを救ってくれると信じてその時を待った。そう、別の世界線にいる、奇跡をもたらせた別の自分にである。
かくして、絶望的な状況に追い込まれつつも、自身の見込み通り、別の世界線にいたもう一人の自分はきちんとその責務を果たすことができた。こうして、自分の世界のシロコとアロナを救いながらも、こちらの先生はプレナパテスとして消えていった。
関連項目
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