- プロ野球選手一覧 > 中谷仁
中谷仁(なかたに じん)とは、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス、読売ジャイアンツに所属した元プロ野球選手(捕手)。現在は智辯学園和歌山高校野球部の監督をつとめる。
概要
OB | |
---|---|
中谷仁 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 和歌山県 |
生年月日 | 1979年5月5日 |
身長 体重 |
183cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1997年 |
引退 | 2012年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
智辯和歌山高校3年次の1997年、主将として夏の甲子園優勝。その年のドラフト1位で阪神タイガースに入団。同期には井川慶や坪井智哉など。
キャッチングやリードが評価され大いに期待されていたが、1999年に同僚の中込伸が投げた携帯電話が左目を直撃し、視力が大幅低下。選手生命の危機にさらされるも、なんとか克服する。
阪神時代は結局そのまま目立った活躍ができないまま、2005年オフに東北楽天ゴールデンイーグルスへ金銭トレードで移籍する。
移籍後も、2008年の終盤になるまでルーキー嶋基宏の抜擢などで出場機会に恵まれず、活躍できず終いであった。しかし、一軍候補の若手捕手が次々と脱落して行く中で一軍登録されたチャンスを生かし、再評価を受けることとなる。
本人曰く「バッティングはうまくない」とのことで、野村監督も「監督として見てきた中で一番最悪のバッター」と酷評している。その中ででも抜擢されている理由として、ベテランらしいピッチャーリードとフィールディングが挙げられる。
2009年9月26日の西武戦では埼玉西武ライオンズの岸孝之投手から7番フェルナンド・セギノール、8番トッド・リンデン、9番中谷仁の球団初となる3者連続ホームランを記録するも、野村監督は「中谷は打たないと思っていたから横を向いていた」とコメントした。
2009年10月3日、本拠地クリネックススタジアム宮城で行われた埼玉西武ライオンズ戦に勝利し、クライマックスシリーズが決定した際には先発(完投)した青山浩二とスタメン野手9名の全10名がヒーローインタビューとして呼ばれたが、中谷仁は先発野手の中で唯一ノーヒットであった。
楽天イーグルスチャンネルによるヒーローインタビュー動画(前後編)のタグに各選手の名前が張られていたが、動画が公開された時点でニコニコ大百科に記事が無かったのは中谷だけであった。
2011年5月18日の巨人戦では2年ぶりにホームランを放ったが、11試合に出場して打率は.091と結果を残せず、11月11日に戦力外通告を受けた。その後、読売ジャイアンツに拾われ入団。背番号は58だったが、背番号44に変更となった。
巨人移籍後は、正捕手に阿部慎之助、二番手に實松一成がいるため、ぶっちゃけ一軍にいても出場機会はほとんど無い状態であるが、ベンチでの精力的な声出しやイニング間の投手のキャッチボールを積極的に買って出るなど、サブプレイヤーとして、またムードメーカーとしてチームに貢献した。
2012年10月4日、現役引退を表明。その後、巨人のブルペン捕手になった。ブルペン捕手を一年つとめた後に社会人野球での復帰を目標に巨人を退団。この退団後、阪神から職員としての復帰の打診があったが固辞したとの報道がある。
学生野球資格回復の適性が認定され、2017年より母校・智辯和歌山の硬式野球部選任コーチに就任。この年、チームは夏の甲子園への出場を決め、中谷も(智辯和歌山で)21年ぶりに甲子園への凱旋となった。翌年2018年も智辯和歌山は選抜準優勝、夏の甲子園出場と好成績を挙げ、夏の甲子園終了後、智辯和歌山を長年率いてきた名将・高嶋仁が勇退し名誉監督に就任したため、その跡を引き継いで野球部監督に就任した。
関連動画
関連項目
- 1
- 0pt