概要
中国の唐から伝来したものがはじまりとされ、一般的に竹の7つの節を含み長さが一尺八寸(約54cm)であることがその名の由来とされている(ただ、六寸管など、一尺八寸でないものも存在する)。
尺八の形態は、真竹の根元を使用して、前に4孔、後ろに1孔の5孔を開け、上部に音を出すためのエッジに角などの硬い素材が埋め込まれたものが今の主流である。原理は南米ペルー・ボリビアの伝統楽器ケーナやフルートとなどと同じくエアリード楽器。
たとえるならば、「リコーダーの前の穴が二つ減って、上部パーツにある切れ目から上をスパッと切った」という感じ。
基本的に竹で作られるイメージではあるが現在では木やプラスチックで製造されたもの、ジョイントしてコンパクトに持ち運びできるものもあり、八寸以下や三尺あるものあり節の数などによっても価格帯は様々である。
特徴
リコーダーなどの歌口にはブロックがついており、息さえ入れれば誰でもとりあえずの音は出る。一方、尺八やフルートなどは、エッジがむき出しになっており、奏者が自分で口形(アンブシュア)を作らなければならない。その為にリコーダーやオカリナのように息を吹きかけても初心者はまず音は出ない。しかしながら、少ない穴数でも音色や音域などの幅を広げることが出来、表現力豊かな演奏が可能である。
歴史
前述の通り、尺八は唐から日本に伝わったが、日本では雅楽の楽器として用いられた。
雅楽が衰退してからは尺八も演奏されなくなっていたが、鎌倉時代に、尺八の前身である「一節切」という縦笛が登場し、武家社会で流行したが、江戸時代前期には一節切も廃れてしまった。
江戸時代には、普化宗の虚無僧が行脚の際に吹く法器として定められ、虚無僧以外が尺八を吹くことは禁じられた。ただ、実際には隠れて尺八を吹いていた一般人もいたようである。なお、江戸時代中期に、尺八の一流派を築いた黒沢琴古が登場した(後述)。
明治時代になると、政府によって普化宗が解体されたため、虚無僧以外の一般人も尺八を吹くようになった。明治時代以降は都山流などの新流派が登場したり、新しい曲が作られたりもした。
流派
無数の流派
江戸時代には全国に普化宗の寺があり、それぞれの寺に尺八の楽曲が伝えられており、虚無僧たちはそれを吹いていた。これを「本曲」「古典本曲」などという。
多くの寺に伝わる本曲もあれば、一部の寺でのみ演奏される本曲もあったし、同じ曲名の本曲でも、寺によって微妙に内容が違ったりした。寺ごとに楽曲も内容もばらばらであり、寺の数だけ流派が存在するという状態であった。
琴古流
この状態の中、初代黒沢琴古(1710~1771)という人物が、琴古流という流派を立ち上げた。彼は各地の寺に伝わる本曲を調べ、整理し、36曲を琴古流本曲として定めた。
従来存在した各寺の流派が消滅したわけではないが、これによって、現在では琴古流は都山流と並んで尺八の有力流派の一つとなっている。
都山流
明治時代になると、初代中尾都山(1876~1956)という人物が、都山流を立ち上げた。彼は自らの作曲した曲を都山流本曲として定めたが、これは従来の本曲と違い、宗教的様式を持たないものである。
都山流は宮城道雄と提携して、宮城の作曲の尺八譜の公刊を独占したり、流派を合理的かつ組織的に運営したことから、琴古流と並ぶ有力流派となった。
その他
- 時代劇などでおなじみなように虚無僧が尺八を持ち托鉢に赴く。
- フェラチオの隠語として使われることもある。(即尺など)これは尺八を男性器に見立て吹く姿から転じたものだが一尺八寸ある男性器はそうそうお目にかからない。そして尺八は口で咥えても音はまず出ないので注意されたい。
- 漫画などでは、時に武器として使われることがあり、なかには奇怪な飛び道具(尺八ボウガンなど)にする輩も存在する。
関連動画
尺八メインの動画は余りないが、三味線や箏との合奏の形式では良く演奏される。
誰でも知っている尺八ありの曲といえばお正月のこれ。宮城道雄の作品である(実際に演奏に用いるのは一尺六寸管)。
関連商品
これは木製のものだが、木製は比較的音が出しやすく取り扱いも容易であるため、これから始めたいという方にはお勧めである。
プラ管もあるよ!
関連コミュニティ
関連項目
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