- プロ野球選手一覧 > 岡村浩二
岡村浩二(おかむら こうじ)とは、元プロ野球選手である。故人。
概要
| OB | |
|---|---|
| 岡村浩二 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 香川県丸亀市 |
| 生年月日 | 1940年11月10日 |
| 没年月日 | 2023年1月29日 |
| 身長 体重 |
175cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 捕手 |
| プロ入り | 1961年 |
| 引退 | 1974年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1940年11月10日生まれ。香川県丸亀市出身。生まれは日本統治下時代の中華民国天津市だが、6歳頃に丸亀市に引き揚げている。そのため出身地も丸亀市と登録されている。
高松商業高等学校に進学。捕手として活躍し、2度甲子園大会に出場。3年春の県大会では板東英二擁する徳島商業相手に延長25回を戦い、岡村のタイムリーヒットで勝利している。
卒業後、立教大学へ進学。ここでも捕手として活躍し、2年時(1961年)に大学を中退し、阪急ブレーブスへ入団。
初年度の1961年、ルーキーながら出場機会を得て打率.182と打撃面では課題が残ったが90試合に出場。
3年目の1963年、レギュラーに定着し136試合に出場。規定打席にも初めて到達し、課題であった打撃面でも打率.236、8本塁打、34打点という成績を残した。
1964年には148試合に出場、オールスターゲームにも初出場を果たした。
1967年、初の二桁本塁打となる11本塁打を放ち、阪急球団初優勝に大きく貢献。
1969年には打率.262、15本塁打、61打点とキャリアハイの成績を残し、阪急の3連覇の立役者となった他、野村克也を押しのけて初めてベストナインにも選出された。ただ、日本シリーズではホームクロスプレーの判定をめぐり激昂、審判を殴打し日本シリーズ初の退場処分を下された選手となってしまった。
1972年、種茂雅之・大橋穣とのトレードで阪本敏三らとともに東映フライヤーズへ移籍。東映では2番手捕手としてプレーし、1973年には高橋直樹とバッテリーを組みノーヒットノーラン達成へ導いている。ただ、腰痛に悩まされ徐々に出場機会が減少。1974年限りで現役を引退。
引退後は香川県に戻り、飲食店の経営など実業家といて活動していたようである。
人物・エピソード
強気なリードと肩の強さ、ブロックの巧みさを武器にホームを守った司令塔。パンチ力のある打撃も特徴であった。
ライバルであった野村克也の名前を本人の了承を得て、息子(次男)に命名している。
歌が上手く、現役時代にレコードをリリースしている。歌い方や声質は仲の良かったフランク永井に似ていると評されていた。
通算成績
打撃成績
| 通算:14年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1370 | 4209 | 3793 | 275 | 848 | 85 | 395 | 14 | 57 | 28 | 279 | 52 | 628 | 122 | .224 | .284 |
獲得タイトル
関連動画
関連項目
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