ノーヒットノーランとは、野球・ソフトボールにおいて、投手が相手打線にヒットを許すことなく完封勝利すること。
※BUMP OF CHICKENの楽曲については必要なら誰か暇な人が書いてください。
概要
完全試合との違いは、ヒット以外の走者(四球や失策など)を許したか否かによる。1人の走者も出さないノーヒットノーランが完全試合であるため、ノーヒットノーランを数える際には完全試合も数に含まれる。
よく勘違いされるが、「ノーラン」の「ラン」は得点のことで、ホームランのことではないし、ノーラン・ライアンのことでもない。ノーヒットに抑えたが失点した場合は「ノーヒットありラン」とも呼ばれる。「ノーヒットノーラン」は和製英語で、日本語で言うと「無安打無得点試合」。「ノーノー」と略されることが多い。英語では「no-hitter」と呼ばれ、日本でもメディアなどで「ノーヒッター」という用語が使われることがある。なお、メジャーリーグの「no-hitter」には「ノーヒットありラン」も含まれ、チームが敗戦した場合でも公式記録にカウントされる。ただし「9回裏が行われなかった試合」、すなわちノーヒットありラン状態が8回裏までしか達成されずに負けた試合では記録にカウントされない。
なお、達成には試合の勝利が条件となるため、たとえ9回までノーヒットに抑えても、味方が無得点であればノーヒットノーラン達成とはならないまま延長戦となり、10回以降に安打を打たれた場合は記録は消滅、最後まで無安打に抑えてもそのまま引き分けになった場合は参考記録となる。またコールドゲームで9回より早く試合が終わった場合も参考記録である。これは完全試合も同様。
日本プロ野球ではこれまでに達成者は88人、計100回(+ポストシーズンでの1人1回)達成されている。うち16回が完全試合である。詳細な一覧はWikipediaのノーヒットノーラン達成者一覧の項や、NPB公式サイト
を参照。直近では、石川柊太が2023年8月18日の埼玉西武ライオンズ戦で、山本由伸が2023年9月9日の千葉ロッテマリーンズ戦でそれぞれ達成している。ポストシーズンでの達成は2018年の菅野智之が今のところ史上唯一。
なお日本ではノーヒットノーランおよび完全試合は選手個人の記録として扱われるため、継投でのノーヒットノーラン・完全試合は参考記録である(過去に継投でのノーノーは5回、継投での完全試合は1回記録されている)。それに対し、MLBではノーヒットノーラン・完全試合はチームの記録として扱うため、継投でも正式に記録としてカウントされる。
2ちゃんねるの実況板などでは、先発投手が相手打線をノーヒットに抑えた状態である程度イニングが進むと、「○○のノーノー(完全試合)を見守るスレ」という縁起スレが立つのが半ばお約束となっている。だいたいはスレが立つとすぐに途切れるため、相手チームのファンがそれを願って立てていることも多いとかなんとか。
大百科に記事のある達成者(達成順・太字は完全試合)
NPB
- 沢村栄治 (巨人・1936年9月25日) - 日本プロ野球史上初
- 沢村栄治【2回目】 (巨人・1937年5月1日)
- ヴィクトル・スタルヒン (巨人・1937年7月3日)
- 中尾碩志 (巨人・1939年11月3日)
- 沢村栄治【3回目】 (巨人・1940年7月6日)
- 亀田忠(黒鷲・1940年3月18日)
- 亀田忠【2回目】(黒鷲・1941年4月14日)
- 中尾碩志【2回目】 (巨人・1941年7月16日)
- 西沢道夫 (中日・1942年7月18日)
- 藤本英雄 (巨人・1943年5月22日)
- 別所昭 (巨人・1943年5月26日)
- 石丸進一 (名古屋軍・1943年10月12日)
- 呉昌征 (巨人・1946年6月16日) - 初の野手登録の選手による達成、戦後初のノーヒットノーラン。
- 梶岡忠義(大阪・1948年8月24日)
- 真田重男 (大陽・1948年9月6日) - 史上初の無四死球(1失策)による準完全試合、1リーグ時代最後の達成
- 藤本英雄【2回目】 (巨人・1950年6月28日) - 日本プロ野球史上初の完全試合
- 金田正一 (国鉄・1951年9月5日) - NPB史上最年少記録(18歳35日)、昭和生まれ初
- 林義一(大映・1952年4月27日)
- 真田重蔵【2回目】 (阪神・1952年5月7日) - 史上初の複数球団でノーヒットノーランを達成。
- 大友工 (巨人・1952年7月26日) - ノーヒットノーラン達成試合の最多得点(17得点)。
- 杉下茂 (中日・1955年5月10日)
- 金田正一【2回目】 (国鉄・1957年8月21日)
- 大矢根博臣 (中日・1957年10月12日)
- ジーン・バッキー (阪神・1965年6月28日)
- 外木場義郎 (広島・1965年10月2日) - 初勝利がノーヒットノーラン
- 清俊彦 (西鉄・1966年6月12日)
- 若生忠男 (西鉄・1967年9月17日)
- 堀内恒夫 (巨人・1967年10月10日) - 3打席連続ホームランも同時達成
- 城之内邦雄 (巨人・1968年5月16日)
- 鈴木啓示 (近鉄・1968年8月8日)
- 外木場義郎【2回目】 (広島・1968年9月14日)
- 成田文男 (ロッテ・1969年8月16日)
- 渡辺秀武 (巨人・1970年5月18日)
- 鈴木啓示【2回目】 (近鉄・1971年9月9日)
- 外木場義郎【3回目】 (広島・1972年4月29日)
- 高橋直樹 (日本ハム・1973年6月16日)
- 江夏豊 (阪神・1973年8月30日 - 延長11回、自分のサヨナラホームランで勝利
- 加藤初 (巨人・1976年4月18日)
- 今井雄太郎 (阪急・1978年8月31日)
- 郭泰源 (西武・1985年6月4日)
- 田中幸雄(投手) (日本ハム・1985年6月9日)
- 柴田保光(日本ハム・1990年4月25日) - 平成初のノーヒットノーラン
- 湯舟敏郎 (阪神・1992年6月14日)
- 槙原寛己 (巨人・1994年5月18日) - 平成時代唯一の完全試合
- 西崎幸広 (日本ハム・1995年7月5日)
- 佐藤義則 (オリックス・1995年8月26日)
- 渡辺久信 (西武・1996年6月11日)
- 石井一久 (ヤクルト・1997年9月12日)
- 川尻哲郎 (阪神・1998年5月26日 )
- 佐々岡真司 (広島・1999年5月8日)
- 川上憲伸 (中日・2002年8月1日)
- 井川慶 (阪神・2004年10月4日)
- 山本昌 (中日・2006年9月16日) - NPB史上最年長記録(41歳1ヶ月)、捕手の谷繁元信(35歳8ヶ月)との合計年齢(76歳9ヶ月)も最年長記録。許したランナーはエラーのランナーのみの準完全試合
- 前田健太 (広島・2012年4月6日)
- 杉内俊哉 (巨人・2012年5月30日) - 9回2アウトまで26人で抑える準完全試合
- 西勇輝 (オリックス・2012年10月8日) - 平成生まれ初。1四球のみの準完全試合
- 山井大介 (中日・2013年6月28日)
- 岸孝之 (西武・2014年5月2日)
- 山口俊 (巨人・2018年7月27日) - 7回先頭までパーフェクト。出したランナーも完全試合が途切れた四球の走者1人のみの準完全試合
- 菅野智之 (巨人・2018年10月14日) - 史上初のポストシーズン(クライマックスシリーズ)での達成
- 千賀滉大 (ソフトバンク・2019年9月6日) - 育成出身初
- 大野雄大 (中日・2019年9月14日) - 同月の達成は34年ぶり
- 小川泰弘 (ヤクルト・2020年8月15日)
- 佐々木朗希(ロッテ・2022年4月10日) - 完全試合ではNPB史上最年少(20歳5ヶ月)、捕手の松川虎生(18歳5ヶ月)との合計年齢(38歳10ヶ月)も史上最年少、DH有りの試合では平成以降初の完全試合。NPB新記録となる13者連続奪三振,NPB最多タイ記録となる1試合19奪三振も同時達成
- 東浜巨 (ソフトバンク・2022年5月11日)
- 今永昇太 (DeNA・2022年6月7日) - 1四球のみの準完全試合、札幌ドーム初
- 山本由伸 (オリックス・2022年6月18日) - 同月の達成は3年ぶり、1四球のみの準完全試合、1シーズンで4人の達成は79年ぶり(2リーグ制初)
- コディ・ポンセ (日本ハム・2022年8月27日) - 1シーズンで5人の達成は82年ぶりの最多タイ記録
- 石川柊太(ソフトバンク・2023年8月18日) - 育成選手2人目
- 山本由伸【2回目】(オリックス・2023年9月9日) - 同一選手による複数回の達成は51年ぶり、2年連続の達成は86年ぶり(2リーグ制初)、日本プロ野球史上100回目
MLB
- ベーブ・ルース / アーニー・ショア (レッドソックス・1917年6月23日) - 史上初の継投でのノーヒットノーラン[1]
- ノーラン・ライアン (エンゼルス・1973年5月15日)
- ノーラン・ライアン【2回目】 (エンゼルス・1973年7月15日)
- ノーラン・ライアン【3回目】 (エンゼルス・1974年9月28日)
- ノーラン・ライアン【4回目】 (エンゼルス・1975年6月1日)
- ノーラン・ライアン【5回目】 (アストロズ・1981年9月26日)
- ランディ・ジョンソン (マリナーズ・1990年6月2日)
- ノーラン・ライアン【6回目】 (レンジャーズ・1990年6月11日)
- ノーラン・ライアン【7回目】 (レンジャーズ・1991年5月1日)
- 野茂英雄 (ドジャース・1996年9月17日) - 日本人選手初
- 野茂英雄【2回目】 (レッドソックス・2001年4月4日)
- ランディ・ジョンソン【2回目】 (ダイヤモンドバックス・2004年5月18日)
- マーク・バーリー (ホワイトソックス・2007年4月18日)
- ジャスティン・バーランダー (タイガース・2007年6月12日)
- マーク・バーリー【2回目】 (ホワイトソックス・2009年7月23日)
- ジャスティン・バーランダー【2回目】 (タイガース・2011年5月7日)
- ヨハン・サンタナ (メッツ・2012年6月1日)
- フェリックス・ヘルナンデス (マリナーズ・2012年8月15日)
- ティム・リンスカム (ジャイアンツ・2013年7月13日)
- クレイトン・カーショウ (ドジャース・2014年6月18日)
- マックス・シャーザー (ナショナルズ・2015年6月20日)
- 岩隈久志 (マリナーズ・2015年8月12日)
- ジェイク・アリエータ (カブス・2015年8月30日)
- マックス・シャーザー【2回目】 (ナショナルズ・2015年10月3日)
- ジェイク・アリエータ【2回目】 (カブス・2016年4月21日)
- ジャスティン・バーランダー【3回目】 (アストロズ・2019年9月1日)
- コーリー・クルーバー(ヤンキース・2021年5月19日)
関連エピソード
記録集
- 初勝利がノーヒットノーラン
外木場義郎と近藤真市の二人が達成。近藤は初登板初勝利でノーノーを達成した(が、故障に悩まされて通算わずか12勝で引退している)。 - 最多奪三振と最少奪三振
佐々木朗希の19奪三振が最多記録(完全試合達成)。完全試合ではないノーヒットノーランでは外木場義郎の2度目のノーノーの16奪三振が最多記録。逆に最少記録は大脇照夫のゼロ。 - 最多打者と最少打者
完全試合ではないノーヒットノーランかつ対戦打者27人に抑えた試合は、1971年8月19日の藤本和宏が最初で、これまで計3回達成されている。逆に対戦打者が最も多かったのは中尾輝三の35人(与四死球10)。 - 延長戦でノーヒットノーラン
9回終了時までノーヒットノーランで抑えながらも、味方の援護がなく延長に突入した試合は15回ある(2022年6月時点)。うち、ノーヒットノーランを達成したのは江夏豊が1973年8月30日に記録した1回だけ。江夏は延長11回までノーヒットノーランを続け、その裏自身のソロホームランでサヨナラ勝ち、記録を達成している。
ちなみに、先発投手が延長戦までノーヒットノーランを続けたうえで、継投でノーヒットノーランを達成した試合が1回ある(後述)。 - 野手がノーヒットノーラン
戦後まもない選手不足の時代は、投手と野手を兼任する選手も多かったが、強肩の外野手として名高い呉昌征(大阪)もその一人だった。そして1946年6月16日にノーヒットノーランを達成している。(ちなみにこの年、規定投球回達成の上、本業の打者としても規定打席を達成して.291の打率を残している) - ノーヒット負け、ノーヒットながら引き分け
1939年5月6日、南海軍(現ソフトバンク)の対阪急3回戦。南海は2投手の継投で阪急をノーヒットに抑えたが、四球で出たランナーを犠飛やエラーで返されて、1-2で敗戦した。それから72年後、ソフトバンクはノーヒットに抑えながら引き分けた(後述)。
人物
- 村山実
ノーヒットノーランを達成したことはないが、ルーキーイヤーの1959年に巨人戦にて9回を無安打に抑えながらエラー絡みで2失点を喫しながらも勝利。所謂「ノーヒットありラン」という珍記録を作っている。 - 小山正明
1956年大洋戦では1回無死から先頭の沖山光利にヒットを打たれた後に残りの27人をノーヒットに抑え完封勝利。 オリオンズに移籍した65年の阪急戦では無安打のままで迎えた9回2死からウインディにヒットを浴び、ノ―ヒットノーランを逃している。またこの2試合を含め1安打完封勝利を5度達成している。 - 西口文也
完全試合を延長で逃したことが有名だが、それ以前にも2度ノーヒットノーランを寸前で逃している。誰かがノーヒットノーランを寸前で逃したり達成したりする度に西口の名が出るのはこのため。 - 八木智哉 / 武田久 / MICHEAL (日本ハム)
2006年4月15日の日本ハム対ソフトバンク戦で継投での延長12回ノーヒットノーランを記録。八木は10回無安打のまま武田に交代している。 - 山井大介 / 岩瀬仁紀 (中日)
2007年、中日対日本ハムの日本シリーズ第5戦で登板し、ノーヒットノーランどころか完全試合達成前だったが、9回で岩瀬と交代。岩瀬は三者凡退で締め、中日の日本一と同時に継投での完全試合を記録。
なお前述の通り、山井はその後2013年にノーヒットノーランを達成した。 - 多田野数人 / 大松尚逸
2009年7月10日の日本ハム対ロッテ戦で多田野は9回二死まで無安打投球だったが、大松にヒットを打たれ記録を逃した。大松はなんJなどで空気の読めないキャラ扱いされることがあるが、これもそのエピソードのひとつである。なお、達成していれば札幌ドーム初だったが、前述通り2022年に今永が達成した。 - 金子千尋
2014年5月31日のオリックス対巨人戦で9回までノーヒットに抑えたが援護がなく、9回裏に代打を送られたが無得点に終わりそこで降板、達成を逃した。なお試合は、11回に佐藤達也がヒットを打たれて継投でのノーヒットノーランを逃し、12回に馬原孝浩が二死無走者から亀井善行に先制ソロ本塁打を打たれてオリックスが敗れた。 - 則本昂大 / 西勇輝 / 牧田和久 / 西野勇士
2014年11月15日の日米野球で、MLB選抜を相手に継投でのノーヒットノーランを達成。 - 山口俊 / スコット・マシソン / アルキメデス・カミネロ (巨人)
2017年6月14日の巨人対ソフトバンク戦で継投でのノーヒットノーランを達成。山口は翌年、単独でノーヒットノーランを達成した。 - カーター・スチュワート・ジュニア / 津森宥紀 / 嘉弥真新也 / 松本裕樹 / 板東湧梧 / 甲斐野央 (ソフトバンク)
2021年8月15日のソフトバンク対日本ハム戦で継投でのノーヒットノーランを達成。しかし味方のソフトバンク打線も日本ハム相手に散発3安打無得点に抑えられ、この年は9回打ち切りということもありノーヒットノーランを達成しながら初の引き分けとなった。
関連動画
関連項目
脚注
- *ルースが先頭打者の四球判定について審判と口論になった末に審判を殴って退場、後を継いだショアが走者の盗塁失敗の後残る26人を無安打無四球無失策で抑えたため、1991年の記録見直しまではショアの完全試合扱い。
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