概要
1986年1月25日生まれ。福島県会津若松市出身。高校時代からインターハイ自転車競技の1kmタイムトライアルで優勝するなど結果を残し、技能免除で日本競輪学校に入学。2005年7月に函館競輪場で90回生としてデビューする。同期にはKEIRINグランプリを2度制した浅井康太や稲川翔、坂本亮馬、松岡貴久、芦澤大輔など競輪界を引っ張る選手が名を連ねている
競輪選手として
自転車競技(後述)と並行しながら競輪でも結果を残し続け、2010年のSSカップみのり(立川競輪場)でGI初優勝を果たす。持ち前のスピードとダッシュを生かして活躍するが、グランプリ出場の条件となる4日間以上開催のGIなど、なかなかタイトルに恵まれなかった。
その後、2014年にはいわゆる「SS11騒動」で一度は日本競輪選手会を脱会し新団体立ち上げメンバーに名を連ねた。のちに撤回したが、騒動を起こした責任として選手会から約8ヶ月の出場自粛処分が言い渡される。その自粛前に行われた共同通信社杯(伊東温泉競輪場)では、開催2日目に伊東温泉のバンクレコードを更新(9.0秒)。その勢いのまま決勝も制しGII初優勝を決めた。
そして迎えた2015年3月の日本選手権競輪(京王閣競輪場)。GP優勝経験者の武田豊樹や金子貴志、平原康多や同期のライバル・浅井康太などタイトルホルダーを抑えて見事優勝を果たし、悲願であったGI初優勝を飾った。この年は9月のオールスター競輪(松戸競輪場)でも初優勝し、GI2勝をマークする。
2016年は高松宮記念杯競輪(名古屋競輪場)を優勝。翌年2017年に高松宮記念杯(岸和田競輪場)を連覇すると、11月の朝日新聞社杯競輪祭(小倉競輪場)ではシリーズ通じて圧巻の走りを見せると、決勝では優勝を目論む強豪相手に軽やかに捲くり切って優勝した。17年は同県でナショナルチームでともに戦った渡邉一成とのコンビが競輪界を席巻した。
その勢いはとどまること知らず、2018年2月の読売新聞社杯全日本選抜競輪(四日市競輪場)で最終バックストレッチ(残り半周)で8番手の位置から異次元のスピードを見せ、優勝を狙った村上義弘・博幸兄弟をゴール前で追い込んで優勝。GI6勝目に加え、早々とKEIRINグランプリ2018(静岡競輪場)の出場権を手に入れた。これで残すGIタイトルは寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメントだけとなり、全GI制覇のグランドスラムに王手をかけた。
自転車競技での活躍
2006年のアジア大会で同じ福島県の渡邉一成、成田和也とチームスプリントに出場し金メダル。このチームスプリント3人は、2008年のトラックワールドカップ第2戦で銀メダル。2010年のアジア大会でも銀メダルを獲得している。同大会は個人でもスプリントで銅メダルを獲得している
2012年のロンドンオリンピックには目標であった代表入りを果たし、チームスプリントで渡邉一成、中川誠一郎(熊本県)ともに8位に入賞した。しかし、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは代表選考から落選した。
2016年には2020年東京オリンピック出場を目指し、浅井康太や深谷知広らと新団体「Dream Seeker」(ドリームシーカー)を結成し代表に就任。国別のナショナルチームとは異なり、企業などの商業スポンサーによって支えられた「トレードチーム」として国際自転車競技連合(UCI)に登録し、ワールドカップや世界選手権などに出場する。
競輪での競走スタイル
自転車競技によって培われたスピードとダッシュ力を生かした逃げ・捲くり中心の自力型。特に捲くりは、そのダッシュを生かして桁違いのスピードを幾度となく見せている。高松宮記念杯を制した2016年ごろから、後方の苦しい位置からでも豪快に捲くり切るレースが目立つようになり、新田の強さの象徴となっている。
反面、位置取りを苦手としているのか最終バックでも後方になる場面が多い。また新田の驚異的なダッシュに同じ北日本のマーク屋ですら新田と離れてしまい、ラインで決まらないレースも目立っている。新田の仕掛けにマークできているのが、新田と同じ自力型でナショナルチームでも戦った渡邉一成ぐらいという状況である。
関連動画
関連項目
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