日本歌謡大賞とは、1970年~1993年に行われていた音楽賞である。
概要
1969年に初めて日本レコード大賞が大晦日のゴールデンタイムでの放送を行った際に高視聴率を獲得し、一躍人気コンテンツとなった。
これを見た在京テレビ局・ラジオ局がレコ大の中継権を持つTBSに「レコ大を毎年在京局で持ち回りする形での放送を行おう」と提案したものの、レコ大をようやく人気コンテンツに育てたのに手放したくないと考えたTBSがこれを拒み破談する。
そこで、TBS以外の在京局が「放送音楽プロデューサー連盟」という組織を結成して対抗する形で始めたのが「日本歌謡大賞」である。
大晦日の12月31日に開催・放送されていたレコ大より早い毎年11月中盤~後半に開催・放送されており、「レコ大前最大の前哨戦」という位置づけの音楽賞であった。
最盛期の1970年代には視聴率40%台を記録する人気コンテンツとして君臨していたものの、平成以降起こった「音楽賞に左右されない音楽活動を行いたい」というアーティストの増加によるノミネート辞退が増え、日本歌謡大賞も大会の継続が困難となり1993年の第24回大会で終了した。
放送形態
第1回大会のテレビ中継は行われず、第2回大会より行われ、テレビ東京→フジテレビ→日本テレビ→テレビ朝日→テレビ東京・・・という順番で放送された。
ラジオ中継は文化放送とニッポン放送の隔年放送。
大会司会は第3回大会まで前田武彦、第4回大会以降は高島忠夫が務めた。
1988年の第19回大会は昭和天皇の容態悪化にともなう自粛により大会が中止され、それまでの歴史を振り返る総集編番組がフジテレビで放送された。この大会中止にともない、翌1989年の第20回大会もフジテレビでのテレビ中継となり、大会唯一の同局連続放送となっている。
日本歌謡大賞と日本レコード大賞の2冠を獲得した曲
- 尾崎紀世彦「また逢う日まで」(1971年、第2回歌謡大賞・第13回レコード大賞)
- 森進一「襟裳岬」(1974年、第5回歌謡大賞・第16回レコード大賞)
- 布施明「シクラメンのかほり」(1975年、第6回歌謡大賞・第17回レコード大賞)
- 都はるみ「北の宿から」(1976年、第7回歌謡大賞・第18回レコード大賞)
- 沢田研二「勝手にしやがれ」(1977年、第8回歌謡大賞・第19回レコード大賞)
- 八代亜紀「雨の慕情」(1980年、第11回歌謡大賞・第22回レコード大賞)
- 寺尾聡「ルビーの指環」(1981年、第12回歌謡大賞・第23回レコード大賞)
- 五木ひろし「長良川艶歌」(1984年、第15回歌謡大賞・第26回レコード大賞)
- 堀内孝雄「恋唄綴り」(1990年、第21回歌謡大賞・第32回レコード大賞歌謡曲・演歌部門大賞)
また、同じ年に歌謡大賞とレコ大を受賞したアーティストであるものの受賞曲が異なるというものもあり、1978年のピンクレディー(第9回歌謡大賞で「サウスポー」・第20回レコード大賞で「UFO」)と1987年の近藤真彦(第18回歌謡大賞で「泣いてみりゃいいじゃん」・第29回レコード大賞で「愚か者」)がこれに該当する。
関連動画
関連項目
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