福留功男(ふくとめ のりお)とは、元 日本テレビ エグゼクティブアナウンサーで、現在はフリーアナウンサー、司会者、タレントである。
概要
1942年高知県香美市生まれ、大阪市天王寺区育ち。当初は医師を目指すものの、大学入試に二度失敗し、3度目で明治大学文学部演劇学科に入学した。
在学中にアルバイトをしていた日本テレビに1966年に入社。当初は報道記者だったものの、1970年にアナウンス部に異動。「まんがジョッキー」という子供向け番組などを担当した。しかし、子供向けのキャラクターになったのを嫌がり降板を申し出たところ、会社命令への背任とみなされ、内勤に回されてしまう。
その後も番組のナレーション程度しか仕事を回されていなかったが、逆にレギュラー番組のなかったことで長期間に及ぶ出張が可能であったことに目をつけられ、1977年に「アメリカ横断ウルトラクイズ」の出題並びに海外レポーターの担当として抜擢された 。この番組で軽妙な進行を務めたことで、番組総合司会である高島忠夫よりも注目されることとなり、一躍人気アナウンサーとなった。
ウルトラクイズの人気が定着した頃、番組の出場資格である「18歳以上」の年齢制限のため参加できない高校生から「ウルトラクイズに参加したい」という要望が多数届いた。そこで福留自らこの声に答えるため、「高校生クイズ(全国高等学校クイズ選手権)」を立案。こちらも人気番組に育て上げ、第10回大会まで総合司会を務めた。
1988年には、徳光和夫の後を継ぐ形で「ズームイン!!朝!」の2代目キャスターに就任。日テレの朝の顔としてズームインを育て上げたのは徳光であるが、それを更に発展し番組史上最高視聴率22.8%を記録したのは福留に司会者が交代してからである。
1991年3月で日本テレビを退社してフリーとして活動を開始(前年にウルトラクイズ、高校生クイズの司会を降板)、 ズームイン!!朝!のほか、10月にはTBSの「ブロードキャスター」の司会に、1993年9月より、元フジテレビアナウンサーの逸見政孝のがん治療による降板(逸見は12月に死去)に伴って「いつみても波瀾万丈」の司会を担当するなど、長年テレビの顔として活躍した。
1998年にズームイン!!朝!を降板、ほかの2番組も2008年で終了し、第一線から離れるようになる。現在はテレビにはゲストとして出演することが多い。
2011年にはニコニコ生放送に、東日本大震災の被災孤児に関する番組を企画し初出演した。翌年にはタイ王国で起きた洪水に関しても番組を企画、出演している。
また、日本テレビ系アニメ『それいけ!アンパンマン』では1996年公開の劇場版『ばいきんまんと3ばいパンチ』で登場したアオキンマン役で声優を務めた。
現場での厳しさ
番組放送中の厳しさは有名である。
特にズームイン!!朝!では、生放送であり、限られた時間内で情報をなるべく出すために1分1秒を争う現場であったため、事前のニュース内容のチェックも厳しく行い、ニュースコーナーにおいては少しの出遅れもあれば、スタッフに殴る蹴るの暴行を行うことも稀ではなかったといわれている。実際の様子をテレビでも放送されたが、公になるためか、いつもよりも穏やかになっているといえる。
このため、業界内でも賛否が別れ、その厳しすぎる姿勢に批判や茶化してネタにされることも多い。
現在では、内容が乏しくなった現状のテレビ業界に苦言を呈している。
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関連項目
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