ズームイン!!朝!とは、1980年代~1990年代に日本テレビ系で放送されていた朝の人気情報番組である。
概要
1979年3月5日に放送開始。この時期になった理由は「改編期だと広報が力を入れてくれない。3月なら広報も暇だから力を入れてくれる」というプロデューサーの思惑によるもの。
また、当時の他局の裏番組と比べて騒々しい演出にわざとしており、これは放送開始当時に他局で6時台に再放送されていたアニメ・特撮番組を見ていた子供達にまず興味を引いてもらうとする狙いもあった。
この番組のために麹町にあった日テレの局舎の道路に面した場所に「マイスタジオ(通称:マイスタ)」を開設。背面をガラス張りにして外の風景を見せた。狭いけれども開放感のあるスタジオはこの番組や日本テレビそのものの名物となり、汐留の現局舎に移転後もマイスタを設置している。
「列島リレー中継」「プロ野球いれコミ情報」「Wickyさんのワンポイント英会話」「朝の詩(ポエム)」「集英社の雑誌です」など番組名物となる名コーナー、生CMなどを数々抱え、司会者がカメラに向かって指を刺す「ズームインポーズ」はこの番組の象徴として親しまれた。ズームインポーズは現在でも「ズームイン!!サタデー」で継承されている。
視聴率は放送開始直後に1~2%台で低迷したが、地方局の参加や人気コーナーの登場、時計代わりに使える構成などが功を奏して徐々に上昇し、1980年代末には民放1位、1990年代中盤にはNHKすらも抜いて、1996年7月には番組最高平均視聴率22.8%(※ゴールデンタイムに換算すると30%前後に相当)という信じられない数字を叩き出し、「日本の朝を代表する番組」としての地位を確固たるものとした。
しかし、裏番組の「めざましテレビ」(フジテレビ)の躍進や「おはよう日本」(NHK)のリニューアル成功で徐々に番組の勢いが落ち、1990年代末になると「めざまし」「おは日」との差が詰まってきた。(それでも平均視聴率は13~15%前後あり、圧倒的に強かった)
そこで、「まだ番組としての余力があるうちに改良したい」という考えから、当時好調だった直前番組の「あさ天5」「ジパングあさ6」を吸収する形でリニューアルし、2001年に「ズームイン!!SUPER」となった。
歴代司会者
全員が「アメリカ横断ウルトラクイズ」「高校生クイズ」で司会者やレポーターも務めている当時の看板アナウンサーである。
また、3人ともこの番組の後に退社して人気フリーアナウンサーになっており、『人気フリーアナウンサーへの道』と言われていた。
有名人の乱入
生放送、しかも比較的開かれた環境で放送されている番組ということもあり、一般の視聴者がカメラに映りに朝から集まってくるので有名な番組であった。
中には有名人が突然乱入するというハプニングも数多かった。
主な例として以下の出来事が挙げられる。
- ビートたけし
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ)の企画で、鞍馬天狗のコスプレをしたたけしが「ワンポイント英会話」に乱入。カメラに見切れまくるたけしにウィッキーさんがインタビューし始めたところで時間が足りなくなり、そのまま「朝の詩」のコーナーが始まってしまった。 - 松本人志(ダウンタウン)
「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ)の罰ゲームで、「夢で逢えたら」(フジテレビ)で演じていた人気キャラクター・ガララニョロロの格好で変な踊りをしながら一般人の前に映って乱入した。当時司会の福留に「朝から変な人が来てますが・・・」と言われている。
現在まで名物企画として続く、罰ゲームの記念すべき第1弾。 - 小渕恵三(当時内閣総理大臣)
- 2000年1月5日の放送中に突然生電話が掛かってきた。(ブッチホン)
関連動画
関連項目
- 日テレ
- ズームイン!!SUPER/ズームイン!!サタデー
- テレビ番組の一覧
- 宮川泰(テーマ曲を作曲)
- 花王(番組内コーナー「朝の詩(ポエム)」の提供スポンサー)
- 集英社(朝7時半前に生コマーシャルを放送。このゾーンは通称「集英社の雑誌です」と呼ばれていた)
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