自己批判とは、マインドコントロールの一種である。
概要
字面から誤解する者が多いが、自省とは全く異なる心理作用を促すものである。
自らの過ちを認め、それを筆なり口なりで(時には繰り返し)他人や公の場に晒させ、当人を自己嫌悪に陥れるとともに自我を萎縮させるものである。「過ち」の真偽は問われないことが多く、無実の罪を着せさせる場合も少なくない。
宗教団体や政治結社など、高度に体系的な閉鎖的コミュニティで用いられることが多い。場合によっては相手を精神錯乱の状態にまで追い込むことができる。
主な自己批判の例
始末書
自身の失敗を文章に起こさせる。人によってはそれだけでかなりの精神的負担になる一方で、メンタルの強い者であっても自省の効果は皆無である。
再教育
問題のある人員を当該組織の活動から外して、面接等により再び活動できるための「教育」を施すというもの。しかし内容的には上司の圧迫等により自身の失敗や欠点を繰り返し晒しあげるようなことを強いられる。
JR各社の日勤教育が有名。これは福知山線脱線事故の遠因のひとつであったと指摘する者もいる。
告解
宗教的活動における懺悔は、その多くは自省を促すためにあるものだが、オーソドックスなキリスト教の告解は、小部屋にて聖職者の面前で、あるいは聖堂にて衆目の前で自身の罪を告白させる。人によっては自尊心をへし折られ、唯一の救いが神に帰依することであると一辺倒に信じ込んでしまう。
キリスト教聖職者による児童への性的虐待の事実が発覚し、アイルランド政府が告解秘密義務を無効とする法案を検討するなど非難の対象になっている。
総括
左翼結社における総括とは、次の行動をよりよいものにするという目的で行われている活動報告であった。しかし連合赤軍においてはそれに「支援としての暴力」が加わり、最終的には「自身を鍛え上げるための(あくまでも援助としての)単なる暴力」へと変質してしまった。
鍛錬と暴力を結び付ける論理は、連合赤軍リーダーの、学生時代に剣道の試合中気絶し、意識が戻った時に別人に生まれ変わった気分になったという経験に起因するといわれている。
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