鉄道唱歌(鐡道唱歌)とは、明治時代に作詞された鉄道に関する唱歌である。全6集374番から成る。
概要
明治時代の流行曲。1900年5月10日の第1集東海道篇を始め全5集が発表され、6年後に第6集に当たる北海道篇40曲が発表された。
第1集東海道篇第1番の出だし、「汽笛一声新橋を、はや我が汽車は離れたり」は有名。
作詞は大和田建樹、作曲は数編に分けて多梅稚(おおのうめわか)・上眞行・田村虎蔵・納所辨次郎・吉田新太が担当している。一人の作詞者に対し沢山の作曲者がいる原因は『読者に好きな方を選んで歌ってもらおう』という大和田建樹の意図であったが、結局これらが作曲で選ばれることはなく、もっぱら第5集の多梅稚作曲のものが歌集などに広く掲載され、歌われている。
ネタ的に書くならば、作曲者を1人に統一しなかった作詞者の自爆である。
鉄道唱歌は当初「地理教育鐵道唱歌」と銘打たれており、歌自体も教育の役に立つよう路線を通じて各地の名所を巡る紀行文の形式をとっている。そのため、北は小樽から南は熊本まで、ふんだんに駅名にまつわる全国津々浦々の名産品や名勝地が歌詞に織り込まれている。
有り体に例えるならば、「桃太郎電鉄を通じて各地の名所や名物を学ぶ」という役割を、この歌が果たしていたといえよう。
また名所・名物の選定はある程度作詞者の意向が込められており、例えば東京の新橋~大森間で4番分を、福岡の太宰府天満宮に至っては大和田自ら「菅公」という曲を発表したためかこれ単独で8番分を割り当てている。
また、1900年といえば明治時代。いわゆる倒幕と明治維新により急速に近代化を果たし、それまで馬車か人力車くらいしかなかった明治日本に大容量の都市交通手段である蒸気機関車がもたらされ、また鉄道を含めた舶来の技術に「富国強兵」への希望を託していた時代でもある。そのため、歌詞中には鉄道を含めた交通の近代化に関する礼讃が散見される。
なお、1番を歌うのに約30秒弱かかるため、全374番の歌詞を歌うと1時間10分以上かかる。
車内放送について
1949年、運輸省管轄だった国鉄が「日本国有鉄道」として発足すると、車内チャイムとしてこの鉄道唱歌を利用した。現在でもJRの一部(古い)優等列車でオルゴール調の鉄道唱歌が使われることもあるが、車両換装の際に別のチャイムに差し替えられることもある。
関連動画
ピコカキコ
発車メロディについて語るスレ>>10 | |
鉄道唱歌について語るスレ>>1 |
関連項目
- 1
- 0pt