1492年(延徳4年/明応元年)
前回の子年 | 前年 | 当年 | 翌年 | 次回の子年 | |
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年 | 1480年 | 1491年 | 1492年 | 1493年 | 1504年 |
干支 | 子 |
亥 |
子 |
丑 |
子 |
1492年の事柄
我が国は戦国時代のはじめにあたり、十代将軍足利義材(義澄)の治世に該当する。疫病の流行を理由に延徳から明応への改元が行われ、その際には足利義材の強い要望があったとされている。
世界史においては以下の出来事が極めて重要であり、世界史を選択すれば必ず覚えることになるであろう年号の一つである。
レコンキスタ完遂
8世紀より続いていたイスラム勢力に対するキリスト教勢力のイベリア半島統一運動、いわゆるレコンキスタは1479年のアラゴン王国とカスティーリャ王国の合同でスペイン王国となったあたりから最終段階へ突入した。イベリア半島南端に存したナスル朝で発生した内乱に乗じて約10年かけて侵攻を続け、1492年1月2日に遂に最後の拠点であるグラナダを陥落させ、レコンキスタを完遂した。
ここに、イベリア半島はスペイン王国とポルトガル王国というキリスト教勢力の下に統一される事になった。統一したスペイン王・フェルディナンド5世は早速ユダヤ教徒への追放令を発布し、現在まで伝わるスペインの異端審問へ連なる歴史がはじまることになる。
コロンブス、西インド諸島を発見
レコンキスタの完遂はスペイン王国に財政の余裕をもたらし、探検家クリストファー・コロンブスへの援助につながった。4月17日にコロンブスに対し発見した土地に関しての統治委任や利益の分配などを取り決めたサンタフェの契約を締結し、8月3日より同じくスペインのパロス港より3隻の船を伴ってコロンブスはインドを目指して出航した。
船員たちの不安や予定以上の日程超過による焦燥と戦いながら、10月11日にコロンブスたちは陸地を発見。彼らはこの島をサンサルバドル島と命名し、新大陸を”発見”したのである。これ以後、ヨーロッパ世界のアメリカ大陸進出が進み、大航海時代が本格化していく。
1492年の出来事
1月2日 | スペインがナスル朝の最後の拠点・グラナダを陥落させる。レコンキスタの完遂 |
4月17日 | コロンブスとスペイン王国の間でサンタ・フェの契約が結ばれる |
8月2日 | コロンブスが西インド諸島を発見。アメリカ大陸探検・進出の開始 |
8月11日 | コンクラーヴェ(教皇選挙)でアレクサンデル6世が教皇に選出される |
8月12日 | 延徳から明応へ改元される(旧暦では7月19日) |
10月12日 | コロンブスが西インド諸島(サンサルバドル)に到達する |
10月28日 | コロンブスがキューバに到達する |
1492年生まれの著名人
4月15日 | 小笠原長棟 | 府中小笠原氏当主 |
9月12日 | ロレンツォ・メディチ(2世) | フィレンツェの僭主。ウルビーノ公 |
以下、日付不明
1492年に亡くなった著名人
4月8日 | ロレンツォ・メディチ |
7月25日 | インノケンティウス8世 |
関連項目
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