nosawa論外とは、東京愚連隊に所属する日本のプロレスラーである。
概要
1995年12月27日にPWCの将軍KYワカマツ戦でデビューした。
目の下に呪術的とも取れる涙柄のペイント、全身にギャングなタトゥー、髪はモヒカンと非常に世紀末な外見をしている。
世界中のマットでの戦っており、それを生かした独自の人脈や企画力がある。
特にメキシコとの関係が深く、70歳を超えたミル・マスカラスとシングルマッチを行い、ドス・カラスとミル・マスカラスという豪華タッグを東京愚連隊のマットに上げるなどしている。
1997年に高木三四郎、MIKAMIらとDDTプロレスリングを旗揚げ、この頃はスペル・カカオ等の名前でリングに上がっていた。
その後メキシコに渡るが帰りの便のお金がなく、MAZADA、TAKEMURAらと共に東京愚連隊を結成し、自力でメキシコマットに定着。この時にリングネームをNOSAWAに変更。
2004年には全世界ジュニアヘビー級王者であったカズ・ハヤシにベルト挑戦を迫るが、「NOSAWA?(挑戦者として)論外だ」と一蹴されるもこれを逆手に取りNOSAWA論外に改名して「挑戦者はNOSAWA論外だと言った」と食い下がり12月5日にベルトに挑戦、王者をあと一歩のところまで追い込むなど接戦を見せ敗北はしたものの、王者に実力を認めさせた。
が、翌年2005年にMAZADAとの「敗者全日本追放マッチ」に敗れて全日本プロレスからの追放が決定してしまう。
2006年には鈴木みのるのセコンドとして度々登場、教わっていない技を繰り出す、練習をサボる等をして鈴木みのるにしばかれる師弟劇場を繰り広げ、鈴木みのるとの深い師弟関係とも絆とも取れる関係を築く。
2011年に泥酔してタクシーの運転手に絡んでタクシーを奪うという不祥事を起こす。
既に無期限出場停止を食らっている全日本プロレスに加えて、新日本プロレスからも同じ処分を食らってしまったが、鈴木みのるの主催イベントでリングに上がり、KIKUZAWA(菊タロー)、高山善廣、鈴木みのるとの泣きながら三連続ケジメマッチを行い、リング上でファンに向かって土下座、鈴木が「カスみたいな男だけど、俺たちの仲間なんだよ。コイツ、プロレス界に戻ってきてもいいか?」とファンに問いかけると客席からは拍手が起こり、温かく復帰を受け入れられた。
翌年の2012年にメキシコから持ち込んだ自画像に大麻が仕込まれるという罠に嵌まり、紫雷イオと共に大麻密輸の冤罪により拘束されるが、20日後に首謀者ののSUGIが名乗り出たため無事無罪放免となる。
この際に多くのレスラーがNOSAWA、イオを擁護し、冤罪が確定した後もそれを報じるメディアの少なさに苦言を呈する者は多くいた。
得意技
関連動画
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会員無料動画にマッスル坂井と行ったくるくるバットデスマッチや、騒音防止デスマッチ等の動画が多くある。
関連項目
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