A-1とは、 |
A-1とは、かつてアメリカ海軍が運用していた艦上攻撃機である。愛称は『スカイレイダー』。
概要
第二次大戦中に開発が開始されたレシプロ機。コンセプトは搭載量・機動力を増加することで可能となる雷撃機・急降下爆撃機の統合で、これは日本でも「流星」が行おうとしていた。
ダグラス社の天才設計者エド・ハイネマンは当時別発注の機体の開発を行っていたが、海軍がアレコレと口を口を出しているため開発が難航しており、このままでは駄っ作機の道まっしぐらであったことを危惧。海軍担当者に開発中止と新規プランの提案を行ったところ、「明日の朝9時に設計図を出せ」という無体な返事。
多分この段階では海軍担当者も「バカなこといいやがって。黙って今の機体の開発でもしてろ」みたいなノリだったはずだが、ハイネマンは一念発起、ホテルにもどって部下二人と共に一晩で(概念)設計図を書き上げて提出することに。
普通ならこれまた駄っ作機になるところのはずが、実はこのプラン、ハイネマンの長年温めていたプランだったのでそんなに外れはなかったらしい。
海軍担当者の次なる指示はこれまた無体なシロモノで、9ヶ月以内で試作機を作れというお達しを下す。で、形になったのが、BT2Dデストロイヤー2、のちのスカイレイダーである(戦後、1946年にAD-1スカイレイダーとして名称が変更された)。
機体の特徴は爆弾や魚雷を機体内に格納するのではなく主翼下のパイロンに吊るすことを選択してシンプルな機体形状の実現+単座にすることでより小型化を達成(と同時に整備性の向上、稼働率向上)。かつ大出力のエンジン搭載により高機動も可能になった。
ちなみに同じコンセプトの「流星」の誉エンジンが1850馬力に対して2800馬力と格段の差があった。搭載量も「流星」が800kgに対してスカイレイダーは3tに達して圧倒的な積載量を誇った。
初飛行は1945年3月。本来ならば日本海軍と戦うための機体だったのだが、結果的には間に合わず朝鮮戦争が初の実戦参加となる。
朝鮮戦争ではダムに対して魚雷攻撃を成功させるなど数々の活躍を見せたものの航空機がジェット時代になるのにあわせて1957年に生産停止(3000機以上が生産)となる。本来ならお役ごめんになるはずが、ベトナム戦争で、その搭載量・機動性で戦闘遭難救援(CSAR)支援などに大活躍し、高機動でMig-17すら撃墜するなどの逸話も残している。
当時の機体としては他に類を見ない兵装搭載量を誇り、「キッチン以外に運べないものは無い」と兵士達の間で評された。それを受け、朝鮮戦争で実際に流し台を主翼下のパイロンに搭載した挙句戦場に投下していたりする。さらにその逸話を受けて、ベトナム戦争では戦場に“信管を取り付けた便器”を投下している。なお、こういった図抜けた兵装搭載能力は後にA-10へと受け継がれた。
現在ではすでに全機退役済み。艦上攻撃機としての役割はA-4、A-6を経てF/A-18Eへと引き継がれている。
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関連項目
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