アリストテレス論理学とは古代ギリシャの哲学者アリストテレスの論理学体系である。
アリストテレスは彼以前の論理学を包括的に整理し、また体系化して彼独自の論理学を打ち立てた。
その理論はプラトンと共に西洋における最初期の論理学体系であるだけでなく現代の形式論理学の教科書としても通用する極めてハイレベルなものである。高校数学で習う逆や否定の概念を考え出したのもこの2400年前のギリシャに生きたアリストテレスなのだ。
18世紀の独哲学者カントは「アリストテレス以来、論理学は進歩も退歩もしなかった」と述べている。アリストテレス論理学の書物は一括して道具(オルガノン)と呼ばれ、それはまさに真理を追求するための道具となった。
アリストテレス論理学は以下の書物群から成り立っている。
アリストテレスは自らの論理学説を概念(語)、命題(判断)、推論(三段論法)そして詭弁推論と議論を複雑化しながら進めている。
まずアリストテレスは概念について考える。アリストテレスはある対象「語られるもの」は「結合によって語られるもの」と「結合なしに語られるもの」に分けられるとした。前者の「結合によって語られるもの」は例えば「人間は歩く」「馬が走る」という組みわせ、つまり文である。後者の「結合なしに語られるもの」は「人間」「歩く」「馬」「走る」といった個々の語句(概念)である。
個々の語句は「同名異義」「同名同義」「派生名」の3種に分けられる。同名意義語句とは、例えば「日」という語は同じ名でも「太陽」と「1日」の二つの意味がある。「同名同義」は名前も意味も一緒の語句であり、「派生名」とはある語句から派生的に生まれたものである。例えば「勇者」という語句は「勇気」という語から生まれている。
「馬」や「人間」「動物」などの個々の概念は類(ゲノス)と種(エイドス)の関係がなりたち、例えば類が「動物」とすると、種には「人間」、「魚」、「馬」などが挙げられる。動物という類は「二足」「四足」「飛べる」などの種差を語る(述語する、カテゴリーする)ことによって種に分割されうる。例えば動物という類を「二足であるく動物」と述語、カテゴリーすることによって人間という種に分割できるだろう。また、それ以上分割されない種を個物と呼ぶ。例えば「ソクラテス」という語句はいかにカテゴリーしようとそれ以上分割されえないので個別である。
上では分類という意味で使ったが正確にはアリストテレス論理学ではカテゴリー(範疇)とは命題における述語を意味している(ギリシャ語でカテゴリオは「述語する」という意味)。アリストテレスは『範疇論』の2〜9章において、命題における述語を形成する動詞、形容詞など文法的に以下の10個を列挙した。
⑴実体(何であるかに応ずるもの to ti esti)
⑵量(いかほどに応ずるもの poson)
⑶質(どのようにに応ずるもの poison)
⑸場所(どこに応ずるもの pou)
⑹時間(いつに応ずるもの pote)
⑺状態<位置>(どう置かれているかに応ずるものkeisthai)
⑻持前<所持>(何を備えているかに応ずるもの echein)
⑼能動(すること poiein)
これらのカテゴリー(範疇)はお互いに還元することができず、述語としては最高の類に当たる。例えば「これは何か?(⑴実体)」という問いに対して「これは3個である(⑵量)」と答えることはできないだろう。
命題は一般に主語と述語から構成され、命題が真であるのは主語と述語が存在において同じ関係に対応することとなる。この関係を実体と付帯性の関係という。
「ソクラテスは教養がある」
という場合ソクラテスが実体で教養が付帯性となり、命題においてはソクラテスが主語、教養が述語となる。付帯性の他にも類(ex,動物)、種(ex,人間)、種差(ex,二足歩行)、特有性などが述語となりうるが、例えば「ソクラテス」という概念は付帯性以外では述語になることができない。アリストテレスはこのような個々の事物を第一実体と呼び、そこに内在する種と類を第二実体と定義した。
アリストテレスは「普遍者としての実体」(ex,類や種)と「実在の実体」(ex,個別)を明確に区別している。プラトンは最高類(普遍、イデア)>類>種>個と価値付けをしたが展開したが、弟子のアリストテレスは類よりも種を語る方が個として豊かな情報を与えてくれるとし、普遍性はむしろ実体を貧しくすると述べた。例えばある対象をみて「動物である」と「二足歩行である」の二つの情報のうち、より対象のことを詳しく教えてくれるのは後者なのである。
『命題論』は原題で『ヘルメネイア』と言い「伝達」を意味している。アリストテレスは伝達に関わりのある問題として、事象と思想と言語(音声)と文章の間で伝達が正しい形で行われるためには文法的に正しい命題を形成する必要があると考えた。
アリストテレスは「文章」と「命題」と明確に区別している。文章は「あなたはギリシャ人ですか?」などの疑問文も存在するが、命題では真と偽を判別するために必ず「ある」か「あらぬ」の形を取っていなければならない。
アリストテレスによれば命題は量、質、様相の三つの観点から区分される。量とはつまり範囲の問題である。それが「すべて」なのか「一部」なのか二種類に分けられる[1]。
全称的(普遍的に述語づけられる命題、すべてのAはBである)
特称的(一部に述語づけられる命題、一部AはBである)
質とは肯定的(〜である)、否定的(〜でない)かの区別であり、量の二種類と肯定否定の二種類を組み合わせると、
全称肯定「すべてのAはBである」(A)
全称否定「すべてのAはBではない」(E)
特称肯定「あるAはBである」(I)
特称否定「あるAはBでない」(O)
の四種類の命題が発見できた。これらの命題はラテン語由来で伝統的に上からA、E、I、Oと呼ばれる。
またアリストテレスはある命題と別の命題が対立する時に矛盾対立と反対対立を厳密に区別した[2]。アリストテレスによれば、一方の命題が真であるなら他方は必ず偽となり、一方が偽から他方が必ず真となる命題対立を矛盾と呼ぶ。例えば、
という命題は矛盾対立になる。片方が真ならもう片方が偽になることが理解できるだろう。
一方で反対対立とは、両方の命題が同時に真であることは不可能だが、同時に偽となることは可能な命題対立である。
同時にAとCが真になることは不可能だが、一部の人間は白く、一部は白くなかった場合は両方が偽になることが理解できる。
量、質につづく3つ目の様相の観点からはアリストテレスは命題をさらに三つに分類している。
実然的(AはBである)
必然的(AはBであらねばならない)
蓋然的(AはBであるかもしれない)
アリストテレス論理学でもっとも有名なのは三段論法と呼ばれる推論である。これはある二つの命題を前提にすることによって新たな一つの命題を導き出す推理法である。
大前提「すべての人間は死ぬ」
結論 「よってソクラテスは死ぬ」
この三段論法には「死ぬ」「人間」「ソクラテス」の三つの名辞が登場するが、注目すべきはこの三つを結びつけているのが「人間」の名辞であることである。この推論における「死ぬ」の箇所を大名辞、人間の位置にくるのを中名辞、ソクラテスの位置にくるのを小名辞と呼ぶが、大名辞をP、中名辞をM、小名辞をSと置き換えると、上の三段論法は次のように表現できる。
推論第一格
(a)大前提 M(中)ーP(大) すべての人間は死ぬ
上の図をみても中名辞が二つの名辞を接着剤のようにくっつけていることがわかるだろう。アリストテレスは三段論法の中心となる中名辞のポジショニング(主語か述語か)によって自らの推論を三つの格で区別した。上の例のように中名辞が大前提で主語になり、小前提で述語になるような推論を推論第一格と呼ぶ。
これに対して、中名辞が大前提と小前提の両方で述語の位置にくる推論は、推論第二格と呼ぶ。例えば、
推論第二格
(a)大前提 P(大)ーM(中) 正しい人は嘘をつかない
(b)小前提 S(小)ーM(中) ある人々は嘘をつく
(c)結論 S(小)ーP(大) よってある人々は正しい人ではない
推論第三格は中名辞が大小前提で主語の位置にくる推論をいう。
推論第三格
以上の三種の命題は先に命題論で示した全称肯定「すべてのAはBである」(A)、全称否定「すべてのAはBではない」(E)、特称肯定「あるAはBである」(I)、特称否定「あるAはBでない」(O)の4種を組み合わせることによって命題のパターンが網羅できることになる。単純計算で4命題の3乗の3格分で192パターンの命題が存在することになるが、実際に命題としてなりたつのは14パターンである[3]。
推論第一格AAA式
推論第一格EAE式
推論第一格AII式
推論第一格EIO式
推論第二格EAE式
推論第二格AEE式
推論第二格EIO式
推論第二格AOO式
推論第三格AAI式
推論第三格IAI式
推論第三格AII式
推論第三格WAO式
推論第三格OAO式
推論第三格EIO式
結論が全称肯定(A)になるのは推論第一格AAA式のみであり、このことからアリストテレスはこの推論を「完全な推論」とよんだ。
推論第一格AAA式
(a)大前提 すべてのMはPである(A) (a)すべての人間はしぬ
(b)小前提 すべてのSはMである(A) (b)仙人はすべて人間である
ここで最初の推論に戻るが
「全ての人間は死ぬ」
「よってソクラテスは死ぬ」
この三段論法で「ソクラテスは死ぬ」という結論は演繹的(論理的)に導き出されたとしても「全ての人間は死ぬ」、「ソクラテスは人間である」という命題については証明されていない。もしかしたらこの世には死なない人間もいるかもしれないし、実はソクラテスは人間ではないかもしれない。アリストテレスによれば前提命題そのものは推論以前の知識であり、これらを獲得するのは帰納法(経験論や個別の観察)によるか直知(中項を経ずに無媒介で行われる知識の洞察)に頼るしかない。
またアリストテレスは推論は公理と定義と仮説の三つのものを前提としていると言う。公理とは思考そのものを可能にするための原理をいい、例えば「ある物が同条件において属し、かつ属さないことは不可能である」という矛盾律や「すべてのものは肯定されるか否定されるのいずれかである」という排中律がこれに当たる。定義とは名辞の意味に関する約束事であり、仮説とはその意味する対象が確かに存在することを了承することである。例えばある四足歩行の動物を「犬」と呼ぶのは必然的なことではなく、人間がただそう呼ぶと仲間内で決めあっただけのことである。
以上のようにアリストテレスはすべての命題が論証できるわけではないとして、認識は必ず何らかの既知からスタートしなければならないことを述べている。認識を遡行していくとやがて感覚にたどり着く。アリストテレスによれば感覚とは、対象から質料を抜きにして形相だけを抜き取る能力のことであり、この感覚的形相が対象を消したあとも残った場合、それを表象像と呼んだ。人類をはじめ動物の中の一部にはこれらの「感覚」や「表象像」を記憶する能力を持ち、彼らを元に経験を積むことができる。そしてそれらの経験はやがて技術と学問を獲得することとなった。プラトンはイデア論において感覚を捨て去ったが、弟子のアリストテレスは逆に感覚を高評価している。この点がプラトンが思弁学の始祖と呼ばれるのに対して、アリストテレス哲学が経験的、実証的。つまり科学の祖であると言われる所以である[4]。
[1]アリストテレスはこのほかに「不定的」という概念も紹介しているがここでは割愛。
[2]時代は違えど同じく大哲学者ヘーゲルの弁証法論理学ではこれらは必ずしも明確に区別されていない。
[3]これらは実然的パターンだけの話で、アリストテレスは必然的三段論法や蓋然的三段論法についても論じている。
[4]三段論法による厳密な論理に基づく普遍的、永遠的な学的認識(エピステーメ)に対して、ある程度の妥当性を有する一般通念的命題を導き出す証明を弁証論と呼ぶ。これは社会の多数や識者が正しいと言えるような認識のことをさす。
「シリーズ・ギリシア哲学講義Ⅲ アリストテレス講義・6講」日下部吉信 晃洋書房
掲示板
1 ななしのよっしん
2018/05/14(月) 08:22:29 ID: YKIsCCnXLN
勉強になった
ところで前々から「ソクラテスは人間である」「ソクラテスは死ぬ」はAとIのどちらなのか、どちらにも当てはまらないのかが気になってた
学校で習ったのはAとして翻訳して「すべてのソクラテスは人間である」と対処する方法で、ものすごく違和感がある
一方現代論理学からしてみれば単称命題は存在命題と全称命題のどちらでもないから、ラッセルが疑似三段論法Quasi-syllogismと呼んだという話が数理哲学入門という本に書いてた気がする
2 ななしのよっしん
2018/07/30(月) 05:11:28 ID: 1bpS9HmSnF
A「全ての人間は白い」
B「全ての人間は白くない」
矛盾の例おかしくね?
3 ななしのよっしん
2019/10/14(月) 11:10:28 ID: uuHZqnRTVB
推論第四格くんはどこ…?ここ…?
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/17(水) 12:00
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