プラトン(Πλάτων、Platon、紀元前427年~紀元前347年)とは、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子、アリストテレスの師匠であった。
ソクラテスに師事し、問答法や哲学を学んだ。ところが、ギリシアの政治の惨状を見て、現実政治を避けて執筆活動に専念するようになる。
シケリアに旅行した。このときピタゴラス学派と交流を持ち、ピタゴラス学派の数学的思想や輪廻転生に関心を持つようになる。
帰国後はアカデメイアに学園を設立し、対話篇の執筆や弟子の教育に専念した。哲学者アリストテレスは、この学園に入門してきた弟子の一人である。
幼少期は祖父に倣いアリストクレス(Ἀριστοκλῆς、Aristocles)と名乗っていたが、彼は体格が良くレスリングが強かったため、レスリングの師匠から体格の良さを表すプラティス(πλατύς、platýs、広い、肩幅が広いという意味)というあだ名をつけられ、それ以降ずっとプラトンと名乗っていたという説がある。プラトンと似た名前は彼の家系にはおらず、少なくとも親族からもらった名前ではなさそうである。
つまり、彼はリングネーム肩幅ひろしの哲学的レスラーだったのである。歪みねぇな。
ちなみにプロレスのツープラトンはtwo platoon (2つの小隊、pellet(小さい珠)などと同根)であるので肩幅の広いプラトンとは無関係である。当然プラトンが分身する技ではないし対プラトン用必殺兵器でもない。
プラトンの思想は哲学に限らず、倫理学・政治学・自然学と多岐に渡る。また、プラトンの場合、時期によって思想が少しずつ変化しているという問題や、ソクラテスの思想と区別がつきにくいという問題もある(これについては後述)。
そこで、まずプラトンの著作について説明した上で、プラトンの思想を順番に説明することにしよう。
後述するように、プラトンの著作は初期・中期・後期に分けられるので、それに準拠して著作を記す。また、プラトンにおける重要概念が登場する場合、その概念を著作名の右に記してある。
ただし、プラトンの著作には偽作も多く、真のプラトンの著作であるか判然としないものも多い。
初期 | |
中期 | |
後期 |
対話篇は、初期・中期・後期の三つに分けられることが多い(上の「著作」参照)。ただ、最後の対話篇『法律』を最晩年に入れることもあれば、『ゴルギアス』を初期と中期の間に入れることもある。
プラトンの対話篇は、プラトンの師匠ソクラテスから多大な影響を受けていたこともあり、ソクラテスを登場人物にして、彼の口から思想が語られるという形式をとっている。ソクラテスが著作を残さなかったこともあり、ソクラテスの真の思想を語っているのか、ソクラテスの口を借りてプラトンの思想を語っているか、はっきりしない部分がある。
現在では、初期対話篇はソクラテスの思想に近く、初期の末期から中期以降はプラトンの思想が出てきており、後期は完全にプラトン独自の思想が展開されている、といわれる。
なので、本稿ではプラトンの中期以降の対話篇に見られる思想を中心に説明する。
まず、プラトンにおける有名な思想から説明しよう。
例えば、平面上に描かれた三角形を考えてみよう。我々の日常生活において、三角形を見たり描いたりする機会は多々ある。その中で発見・描画する三角形は、どれも異なるもののはずである(大きさ・線の太さ・辺の長さ・三角の角度etc.)。しかし、どれも異なっているにも関わらず、我々はそれを同じ「三角形」として認識できるはずである。これはなぜか?
プラトンはこの疑問に対し、次のように答える。我々が異なる図形を「三角形」として認識できるのは、「普遍的な三角形」が存在しており、それがそれぞれの図形に含まれているからだ。いいかえれば、図形としての三角形を見るとき、その背後にある「普遍的な三角形」をも見ているのである、と。
プラトンは、この普遍的なものを「イデア」と名づけた。このイデアに基づいた考え方が、「イデア論」である。
世界には様々なものが存在するが、それぞれにイデアが存在する。「三角形のイデア」「四角形のイデア」「馬のイデア」「美のイデア」などである。
イデアは「イデア界」と呼ばれるところに存在する普遍的な存在であり、人間がふだん認識する「現象」は、「現象界」(つまり現実)に存在する存在である。
このイデア論について、プラトンは「太陽の比喩」「線分の比喩」など、様々な比喩を使って説明している。ここでは、最も有名な「洞窟の比喩」を紹介しよう。
- 洞窟に人が住んでいる。
- 人は手足も首も縛られて動くことができず、振り返ることもできない。洞窟の奥の壁のみ見ることができる。
- 洞窟の入口の上方では炎が燃えており、洞窟の中にいる人を背後から照らしている。
- その炎によって、洞窟の外にあるものの影が、洞窟の奥の壁に映し出されている。
(『国家』第七巻より要約)
洞窟の外にあるものはイデア、洞窟の奥に映る影は現象を意味している。人間の感覚では影(現象)しか認識することができず、洞窟の外にあるもの(イデア)を認識することはできないのである。
プラトンはイデアの中でも、「善のイデア」と呼ばれるものを重視する。善のイデアとは、すべての善なる行為や善なる意志の背後にある「普遍的な善」であり、イデアの中でも至高のイデアであるとした。プラトンによれば、善のイデアを知ることこそが哲学者の目的である。
この「善のイデア」は、後述する倫理学・政治学に関わってくる。
しかし、ここまでの議論を見ると、イデアについて二つの疑問が生まれる。
三角形の例で考えてみよう。三角形の背後には「三角形のイデア」が存在しているといっても、我々の視覚には普通の三角形しか見えないはずである。見えもしないイデアをどのように、そしてなぜ認識できるのか?
前者の疑問に対しては、イデアは理性によって認識できると述べる。視覚や聴覚といった人間の感性は不完全であるので、イデアが投影する現象しか認識することができない。しかし、理性ならば、イデアを認識することができるのである。
そして、プラトンが理性によってイデアを認識できる学問として重視したのが数学である。数学は、感覚によってではなく、数によって理性的にイデアを認識することができるからである(哲学以外でも、軍事や政治といった国家の運営においても数学は重要であると述べている)。プラトンがこう考えた背景には、ピタゴラス学派との交流を通じて、数こそは万物の根源という思想に影響を受けたことがある。
後者の疑問に対しては、プラトンは「想起説」で説明する。プラトンは次のように述べる。
例えば、我々はある花を見て「美しい」ということがある。あるものを「美しい」といえるからには、「美しい」ということ(美のイデア)を認識できているはずである。しかし、我々が生まれた後に知ることができるのは、感性を通じて認識したものだけであり、美のイデアを認識できるはずはない。すると、我々は美のイデアをいつ認識したのか?
プラトンはこれに対し、我々は生まれる前、つまり魂の状態のときにイデアを認識していたのだと答える。人間は魂の頃、イデア界に存在したのだが、生まれたときに肉体を得て、現象界にやって来た。人間がイデアを認識できるのは、生まれる前に認識していたイデアを想起(アナムネーシス)するからだ、という考え方で、これを「想起説」という。
しかし、想起説が成立するためには、人間の肉体に関わらず、魂が生き続けることが必要である。生前に魂がイデアを認識していたという話は、肉体を持たなくても魂は存在し続ける、という理屈がなければ成立しないからである。
これを証明するために、プラトンは『パイドン』において魂の不死性を証明する。魂の不死性は、元々ソクラテスの死の直前にも議論された重要なテーマだが、プラトンはこれを想起説に援用するのである。
証明を細かく紹介することはしないが、次のような証明がなされている。
以上の議論を踏まえた上で、次はプラトンの倫理学について説明しよう。
今まで魂の不死性について議論してきた。しかし、そもそも人間の魂とはどのようなものだろうか。そして、魂はどうあるべきだろうか。
プラトンはこれに答えるために、「魂の三分説」を唱える。
魂は「理性」「気概」「欲望」の三つからなり、理性が最上位、気概が中間、欲望が最下位となっている。この三つが適切に働くとき、魂のバランスがとれると述べる。これが「魂の三分説」である。
さらに、この三つの部分が、理性を最上位とする支配・従属の関係となり、調和がとれたときに「正義」が実現されると述べる。理性・気概・欲望に正義を加えた四つのものを「四元徳」という。
四元徳自体は古代ギリシアに伝統的な考え方であったが、プラトンはこの考え方を自らの思想に取りこみ、倫理学と政治学を論じた。
次にプラトンの政治学について説明する。政治学は初期の著作から論じられているテーマだが、中後期の著作『国家』『法律』において、特に多く論じられている。
1番の「優秀者支配制」が最良の国制であり、5番の「僭主独裁制」は最悪の国制であると説く。後述するが、優秀者支配制の中でも最も優れた国制が哲人王政治だとプラトンは述べている。
それでは、国家が最良の国制をとるためにはどうすればよいのだろうか。
先ほど述べた「魂の三分説」を、プラトンは国家にも適用する。すなわち、国家も理性・気概・欲望の三つに分かれているのであり、国家における三層と対応していると述べた。
統治者は理性を担当し国家の統治を、軍人は気概を担当し軍事を、生産者は欲望を担当し生産を行う。この三者が適切に働けば、国家における正義が実現されると説く。
もちろん、個人における魂の仮説を、国家にも適用してよいのかという疑問が生まれるだろう。これに対しプラトンは、国家とは人間たちの集合体であり、人間の魂の総和が国家となるのだから、一人一人が正義を実現しているならば、国家においても正義が実現されるのだと主張している。
なお、プラトンの想定した国家は、全体主義国家やユートピア国家と批判されることもある。
国家を運営するためには優れた統治者が必要だが、それは誰がなるべきだろうか。プラトンは、哲学者がなるべきだと考えた。
ここで、前述した善のイデアを思い出していただきたい。哲学者の目的は、善のイデアを知ることであった。善のイデアとは「普遍的な善」であり、至高のイデアである。それを知っている哲学者とは、誰よりもイデアをよく認識できているだろう。
ところで、前述したように、統治者はイデアを認識する理性を担当している。イデアを認識する理性にかけては、善のイデアを知る哲学者に勝る者はいないだろう。よって、哲学者を統治者とすべきである。
上記から、プラトンは統治者としての哲学者の意義を説く。これを「哲人王」といい、前述した「優秀者支配制」の中でも、最も優れた国制である。
中期対話篇までは哲人王政治を説いたプラトンであったが、後期には哲人王ではなく、哲人教育を受けた複数人による合議制を唱えるようになった。これを「夜の会議」という。
これは哲人王思想を捨てたわけではなく、哲人王による独裁制から、彼と同様の理性を持つ複数人による合議制へと移行したと見るべきだろう。
プラトンは、アリストテレスと並んで、後の西洋哲学すべてに影響を与えたといってよいほどの哲学者である。彼に影響を受けた思想を挙げるときりがないが、アリストテレス・新プラトン主義(プロティノス)・アウグスティヌスなどは、特に強い影響を受けた思想家である。
プラトンの使った語彙や用語が、後世のフィクションの作品に影響を与えていることがある。その一部を紹介する。
「ふしぎの海のナディア」や「アトランティス」の他、アトランティスをモデルとした様々なフィクションが数多く書かれている。
『ティマイオス』『クリティアス』において登場する三人の人物。
アニメ「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」の「遊戯王ドーマ編」に登場する伝説の三匹の竜「ティマイオス」「クリティウス」「ヘルモス」は、これが元になっている。
『Fate/Grand Order × 氷室の天地 ~7人の最強偉人篇~』にて読者応募のサーヴァントとして登場。
クラスはルーラーで、青年期の武術と晩年の人間観察力を備えた最強クラスのグラップラー。
掲示板
17 ななしのよっしん
2021/03/22(月) 23:45:32 ID: TObghqziP8
そんなあなたにベレ出版の『しっかり学ぶ初級古典ギリシャ語』を勧める
18 ななしのよっしん
2021/03/30(火) 12:53:05 ID: iHIBLEqDPu
ベレもいいが、真面目にやるならJohn MastronardeのAn Introduction to Ancient GreekとCambridgeから出てるReading Greekシリーズをおすすめするで!
入門書が終わったらSmythのGreek Grammer(Harvard University Press)を参照しつつ、すぐに原文に取り組むのがおすすめや。古典期のギリシャ語(Attic Greek)は形態論が少しばかり複雑だが、統語論は比較的素直で分かりやすいで!
ただ、トゥキュディデスとかは少しばかり難しい文体やからいきなり読むのはおすすめせんで!クセノポンの『アナバシス』から始めるのが伝統的な教授法や。ある程度慣れたらプラトンや三大悲劇詩人、アリストファネスなんかもやってみるとええで。
古典ギリシャ語はシンタックスが比較的簡単なんや。つまり、語形変化(活用・曲用)だけしっかり覚えてしまえば文章もわりとすんなり読めるっちゅうこっちゃ!
初心者のみんなも「古代ギリシャ語の原文読むなんてむりぽ...」と諦めずに、是非チャレンジしてくれや!けっこう読めるもんやで。
やっぱ古典は原文で読んでなんぼの世界や。無理ちゃうで!誰でもできるんや!英語が苦手やって?そんなの関係あらへん。たしかに英独仏ができることを前提に書かれてる本が多いけどな!
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
19 ななしのよっしん
2022/09/14(水) 23:15:19 ID: wxSCwxUz2Z
末期のソピステスや法律は怪しくなってくるけど
基本的に小説を読むような感覚で読めるので面白い。
パイドンの終盤とか国家のエルの話とかやたらスケール大きくて引き込まれる。
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最終更新:2025/02/16(日) 21:00
最終更新:2025/02/16(日) 21:00
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