アンドレア・ズーニャ(Andrea Zugna)
とは、レプソルホンダの電子制御スタッフである。
2004年から2009年までヤマハワークスに在籍し、電子制御(エンジンの出力をコンピュータで制御する技術。ECUとも呼ばれる)のシステム構築を担当していた。
2010年から現在までレプソルホンダに在籍し、電子制御のスタッフになっている。
この動画
で、喋る姿が映っている。
イタリア北東の国境地帯にあるトリエステ
で生まれた。ここはドイツに近く、ドイツ系住民も多い。仕事に生きがいを見出すような保守的で真面目な土地柄である。ボーラ
という強風が吹き荒れる街であり、アンドレア・ズーニャもセーリング
を趣味にしていた。
機械工学の大学を出て、2002年にベルギーのルーヴェン
にあるルーヴェン・メジャメント・システム(LMS)
という企業に就職した。この企業は振動の解析を専門としていて、世界市場で独占的地位を築いている。この会社に在籍していたのは2年だけだったが、そのときソフトウェアを考案し、世界中の会社に売り出していて、ヤマハ発動機にも売却していた。ヤマハ発動機の古沢政生さんはそのソフトの優秀さに気付き、アンドレア・ズーニャに対して盛んに質問をしていた。古沢政生さんは振動解析を専門とする技術者であり、アンドレア・ズーニャの才能を理解できたのである。
2003年に古沢政生さんがヤマハワークスのボスになり、2003年カタルーニャGPは現地へ足を運んでいた。そのときに、アンドレア・ズーニャと会っていた。そのときにアンドレア・ズーニャは古沢さんから誘われたので、2004年1月にLMSを退職してヤマハに就職した。
2005年と2006年はヤマハワークスでコリン・エドワーズ
の電子制御スタッフとなっている。今後のズーニャのためにもMotoGPの現場を体験させるべき、と古沢さんは考えたのである。
2007年から現場を離れ、イタリア北部のレズモ
にあるヤマハワークスの本拠地で電子制御の開発をするようになった。ここでアンドレア・ズーニャの才能はまさしく開花し、ヤマハワークスの電子制御技術を大きく進歩させている。
「アンドレア・ズーニャと古沢政生が一緒に仕事をすることでヤマハのマシンの水準はかつてない高みに到達しました」ジェレミー・バージェス
「何年もいっしょに仕事をしてきて、気が付けば彼は我々のエレクトロニクス技術のよりどころになっていました。・・・ヤマハのマシンの電子技術開発は、彼のおかげといってもいいでしょう」古沢政生
こうした絶賛の言葉は、この本
の231ページに書かれている。
同書の259ページにはこんな記述もある。「2007年11月まで、ヴァレンティーノ・ロッシは電子制御の有用性を認めようとしなかった。しかし、2007年11月にアンドレア・ズーニャが作り上げた電子制御のシステムが完成してからは、ロッシも電子制御を大々的に使うようになった」
要するに、アンドレア・ズーニャは電子制御の分野の天才だということである。
2009年シーズン末、アンドレア・ズーニャはレプソルホンダへ引き抜かれた。
その当時は、古沢政生さんが2010年いっぱいでヤマハを定年退職することが決まっていた。「尊敬するフルサワサンがいなくなるヤマハにいても、やりがいがない」と思いかけていたところに、レプソルホンダがオファーをしてきたものと思われる。
レプソルホンダはアンドレア・ズーニャだけでなく、他にも2名の電子制御スタッフを引き抜いていた。カルロ・ルッツィ(Carlo Luzzi)
と、クリスチャン・バッターリア(Cristian Battaglia)である。引き抜かれた3名はいずれもイタリア人である。
1人引き抜くだけならまだしも、3人の優秀なスタッフをまとめてごっそり引き抜く・・・このホンダの引き抜きに、MotoGP業界は震え上がった。ホンダの底知れぬ資金力に、多くの業界関係者は圧倒された。
ホンダはそれほど人材引き抜きをしないと思われていたが、2008年12月1日にホンダの首脳となった中本修平HRC副社長は従来のホンダ首脳とは少し異なるタイプの人で、大胆に引き抜きをしてくるのである。リヴィオ・スッポをドゥカティワークスから引き抜いたのも中本修平HRC副社長である。
2012年バレンシアGPで、ヤマハワークスのベン・スピーズ
の代役で参戦した中須賀克行
が見事に2位表彰台を獲得した。そのときパルクフェルメで中本修平HRC副社長は中須賀に声をかけていたのだが、そのときの言葉は「おめでとう! 良かったね! 来年どう?うちのテストライダーで」であった。もちろん冗談なのだろうが、2009年末電子制御スタッフ引き抜き事件を知っている者が聞くと、もはや冗談に聞こえない。ヤマハワークスの首脳陣は顔が青ざめたであろう。
とはいえ、3人の電子制御スタッフを引き抜かれたヤマハワークスは大幅に弱体化したかというとそんなこともなく、2010年と2012年と2015年にチャンピオンを獲得している。アンドレア・ズーニャの遺産というべき電子制御システムが、上手く機能したのだろうか。
2016年に最大排気量クラスの電子制御ソフトが共通化され、2017年~2018年にはヴァレンティーノ・ロッシは「ヤマハは電子制御が劣っている」と口走るようになった。このとき、「やっぱり2009年に、アンドレア・ズーニャたちをなんとかして引き留めておけばよかったのに」と言うものがちらほら見られた。
2019年も、アンドレア・ズーニャは引き続きHRCに在籍している。
ヴァレンティーノ・ロッシの写真がデカデカと表紙に載っているが、ロッシについての記述はそんなに多くない。2003年から2010年までのヤマハワークスの内情を克明に描いており、古沢政生さんが主役となっている。
アンドレア・ズーニャについての記述は232ページ以降に集中している。
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最終更新:2025/12/06(土) 08:00
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