マルク・マルケスとは、スペイン・カタルーニャ州サルベラ出身のオートバイレーサーである。
1993年2月17日生まれ。
2008年よりMotoGPへの参戦を始めた。
2010年に125ccクラスチャンピオン、2012年にmoto2クラスチャンピオン、
2013年から2018年までの6年で5回最大排気量クラスチャンピオンを獲得した。
2019年もレプソルホンダから継続参戦する。
1993年生まれなのでゼッケン93番を使用している。
93という数字にはmとqが入っている(mを90度回転させると3になる、qは数字の9に似ている)、
mとqは僕の名前(Márquez)を構成する文字だから93はお気に入り、と言ったことがある。
ライダースーツは星のマークでおなじみのアルパインスターズと契約している。
ヘルメットはSHOEIと契約している。
アリが好みのデザインで、ファングッズに多用しているし、サインボードもアリだし、
アリがデザインされたヘルメットも使う。
マルクは「アリはこの世で一番強く、細く、働き者の生き物だ」と語っている。
身長168cm、体重59kgと小柄なマルケスはアリに自分を投影しているのだろう。
自宅から近いサーキットで行われるアラゴンGPとカタルーニャGPでは、パソコンの電源ボタンを模した
デザインのヘルメットを着用する。画像1、画像2
「||| ||| 93」というロゴが好みのデザイン。「|||」はMのことで、マルクやマルケスの頭文字。
2016年イタリアGPから現在まで、光沢のあるゼッケンを使っている。画像1、画像2
2016年フランスGPまでは真っ白なゼッケンだった。
アメリカ合衆国での成績が非常によいので、アメリカズGPでは必ずスペシャルヘルメットを用意する。
2015年、2016年、2017年、2018年といかにもアメリカなデザイン。
日本はSHOEIの地元なのでスペシャルヘルメットが用意される。
2015年は「激おこぷんぷんマルケス」のヘルメットだった。こちらが漫画のストーリー。
2016年から招き猫が恒例となった。2016年ヘルメット画像はこちらやこちら。相当気に入ったのか、2017年も全く同じヘルメットを被っている。2018年のヘルメットにも招き猫が入っている。
左回りのサーキットでの成績が非常に良い。
ザクセンリンクで9連覇、サーキットオブジアメリカズで6連覇、インディアナポリスで5連覇。
超絶難易度で初参戦ライダーが勝てるはずがないと思われていたラグナセカで初参戦優勝したが、
このサーキットも左回りだった。
マルク・マルケスはダートトラックでのトレーニングを若い頃から盛んに行ってきた。
ダートトラックは左回りのコースが非常に多いので、それゆえ左回りのコースで強いのだろう・・・
このようにマルク・マルケス自身が発言している。
苦手としているサーキットはブルノサーキットであると本人も発言している。
2010年の125ccクラス時代に連勝を5で止めてしまったのも、2014年に連勝を10で止めてしまったのも、
ブルノサーキットで行われたレースだった。
ブルノサーキットはセッティングを出すのが難しいサーキットであり、
効果的なセッティングを密かに見つけた者が繰り返し勝つサーキットである。
逆に言うとセッティングを決めないと、いくら桁外れの操縦能力があってもちょっと苦しい戦いになる。
マルク・マルケスのセッティング能力はというと、ダニ・ペドロサやヴァレンティーノ・ロッシのような
超人級よりは少しだけ劣る、というのが通説であるようである。
また、ツインリンクもてぎも少し苦手であると本人が発言している。
ツインリンクもてぎは、精密な動作を必要とするハードブレーキングが短い間隔で次々とやってくる
サーキットであり、ミスが許されない緊張感と闘わねばならない。
修行僧のような集中力の持続を要求されるサーキットである。
マルク・マルケスは、2015年アメリカGP予選でポールポジションを取った動画を見てもわかるように、
所々でミスをしてマシンを震わせながらも豪腕でねじ伏せて爆走する、というタイプのライダーなので、
「ミス一切無しで45分間走り切れ」といった感じのツインリンクもてぎは少し苦手な様子である。
しかし苦手と言いつつも、2012年(moto2)、16年、18年、19年(motoGP)と4勝、ついでに雨とはいえ2022年に怪我からの復帰後初ポールを取得していたりする。
マルク・マルケスは4歳の頃に父からバイクを与えられ、ダートで走るようになった。
6歳の頃にモトクロスのエンデューロ・レースに参加し始める。
※モトクロスというのは起伏に富んだ土の露出したコースで行われるレースのこと。
※エンデューロ・レースは、かなり長い1本道で競う形式のレースのこと。
9歳になっても体がかなり小さく、転倒するとモトクロスのバイクを起こせなかった。
モトクロスは不向きであるとされ、舗装したコースで走るロードレースに転向することになった。
「体が大きかったらそのままモトクロスを走っていただろう」と発言している。
10歳の頃、エミリオ・アルサモラの目に留まり、彼と二人三脚でレースをするようになっていく。
というわけで、マルク・マルケスはモトクロス出身なのである。
マルク・マルケスのモトクロスの動画がある。起伏を軽々と飛び越え、見事な走行である。
起伏のない平坦なダートトラックでの走行も上手い 。
※「ダートトラック」というのは起伏のない平坦な土の露出したコースを指す。
毎年12月中旬にスーパープレスティージオ(Superprestigio)という大会が行われる。
バルセロナオリンピックの際に日本人建築家が設計したパラウ・サン・ジョルディという会場があり、
普段はコンサートをやるような所なのだがこのときばかりは会場に大量の土を敷き詰め、
ダートトラックレースを行うのである。場所はバルセロナの南郊、モンジュイックの丘の上にある。
MotoGPライダーやスーパーバイクライダー、アメリカのダートトラックの王者、
とにかく凄いメンツが集まり世界一決定戦を行う。
そしてマルク・マルケスは2014年と2016年に優勝したのであった。
このページの「superfinal」が決勝である。それにしても出場者が豪華。
2017年はチャンピオン争いが最終戦までもつれこんだのでさすがに疲れたのか、マルクは休場した。
2018年も肩の手術を行うため、休場することになった。
モトクロスやダートトラックの走りをそのままアスファルト舗装されたサーキットでも行うのが、
マルク・マルケスのライディングスタイルである。
ジムに通いガッチガチに体を鍛え、モトクロスやダートトラックでマシン操縦の腕を磨く。
これにより、ちょっと滑ったくらいではマルクは転倒しなくなってしまったのである。
2016年チェコGPの復帰、2017年マレーシアGPの復帰、2017年バレンシアGPの復帰、
2017年バレンシアテストの復帰、もう枚挙にいとまがない。
カル・クラッチローは「マルクの走行データを見ると自分が馬鹿に思えてくる」とコメントしている。
かつてのマルクは「何が何でも先行者を抜いて勝つ、1着になる」というスタイルだった。
これはマルクに限ったことではなく、2009年までのホルヘ・ロレンソもそうだった。
ホルヘ担当のコーチであるウィルコ・ズィーレンベルグが何度も「1位にならなくても良いんだ」と
言い続け、やっとホルヘも学習、2010年は2位を確実にとってチャンピオンになっている。
マルクにはウィルコ・ズィーレンベルグのような存在がいなかった。
いや、エミリオ・アルサモラがいることはいたのだが、マルクが最大排気量クラスに移ってから
エミリオはマルクにあまりキツくアドバイスをしなくなってしまったのだ。
そういうわけでマルクはかなりアグレッシブに攻めかかっていた。
2015年のオランダGPはその典型で、止まりきれないのに無理に抜こうとしている。
これが改まったのは2015年マレーシアGPで、ここで起きた大事件でマルクはバッシングを受け、
ブーイングを浴びるようになる。これで懲りたのか、2016年からはアグレッシブさを抑え、
大人の走りでポイントを稼ぐようになり、チャンピオンを連覇している。
目茶苦茶なライディングを可能にするため、マルクは日々トレーニングに励んでいる
マルク・マルケスの自宅はサルベラにあるが、その周辺のサーキットに出没し、走行している。
最も多く立ち寄っているのが自宅から西に56km離れたこの場所にあるルフェアサーキット。
「Rufea」の名前がしょっちゅうマルクのSNSに出てくる。Twitterアカウントもある。
この部分は平坦なダートトラックで、この動画でマルクたちが走っている。
そのほかの部分は起伏のあるモトクロス用路面で、ぴょんぴょん飛び跳ねて走行している。
画像1、画像2、画像3
自宅から西に72km離れたこの場所にあるアルカラスにも行く。Twitterアカウントもある。
ここは大半が舗装路面サーキットだが、南のこの場所にはダート路面が広がっている。
木の間を走り抜ける映像がいくつかある。画像1、画像2、画像3
舗装路面サーキットがあるので、スーパーモタードのマシンを持ち込んで走ることがある。
※スーパーモタードとは、舗装路面8割・ダート路面2割のコースを走る競技
このサーキットをスーパーモタードで走っていたらなんとホルヘ・ロレンソがやってきたことがある。
こちらの記事で紹介されている。
自転車トレーニングも好きで、弟のアレックス・マルケスと一緒の画像が多い。画像1、画像2
自転車で走っていたら羊の集団に出くわしたことがある。
マルクのSNSにはほとんどジムの映像が上がっていないが、当然のようにジムに行く。
ジムでの映像はこちら。
15歳の時からジェニス・クァドロス(Genis Cuadros)という人が専属トレーナーである。
この人は「筋肉だけ付けてもダメだから、重いウェイトトレーニングは不要」
「猫のように敏捷になれば、ケガのリスクも減る」という理論の持ち主で、マルクもそれに従っている。
こちらの記事でも「重いウェイトトレーニングは不要」と語っている。
ジェニスさんは「立派なジムに通う必要は無く、マシンが4つ程度しかないジムでもOKだ」と言うので
マルクもサルベラ周辺のジムに通っている。
たまに、自宅のあるサルベラから東に走行距離で87km離れたこの場所にあるCARサン・クガに行く。
ここはカタルーニャ州政府が運営するトレーニングセンターである。個別記事あり→CARサン・クガ
ホンダはバルセロナに拠点があるので、ホンダと契約するライダーの多くがバルセロナに住んでいて、
このCARサン・クガでトレーニングを積むことが多い。マルクもしばしばやってくる。
トライアル(岩山を無理矢理バイクでよじ登っていく競技)の藤波貴久もやってきていて、
しばしばマルクと一緒にトレーニングしている。
藤波がいうには、マルクは非常に負けず嫌いで、藤波に負かされると「もう1回!」と言ってくるという。
トライアルという競技は筋力を非常に使うので、トライアル・ライダーに筋力で勝てるわけないのだが、
それでもマルクは「フジには負けたくない」というらしい。
藤波によると、マルクはバランスボールを使った運動が上手でないという。
一方、藤波はすごく上手で、何度もマルクを負かしていた。
藤波に負かされたマルクは自分でバランスボールを買って「これで練習して次は勝つぞ」と言っていた。
CARサン・クガは施設も充実していて、スポーツ医学の研究者も常駐している。
マルク・マルケスはここで体力測定を毎年行っている。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
この記事によると、海外出張のホテル選びで最も重視するのが「ジムがあること」だという。
冬になったらサルベラから北に100km離れたアンドラ公国に行き、スキーをする。画像1、画像2
オルディーノ・アルカリスというスキー場に行ったことがある。画像1
ヴァルノルドというスキー場に行ったことがある。画像1
転倒したりマシン故障したりした後に全力疾走することがある。
2015年アルゼンチンGP、2015年アメリカズGP、2018年サンマリノGPなど。
簡単そうに走っているが、ライダースーツが6.5kgほど、ヘルメット1kgほど、ブーツも1kgほど、
でだいたい8kgの重い装備を着て走っている。普通の体力の持ち主なら、こんなガチ走りができない。
万全の体力に恵まれ順風満帆にキャリアを積み重ねるマルクだが、肩の脱臼癖という暗雲が漂い始めた。
一番最初に報じられた肩の脱臼は2013年イギリスGPのこの転倒の時のもの。左肩を脱臼した。
2016年オーストリアGPで左肩脱臼。
2016年アラゴンGPで右肩脱臼。
2017年2月ヘレステストで右肩脱臼。
2018年日本GPにおいては、決勝レース後にスコット・レディングとハイタッチをかわして、
その直後に左肩が脱臼してしまった。その映像はこちら。弟のアレックスが肩を嵌め直している。
このあとスコット・レディングはツイッターで「俺が触ったものは全てぶち壊れてしまうんだ」と
楽しそうにツイートしている。
2018年バレンシアGPでもまた左肩が脱臼。
とにかくマルクの肩は脱臼癖が頂点に達していたらしい。
「2018年は9回ぐらい脱臼した」と語っている。「特にひどいのは左肩だ」と前から語っていたので、
おなじみのハヴィエル・ミール医師に左肩を手術してもらうことにした。
ミール先生が「このひどい肩でどうやって世界チャンピオンを獲得できたのか」と呆れるほどで、
結構な難手術だったらしいが無事成功し、リハビリも行っている。
アレックスは3歳年下の実弟である。
マルクは身長168cmだが、アレックスの身長は180cmで、弟の方が大きい。
2014年のシーズン後半のマルクはアレックスのピットに顔を出して超真剣な顔で応援をしていた。
2017年冬のヘレステストに同行し、鋭い眼差しでアレックスにアドバイスをするマルク。
マルクとアレックスの仲は良好であり、一緒にトレーニングする動画や画像が大量に見つかる。
2013年の日本GPでキャリア初勝利。2014年にmoto3クラスチャンピオンを獲得した。
マルク・マルケスの父親。もともとは建設系の仕事をしていてユンボなどを操っていたらしい。
2009年のリーマンショックで失業したが、ちょうどその時期にマルクが覚醒して高給取りになったため、
常時マルクに帯同する応援団長になった。マルクが転倒しそうになるとオーバーアクションを起こす。
こちらの動画でも、落ち着きゼロの様子が映し出されている。
フリアさんはマルクとアレックスに「どんなときも笑顔を忘れるな」と言い渡しており、
2人ともこの教えの通りの青年に育っている。
マルクとアレックスの母親。スペインは夫婦別姓なのでアレンタという姓のままである。
スペインの子供は両親の両姓を使うので、マルケス選手も本名はマルク・マルケス・アレンタとなる。
マルク・マルケスが高給取りになった(ホンダはチャンピオンへの報酬を惜しまない企業である)現在も
サルベラの昔からの住居に住み続け、近所の運送会社の事務の仕事をしている。
マルクとアレックスがチャンピオンになり大スターになっても驕ったところがなく、
人に好かれる好青年であり続けているのもこのお袋さんの影響が大きいだろう。
マルクは母親が一番好きだとコメントしている。たまに母親へ電話をかけるらしい。
夫と息子2人が全員MotoGPのパドックに出張し続けているため、レースは自宅で1人で見ているという。
式典にマルクの保護者として出席することがしばしばある。画像1、画像2
母の日というものがあり、これは世界各国で日が異なっている。日本は5月第2日曜日だが、
スペインは5月第1日曜日で、これは近年のスペインGPと同じ日である。
2017年と2018年はアルヴァロ・バウティスタの傘持ちがアルヴァロのお袋さんだった。
2018年にはマルクのお袋さんもヘレスサーキットにやってきていて、パルクフェルメに姿が見えた。
この画像で赤シャツ着ているのがお袋さん。
マルクの叔父か、もしくは伯父。フリアさんの弟かもしくは兄である。
現在はマルク・マルケスのファンクラブ会長を務めている。こちらの動画で出演している。
マルクの祖父。マルクの両親は共働きだったので、マルクは祖父母に触れ合う機会が多かった。
このためマルクはお爺ちゃんっ子になっている。
マルクが走るレースは必ず観ているという。アジアラウンドは時差のためスペインの早朝に行われるが、
それでも早起きして必ず見る。
レースを観るときは相当に興奮するらしく、フリアに「いい年なんだから騒ぐな」と言われていた。
スペインのモトクロス王者。現在はマルクのトレーニング相手で、一緒にモトクロスをしている。
ホセのトレーナーがジェニス・クァドロス(Genis Cuadros)で、その縁でマルクと親しくなった。
いつもゼッケン20番を付ける。この写真で映っているのがホセ。Instagramはこちら。
現在はマルクに帯同している。マルク・マルケスのファンクラブ用黒シャツを着てピットに出入りする。
マルクが走行している時は、マルク用の豪華な椅子に座る。画像1、画像2
1989年5月生まれでマルクの3歳9ヶ月年上のMotoGPライダー。カタルーニャ州バルセロナ出身。
2008年にマルクはMotoGP125ccクラスに初めて参戦したが、そのときのチームメイト。
マルケス兄弟との関係は良好である。マルケス兄弟行きつけのルフェア・サーキットに行って、
一緒にトレーニングしていたので、「Team Rufea」とも呼ばれていた。
2014年は「Team Rufea」の3人が揃ってチャンピオンを獲得するめでたい年になった。
1991年6月生まれでマルクの1歳8ヶ月年上のMotoGPライダー。カタルーニャ州バルセロナ出身。
マルク9歳・ポル11歳の2002年の頃から、コンティカップ(Conti Cup)という選手権で争っていた。
カタルーニャ選手権でも激しくチャンピオン争いし、宿命のライバルだった。
MotoGP・125ccクラスやMotoGP・moto2クラスでもチャンピオン争いを展開。
ポルとマルクがパルクフェルメや表彰式で一緒になると一切言葉を交わさず、視線も合わせず、
観ている者をヒヤヒヤさせた。
最近は、すこし緊張緩和されているようである。画像1、画像2
1995年1月生まれでマルクの1歳11ヶ月年下のMotoGPライダー。カタルーニャ州フィゲーレス出身。
マルク9歳・マーヴェリック7歳の2002年はコンティカップ(Conti Cup)という選手権で争っていた。
そのころ以来のライバル。体格がマルクより小さいので勝つのはたいていマルクで、
負けるたびマーヴェリックは号泣していたという。
マーヴェリックの方が一方的にライバル意識を燃えあがらせていて、周囲を心配させる。
MotoGPにはピットの中でスタッフに怒鳴りまくる激情家のライダーが多い。
ケーシー・ストーナー、アレイシ・エスパルガロ、スコット・レディング、挙げればきりがない。
時速350kmの危険な世界に身を置いているから激情家になるのも無理はなく、スタッフも特に慌てない。
ところが、マルク・マルケスはピットの中でスタッフに怒鳴ることはない。
せいぜい険しい表情になる程度であり、それも時間が経つとすぐに平穏な表情に戻る。
その代わり、転倒したときにマシンに向かって怒鳴ることがある。「どうしてくれるんだ!」という感じ。
画像1、画像2
2017年のバレンシアGPの予選、4コーナーで転倒したマルク・マルケスはよほど腹が立ったのか、
マシンに駆け寄り、蹴りを入れようとしている。結局、フロントタイヤへの猫パンチで済ませた。
大変な負けず嫌いで、負けると怒り狂う。
2018年のオーストラリアGPの際は宿泊先で卓球大会が行われた。
マルクはメカニックたち全員と対決するも全敗し、悔しさのあまり激怒したという(情報源はこちら)
2018年ワールドカップロシア大会でスペインは決勝トーナメント1回戦でロシアと対決、
PK戦までもつれ込んでいた。そのときの動画はこちら。いつもの面々が並んでいて笑う。
2スト125ccクラスの頃から、周囲に迷惑をかける走行をすることがあった。
他のライダーを抜いた直後にマシンを振って抜いた相手のラインを塞ぐこともあったし、
真後ろにピタッとくっついてつついてくることもあったし、無駄にアグレッシブで、
相手への配慮が足らない走りをしていた。
2008~2010年のころ、そんなマルク・マルケスと一緒に走っていた小山知良は、
マルクのピットに出向いて、マルクに「危険な走りだから止めるべきだ」と教え諭したという。
するとマルクは「なんだ!」「これはレースだろ!」「えぇ?俺が悪いの?」という反応だったという。
こういう反応になる理由の1つは、マルクが同年代の若輩者としかレースをしていないからである。
自分の走りに文句を言ってくるものが全員低年齢の若輩者なので、ああいう悪びれない反応になる。
文句を言ってくる若輩者の意見が間違っている可能性があるからである。
1990年代までは軽排気量クラスに年齢制限がなく、10台の若者が30代の体育教師みたいなオッサンと
一緒に走っていた。30代のベテランのオッサンに叱られて、10台の若者も育っていった。
叱ってくるのが30代のオッサンなら、意見が正しい可能性が高いので、叱られるとしおらしくなる。
「危険だから止めるべき」と言われて「これがレースさ」と言って悪びれないのはマルクに限らず、
ヨハン・ザルコも同じ傾向がある。年齢制限がある時代のライダーはそういう風に育ちやすい。
マルク・マルケスは他のライダーと違って、若いときから巨大なスポンサーに恵まれてきた。
敏腕マネージャーのエミリオ・アルサモラの手によって、12歳の頃からレプソルの支援を得た。
レプソルというのはスペインを代表する大企業で、スペイン国内のガソリンスタンドと言えば
レプソルが大多数を占めるといっていい。そのガソリンスタンドにはレプソルと契約する
二輪ライダーのポスターが常に飾られている。2輪業界にとってまさに巨大スポンサーである。
その巨大スポンサーから「期待してるよ」と言われる経験が12歳から現在までずっと続いている。
このため、マルクは功を焦る気質がある。
2018年アルゼンチンGPは、ホンダの750勝目がかかっていた。そのため功を焦り、
焦りに焦って3回も他者ライダーと接触した。
巨大スポンサーに恵まれ過ぎるのも考えものだろう。
物真似芸が好きである。この動画とか、結構上手く真似ている。
2015年日本GPのときは、五郎丸ポーズの物真似をしていた。
2018年スペインGPで快勝した際、メインストレートでこの動きをしていた。
これは、バックパック・キッドという芸名で知られるラッセル・ホーニングという少年が
流行らせていたダンスである。Instagramにこの動画を投稿し、この踊りがthe Russellと呼ばれた。
ケイティ・ペリーという歌手が人気テレビ番組でthe Russellを採用し、それから人気に火が付いた。
やがてその踊りはthe Flossと呼ばれるようになり、英語版Wikipediaにも記事ができた。
アメフトのゴツい選手もこの踊りをしていたが、マルク・マルケスも流行に乗ったということになる。
マルクが勝利すると、メカニックたちの手によって胴上げされる。身長168cmなので胴上げしやすい。
そのときの胴上げはうつ伏せ胴上げである。
『ライディングスポーツ』2017年12月号で遠藤智さんが報ずるところによると、もともとは
ごく普通の胴上げだったが、HRCの心配性な人が「腰でも打ったら大変だ」と言いだした。
その人の言うことももっともだったので、うつ伏せ胴上げに変更されたという。
説明不要のパフォーマンス。
軽排気量時代から数えて6度目のチャンピオン獲得となった。
サイコロを振り見事に6の目を出して歓呼。そのあと、大砲のようなもので紙吹雪をばらまいている。
用意されたゲーム機でレトロな感じのゲームをプレイ。
そのあと、大砲のようなもので情け容赦なく紙吹雪をばらまいている。
実はこの紙吹雪の清掃が大変だったらしく、スタッフの人が数時間かけて掃除していたという。
あの紙吹雪はエンジンの吸気口に入ったら面倒なことになるので、掃除しなければならない。
イギリス・ロンドンの服飾ブランド。2012年頃のライダースーツの左鎖骨に、
「極度乾燥(しなさい)」という意味不明の日本語が書いてあったのはこのためである。
こちらは当時のライダースーツの画像。左鎖骨にご注目。
こちらは同社が制作した動画。こちらの動画ではシャツの左すそに「Superdry」の文字が見える。
このブランドについてはニコニコ大百科にも記事がある。→Superdry 極度乾燥(しなさい)
アサヒスーパードライが「Superdry」の商標権を持っているため、日本国内での展開ができていない。
スペイン・ガリシア州に本社を持つインディテックス社の若者向けファッション・ブランド。
若々しい男女が続々出てくるCMやイベントの動画が上がっている。画像1、画像2
1902年に創業しスペイン・バルセロナに本社を持つフェスティナ(Festina)社の時計ブランド。
自転車レースであるツール・ド・フランスの計測役を長年勤めてきた。
妙にいかついオッサンたちが続々出てくるイベント動画が上がっている。
アメリカのサングラスメーカー。自転車トレーニングイベントの動画が上がっている。画像1、画像2
オーストリアのエナジードリンク企業。二輪、四輪、航空機などのモータースポーツに莫大な投資をする。
色々とぶっ飛んだ企画をするのが大好き。
毎年正月に、アルプス山脈の中にあるオーストリアのキッツビューエルでイベントをする。
契約ライダーたちはヘリコプターで山頂へ連れて行かれる。2016年、2017年、2018年と寒そう。
2017年にはそのキッツビューエルの雪山で、スパイクを着けたRC213V-Sを走らせた。
2014年にはレッドブルが用意したジェット機(戦闘機にしか見えない)に乗せられた。動画1、動画2
2018年はレッドブルが用意したF1マシンに試乗した。画像1、画像2、画像3
2018年の日本GPの直前に、箱根ターンパイクという私道でRC213V-Sを走らせた。
この動画の登場人物を簡単に紹介すると、おかもちのカブに乗っている人が五百部徳雄さん、
ハコスカ(日産スカイラインの1970年代の名車)に乗っている人が高橋国光さん、
デコトラ美咲嬢に乗っている人が関野和也さん、
ガルウィングドアのマツダRX7・FD3Sに寄りかかりすげぇなと言っている人がRE雨宮の雨宮勇美さん。
この写真でマルクが腰掛けているが、それはこの場所。さっそく真似している人がいる。
スペイン・ガリシア州のビールメーカーEstrella Galiciaのノンアルコールビール。
Estrella Galiciaとは「ガリシア州の星」という意味で、そのため六芒星が商品に貼られている。
メーカーの垣根を越えて様々なライダーに支援をしている。
なんとアレックス・バロスにも支援をしている。昔と変わらぬ笑顔。この動画で唐突に出てくる。
この動画はちょっと面白い。
スペインに本社を持つ石油企業。個別記事あり→レプソル
この会社が支援しているレース系技術学校がモンラウ・コンペティション・スクールである。
同校については個別記事Team Monlauを参照のこと。
ドイツ・バイエルン州ミュンヘンに本社を持つ欧州最大級の金融グループ。
自動車保険や生命保険など保険も取り扱う。
この会社は「スポーツで健康になろう」という社風を持っていて、スポーツを奨励するのが好き。
夕方マラソンというマラソン大会を主催していて、#AllianzNightRunというハッシュタグが付く。
7月にカタルーニャサーキットで行われる。どうやら10kmマラソンであるらしい。
サーキットを2周ほどすればその距離になる。こちらの動画は上手くまとまっている。
「ジュニア・モーター・キャンプ」という企画も主催している。
画像検索するとだいたい察しが付くが、少年少女たちがモトクロスをして、そのなかで優秀なのが
12月にマルク・マルケスやアレックス・マルケスと一緒にトレーニングできる、というもの。
マルケス兄弟と一緒にトレーニングするのは、彼らの自宅からも近いルフェア・サーキットである。
12月で結構寒いので、みんな青いニット帽を被っている。
マルケス兄弟がもはや完全に体操のお兄さんになっている。画像1、画像2、画像3、画像4
夕方マラソンやジュニアモーターキャンプは「Laps For Life 93」という名前で運営されている。
TwitterアカウントやYoutubeチャンネルがある。
2013年の冬にチャンピオンを獲ったマルク・マルケスは、
スペイン首相マリアーノ・ラホイ・ブレイと記念撮影や握手をするイベントを拒否しようとした。
ドルナのCEOカルメロ・エスペラータが「言いたいことは首相に言ってくれていいから、
イベントだけはこなしてくれ」となだめたらマルク・マルケスは渋々応じ、
ラホイ首相に「税率が高すぎる。このままなら国外に出ます」と言った。
2014年の冬には実際にアンドラ公国に移住しようとした。
アンドラ公国はスペインとフランスの国境の山岳地帯にある小国で、税率が非常に低く、
典型的なタックスヘイブン(租税回避地)なのである。
スペインの税率は50%以上、アンドラ公国の税率は10%。
これをスペインの新聞に取り上げられ、マルク・マルケスは猛烈なバッシングを受けることになった。
「マルク・マルケスはスペインの国費で成長したのだからスペインに税を払うべきだ」との論調である。
実際、スペインは政府が2輪ライダー育成に乗り出している国柄である。
この当時はスペインが大不況でみんなロクに利益も出せず税を払えない事態だったことも拍車をかけた。
1週間近くの猛バッシングの後、マルク・マルケスは2014年12月12日にバルセロナで記者会見を開き、
アンドラ公国に家を持つがスペインに税金を払うことを涙ながらに表明した。
こちらがそのときの動画。隣にいて肩を叩いているのは親友のティト・ラバト。
ちなみに、タックスヘイブンに住んでいるMotoGPライダーは以下の通りである。
ホルヘ・ロレンソ(スイス)、ダニ・ペドロサ(スイス)、アンドレア・イアンノーネ(スイス)、
アレイシ・エスパルガロ(アンドラ公国)、ポル・エスパルガロ(アンドラ公国)、
ジャック・ミラー(アンドラ公国)、マーヴェリック・ヴィニャーレス(アンドラ公国)、
カル・クラッチロー(マン島)、ロリス・カピロッシ(モナコ)、原田哲也(モナコ)
カタルーニャ州出身者らしく、FCバルセロナのファンである。画像1、画像2、画像3、画像4
今のところ彼女はいない。彼女を作ったことはあったが、3月から11月まで世界中を転戦し、
12月から2月まではトレーニングに明け暮れるマルクとのすれ違いが大きすぎてあっさり別れたらしい。
マルク・マルケスのファンクラブがあり、スペイン開催ではサーキットの一角が赤い色で染まる。
その中には若い女子、日本風にいえば女子中学生・女子高生ぐらいの子が多いという。
レーサーになっていなかったら?と尋ねられたら「バイクのメカニックになっていた」と答えている。
生来のバイク好き。自分でマシンを整備する動画もある。
英語でインタビューに応じるときは「you know・・・(ご存じでしょうけど)」が口癖。
レースに臨む時、金曜と土曜は青色パンツ、日曜日は赤色パンツをはく。12歳の時からそうしている。
赤はラップレコード更新の時の色なので縁起がよい。この動画でも語っている。
ピットロードを通ってコースインするとき、いつも必ず開脚する。画像1、画像2、画像3
誕生日は2月17日である。奇遇にもヴァレンティーノ・ロッシの誕生日は2月16日で、1日違いである。
danone(フランスに本社がある国際的食品企業。バルセロナが創業の地)のテレビCMに出ている。
ボウリングをやったことがないのか目茶苦茶な投げ方をするが、それでストライクを取っている。
4輪の免許を持っていて運転できる。2011年2月に4輪免許を取得した。
2輪は原付しか免許を持っていない。
しばしばインタビューで「海が嫌い」と答えている。「底が見えない」「サメがいるかもしれない」
などいろいろ理由を並べている。泳ぐこともあまり好きではないらしい。
それなのに家族に海へ連れられて行くことが多い。
2018年9月、ローマ法王と謁見する栄誉に浴した。
2017年12月28日にダニ・ペドロサと共に教師に扮装、小学校に潜入している。
こちらがメイキング動画。
ちなみに12月28日は聖イノセンテスの日(Dia de los Inocentes)と言い、他愛ない嘘をついても
許される。スペイン語圏のエイプリルフールで、新聞社も張り切って嘘記事を書き飛ばす。
2014年12月28日は「来年はマルケスとロッシがスーパーバイクに行く」と書いてたし
またマルケスも同じ日に「来年はゼッケン1を付ける」と言っていた。
クリスマスと大晦日の中間にあり、気が抜けていて引っかかる人も多い。
スペイン在住のマンガ家ベレン・オルテガさんが作画を担当した伝記マンガ。3~4歳の頃から、
2013年の最大排気量クラスチャンピオン獲得までを描いている。
作画担当のベレンさんはヒューマンアカデミーの交換留学生として大阪に住んでいたことがあり、
日本語ができる。ベレンさんの他の作品はこちら。
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最終更新:2024/04/18(木) 17:00
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