クリート・ボイヤー(Clete Boyer、本名:クリーティス・リロイ・ボイヤー(Cletis Leroy Boyer))とは、元プロ野球選手である。故人。
| OB | |
|---|---|
| クリート・ボイヤー Clete Boyer |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | ミズーリ州 |
| 生年月日 | 1937年2月9日 |
| 没年月日 | 2007年6月4日 |
| 身長 体重 |
182cm 83kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 三塁手 |
| プロ入り | 1955年 |
| 引退 | 1975年 |
| 経歴 | |
選手歴
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|
| プロ野球選手テンプレート | |
フランス人の父とドイツ人の母のもと、13人兄弟の四男として生まれた。貧しい生活ながら男兄弟6人全員がプロ野球選手となり、中でも次男のケン・ボイヤーは後にMLB通算2000本安打を記録している。
高校を卒業後、その才能を評価され1955年にカンザスシティ・アスレチックスと契約。
マイナーリーグを経験せず、初年度からメジャーの舞台で47試合に出場。
1957年途中にニューヨーク・ヤンキースに移籍。1958年はマイナーリーグで生活し、1959年メジャー昇格。
1960年からサードのレギュラーに定着し、主力としてヤンキースのアメリカンリーグ5連覇やワールドシリーズ連覇にも貢献。1964年のワールドシリーズでは兄のケンとの兄弟対決も話題となった。
1967年にはアトランタ・ブレーブスに移籍。移籍初年度には27本塁打を放ちブレーブスでも主力として活躍。1969年には守備力が評価され、ゴールドグラブ賞を受賞している。
1971年、「満足なコーチが一人もいない」と首脳陣を批判。この発言を問題視したフロントと対立。ボイヤーはトレードでの移籍を希望し複数球団が獲得に動き出したものの、ブレーブスのフロントがこれを拒否。結果、メジャーでのプレーが困難になったことから、同年途中からハワイ独立リーグのハワイ・アイランダーズでプレーすることとなった。
同年オフ、この年アイランダーズから獲得した選手が失敗に終わった大洋ホエールズに対し、アイランダーズの幹部がそのお詫びと新たな売り込みのために来日。このとき大洋にボイヤーを紹介し、ボイヤー自身も「まだまだやれることをアメリカ中にみせてやりたい」とMLB時代の半額以下の給料ながら交渉成立、大洋に入団が決まった。
1972年、ボイヤーはすぐにチームに溶け込むと、99試合の出場で打率.285、18本塁打、51打点の成績を残し、守備面ではメジャー仕込みの守備を披露し、鉄壁の内野陣を形成した。
1973年からはコーチ兼任としてプレー。1973年には長嶋茂雄と同票で、1974年には長島茂雄を抑えてダイヤモンドグラブ賞を受賞している。
1976年、大洋で守備コーチに就任。秋山登監督の下で監督の補佐役としてヘッドコーチ的の役割をこなすもののチームは低迷、終盤戦には監督は秋山のまま指揮はボイヤーがとる奇妙な状態となっていた。大洋はこの年限りで退団。
以降はオークランド・アスレチックスや古巣ヤンキースのコーチとして活動した。
来日時には全盛期を過ぎていたものの長打力は健在で、毎年20本塁打近く放ったパワーヒッター。メジャー仕込みの守備力の高さは衰えておらず、米田慶三郎やジョン・シピン、松原誠らとともに鉄壁の守備陣を形成した。
ボイヤーの技術や練習姿勢は、大洋のチームメイトのみにとどまらず他球団からも高く評価され、彼を慕う選手たちから「ティーチャー」と親しまれた。ボイヤーも技術や野球に対する姿勢を伝授し、チームに好影響を与えた。
指導者として選手の素質を見抜く力や指導力の高さも評価が高く、整理対象となっていた高木由一をチームに留めた他、田代富雄や山下大輔らを育て上げ、ヤンキースではデレク・ジーターを育てた。
外国人選手たちの親分的な役割も担い、アパートに招待しパーティを開いたり、ホームシックにならないよう電話を貸し出し、国際電話の費用を負担することもあった。ときには他球団の選手が来ることもあったようである。
また、義理堅い一面もあり、シーズン中に負傷しクビを覚悟し帰国を決意した際、球団代表から「じっくり治療すればいい、もし治らなければコーチとして働いてほしい」と直筆の手紙を受け取り感動。この年のオフの契約更改には「適当に書き入れてもらえば結構」と白紙の契約書にサインし帰国。契約内容や金額を球団に一任した。
大洋・横浜でスカウトとして数々の名助っ人を発掘してきた牛込惟浩氏は、ボイヤーの成功が後のスカウト生活で活きたと述懐していた。
ヤンキースのコーチ退任後はハンバーガーレストランを経営。ヤンキースの往年の名選手の名を冠したハンバーガーやサンドイッチが好評で、ボイヤー自身も頻繁に店に足を運び来店客と談笑したりサインを書く姿もよく見られたという。
| 通算:20年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB:16年 | 1725 | 6365 | 5780 | 645 | 1396 | 162 | 654 | 41 | 37 | 53 | 470 | 25 | 931 | 136 | .242 | .299 |
| NPB:4年 | 419 | 1589 | 1486 | 142 | 382 | 71 | 218 | 1 | 5 | 5 | 88 | 4 | 181 | 52 | .257 | .300 |
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最終更新:2025/12/05(金) 17:00
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