ケン・グリフィー・ジュニア(Ken Griffey Jr.、1969年11月21日-)とは、アメリカ合衆国出身の元メジャーリーガー(外野手)である。
| OB | |
|---|---|
| ケン・グリフィー・ジュニア Ken Griffey Jr. |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | ペンシルベニア州 |
| 生年月日 | 1969年11月21日 |
| 身長 体重 |
188cm 104kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投左打 |
| 守備位置 | 外野手、指名打者 |
| プロ入り | 1987年 |
| 引退 | 2010年 |
| 殿堂入り | 2016年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年 |
| メジャーリーガーテンプレート | |
1987年のMLBドラフトで1巡目全体1位指名を受けてシアトル・マリナーズに入団。1989年にメジャーに昇格するとマリナーズ不動の中堅手となった。ちなみに1990年には父のシニアもマリナーズに移籍してきたため、1991年までの2年間親子で同じチームで同時に現役選手としてプレーすることになった(史上初)。
1999年オフに移籍するまでMVP1回、本塁打王4回、打点王1回、ゴールドグラブ賞10回とメジャー屈指の5ツールプレイヤーとして名を馳せた。
1999年オフに父のシニアが在籍していたレッズに移籍。しかし長年人工芝のセーフコ・フィールド(現:T-モバイル・パーク)でプレーしてたことが原因となる慢性的な故障によりマリナーズ時代ほどの活躍はできなくなっていた。
2005年は128試合の出場で打率.301、35本塁打、92打点を記録し、オフにカムバック賞を受賞した。
2008年のシーズン途中にシカゴ・ホワイトソックスに移籍し、41試合に出場した。
2009年に古巣マリナーズに復帰し、指名打者として活躍する。
マリナーズの特別コンサルタントに就任。2016年1月には当時史上最高となる99.3%の得票率でアメリカ野球殿堂入りを果たした(後にマリアノ・リベラの得票率100%で記録を更新されている)。
メジャー屈指の5ツールプレイヤーとしてウィリー・メイズと並び称されるほどの選手。実力のみならず気さくで優しい人柄から絶大な人気を誇る。またこの時代に蔓延していたステロイドその他の薬物とは一切無縁のクリーンな選手(なおその理由がそもそも怠け者でステロイドに手を出してまで成績を伸ばそうとしなかった)ということも彼の評価を更に上げる要因となっている。
またグリフィーに憧れて野球の道を志した選手は多い。特にアフリカ系アメリカ人選手からは神様のように尊敬されており、C.C.サバシアやアンドリュー・マカッチェンなどがグリフィーに憧れて育ったことを公言している。
父はシンシナティ・レッズ全盛期(ビッグレッドマシン)の主力打者であったケン・グリフィー・シニア。ちなみにNPBの外国人打者通算最多本塁打記録を持つタフィ・ローズとは幼なじみで、子どもの頃は家族ぐるみの付き合いのある仲だった。
イチローはオリックス時代にテレビ企画でグリフィーと対面しグリフィーを憧れとしている。奇しくもグリフィーのレッズ移籍から2年後にマリナーズに入団することとなり、同じマリナーズのスター選手という環境ながら共にプレーすることはなかったが、2009年にグリフィーのマリナーズ復帰によりチームメイトとなる。この2人はやたらと仲が良く、中継ではじゃれ合う2人がよく見られた。
| 通算:22年 Total |
試 合 G |
打 席 PA |
打 数 AB |
得 点 R |
安 打 H |
二 塁 打 2B |
三 塁 打 3B |
本 塁 打 HR |
打 点 RBI |
盗 塁 SB |
犠 打 SH |
犠 飛 SF |
四 球 BB |
死 球 HB |
三 振 SO |
併 殺 打 GDP |
打 率 AVG |
出 塁 率 OBP |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB | 2671 | 11304 | 9801 | 1662 | 2781 | 524 | 38 | 630 | 1836 | 184 | 8 | 102 | 1312 | 81 | 1779 | 199 | .284 | .370 |
| 機構 | 守備位置 Pos |
試合 G |
刺殺 PO |
補殺 A |
失策 E |
併殺 DP |
守備率 Fld% |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB |
中堅手 | 2145 | 5147 | 141 | 76 | 41 | .986 |
| 左翼手 | 11 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
| 右翼手 | 231 | 456 | 12 | 13 | 2 | .973 | |
| 一塁手 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| タイトル | |||
|---|---|---|---|
| MLB | 最多本塁打 | 4回 | 1994年、1997年-1999年 |
| 最多打点 | 1回 | 1997年 | |
| 表彰 | |||
| MLB | プレイヤー・オブ・ザ・マンス | 2回 | 1990年4月、1997年4月 |
| ゴールドグラブ賞 | 10回 | 1990年-1999年 | |
| シルバースラッガー賞 | 7回 | 1991年、1993年、1994年、1996年-1999年 | |
| MVP | 1回 | 1997年 | |
| カムバック賞 | 1回 | 2005年 | |
| WBC | ベストナイン | 1回 | 2006年 |
| その他 | |||
| MLB | MLBオールスターゲーム選出 | 13回 | 1990年-2000年、2004年、2007年 |
掲示板
1
2018/03/18(日) 06:09:28 ID: 9aaBltchsD
おおいつの間にか大百科が出来てたのか。
千本アンドロイドと呼ばれてホームラン量産してた頃、ケリーウッドと共にどんな通算成績残すか楽しみにしてたけど、二人とも消化不良だったね。
グリフィーに関しては十分凄い成績だったけど、それでもたられば言いたくなる選手だった。
最適解のスイングを持つボンズと美しいスイングのジュニア。二人とも5ツールプレイヤーで二世選手で左投げ左打ちで好きな選手だった。
ジュニアはとにかく美しいプレイと愛嬌あるキャラクターを持つスーパースターで、ソーサとマグワイアがホームラン記録で競い合ってた盛り上がった年のオールスターのパンフがそれでもジュニアがメインの写真だったのが印象的。
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最終更新:2025/12/06(土) 01:00
最終更新:2025/12/06(土) 01:00
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