セルジオ・レオーネ(1929-1989)とは、1960年~1980年頃に活躍したイタリア人映画監督である。『マカロニ・ウェスタン』と呼ばれるイタリア製西部劇ブームの火付け役として有名。
その生涯に7本しか監督として作品は発表してはいないが、デビュー作『ロード島の要塞』(正確にはこれ以前に監督代役として演出しているがクレジットはされていない)以外のいわゆる『ドル箱三部作』『ワンス・アポン・ア・タイム三部作』の作品群は映画史に残る傑作として現在でも愛され、リスペクトを公言する映画人も多い。
元々はローマでイタリア人監督の父親と女優の間に生まれた生粋の映画一家。戦時中のファシズム政権の最中あったイタリアで育つうちにアメリカの自由性とアメリカンドリームという言葉に溢れた自由の国アメリカへの強い憧れと尊敬を抱き、この想いが後に彼が製作する作品群に色濃く反映されている。
17歳で映画業界に飛び込み助監督などを経験し、監督としての地力を築いていく長い下積み時代の後(1960年頃)、レオーネはとある日本映画に深い感銘と衝撃を受ける。黒澤明監督『用心棒』である。レオーネはこの『用心棒(1961)』を西部劇風に翻案、『荒野の用心棒(1964)』として監督に乗り出す。作品は低予算ながら全世界で大ヒットを記録し、俗にいう『マカロニ・ウェスタン』旋風を巻き起こすと同時に、長く燻っていたクリント・イーストウッドを一躍スターダムに押し上げることに成功している。
ただし、この『荒野の用心棒』は盗作であるとして原作の黒澤明及び黒澤プロから起訴されており、多額の賠償金を支払うこととなってしまう。
レオーネ「『用心棒』めっちゃおもろいやんけ。なんとかリメイクしたいわ」
レオーネ「せや! 監督の黒澤明に手紙出して許可もらお!」テガミオクルデー
黒澤明「なになに? 『用心棒』を西部劇風にリメイクしたいやと? イタリア人が西部劇ってなに考えとんねん。無視や無視」テガミポイー
レオーネ「黒澤から返事こーへん……」
レオーネ「ってことはOKってことやな! よっしゃつくるでー!」
以上のようなやりとりがあったとかなかったとか。
とはいえ、レオーネの演出や生々しい暴力シーンの連続は映画界に衝撃を与え、レオーネは一流の映画監督として名を上げていく。
その後も『夕陽のガンマン(1965)』『続・夕陽のガンマン(1966)』と巨編を発表。すべてにクリント・イーストウッドを主演に迎え、そのアンチヒーロー的主人公は衝撃とともに大歓迎され、ジャンルを問わずその後の創作物に多大な影響を与えることになる。
『続・夕陽のガンマン』でのイーストウッドの出演料は、出世作である『荒野の用心棒』の総製作費を軽く超えるものになっていたという。
この頃からレオーネはハリウッドに招待され、巨額の製作費を投じ、スター俳優を起用した西部劇の監督を打診されるが、それを断り、西部劇の枠組みを超えた大巨編『ウエスタン』の製作に取り掛かる。
自身が持つ壮大なアメリカ像をふんだんに盛り込み、愛すべき西部劇に捧げた野心作であり、後に『ワンス・アポン・ア・タイム三部作』と呼ばれる作品群の一作目であった。また悪役にヘンリー・フォンダを起用しアメリカ全土に衝撃を与えた。これは、当時ヘンリー・フォンダという俳優がスクリーンの中で「アメリカの善人」としての立場を確立していたことに起因し、結果的に「ヘンリー・フォンダの悪役」に抵抗を感じたアメリカではそれほどのヒットに恵まれなかった。(フランスと日本ではヒットを記録する)
1971年、革命劇と西部劇を織り交ぜ男二人の友情を壮大かつ情緒的に描いた『夕陽のギャングたち』を監督した後、10年以上監督業から遠ざかり、映画のプロデューサーやCMのディレクターなどをしながら日々を過ごす傍ら、脚本仲間とともに一本の大巨編の脚本を完成させる。
『ワンス・アポン・ア・タイム三部作』の最後を飾る大巨編であり、レオーネの遺作である『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984)』である。
ニューヨークに住むユダヤ系のギャングたちの生涯を情緒豊かに描き切り、アメリカへの憧憬をそのままスクリーンに映し出したようなレオーネ渾身の一作。
完成までに10年以上の歳月をかけ、巨額の製作費を投じ公開されたこの作品は総尺205分という長尺であった。それに難色を示した映画会社は独断で大幅に尺を削り、さらには過去と現在が交錯するという脚本的演出を「わかりにくい」の一言で時系列順に並び替え、挙句の果てにはレオーネ作品の常連だった巨匠音楽家エンニオ・モリコーネの劇伴をすべてカットするという暴挙に出た。
当然の如く公開されるやいなや酷評の嵐で、レオーネは「フィルムをズタズタにされた」と友人に辛い心境を吐露していたという。
後年、オリジナル版や、レオーネ再編集版などが公開されると手のひらを返したかのように絶賛されギャング映画の傑作として評価される。
1989年、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の製作後、レオーネはレニングラード包囲戦を描いた戦争映画に着手するが、長年に渡る健康不良と映画製作の疲労による心臓発作で突如この世を去る。60歳という若さであった。
盟友クリント・イーストウッドが「最後の西部劇」と銘打って監督を務め、1992年に公開された『許されざる者』は同じく映画監督ドン・シーゲルとともにレオーネに捧げられた。
その生涯を通して大きな映画賞の受賞経験はなかった。(ゴールデングローブ監督賞などが最高)これは彼の作品群は当時は娯楽映画としての一面ばかりが大きく取り上げられたことと、当時としてはあまりにも生々しい暴力表現が芸術として足り得ないと蔑まれていたことが原因と考えられており、近年再評価され芸術面としてレオーネの映画を高く評価する傾向になりつつある。
前述したとおり生涯に7本の作品を残してこの世を去ったレオーネだが、その作品は映画史に燦然と輝き、今なお多くの映画ファンを唸らせ熱中させている。
非常に喜怒哀楽が激しく、ユーモアに溢れ、情熱的で、スタッフにも俳優にも愛され、いつまでもアメリカにあこがれ続けていた恰幅のいい髭面の「少年」は今も天国でフィルムを回し続けている、のかもしれない。
セルジオ・レオーネの演出は一見してレオーネ作品だとわかるほどに特徴的で効果的なものが多い。
これらの演出は後年の映画人に多大な影響を与えており、クエンティン・タランティーノやジョン・ウーなどが影響を受けたことを公言している。
この他に自動車のCMのディレクターや西部劇『ミスター・ノーボディ』のプロデュースなどを手掛ける。
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最終更新:2025/12/16(火) 09:00
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