一般民衆の大半は...小さな嘘よりも大きな嘘の虜になりやすいものだ。
「とにかく、ただただ悪いファシストという種類の人がいる。この人は、常日頃から、戦争とか侵略とか少数民族抑圧とか管理社会化とか悪いことばかり考えている。何故悪いことばかり考えているかというと、それは当然、その人がファシストだからである。その人は何故ファシストなのかというと、決まってるじゃないか、悪いことを考えている人だからである。とにかくね、いるんです、悪いのが、ファシストっていう」
選挙で何かが変わると思ったら大間違いだ!外山恒一
ファシズム(Fascism)とは、20世紀前半、第一次世界大戦後から第二次世界大戦にかけて隆盛を迎えた、独裁的・抑圧的・国粋主義的な傾向を特徴とする政治運動・思想である。
最も狭義のファシズムとは、イタリアのベニート・ムッソリーニによって主導されたファシスト運動、及び国家ファシスト党の体制を指す。より広義には、直接間接にイタリア・ファシズムの影響を受けた、ドイツの国家/国民社会主義(ナチス)、スペインのファランヘ党、ポルトガルのエスタド・ノヴォ、日本の軍国主義体制(いわゆる「天皇制ファシズム」「日本ファシズム」)など類似の政治体制を含める。最も広義には、政治的に「お前の態度が気に入らない」という時に、対象の独裁的・抑圧的傾向を非難するためのマジックワードとして用いられる。以降、本稿ではイタリア・ファシズムより広義の「一般概念としてのファシズム」について主に取り扱う。
ファシズム(Fascism)という語は、古代ローマ時代の「fasces( ファスケス:束桿斧)」に由来する。これは斧の周囲に棒を束ねて巻きつけた形状をしており、権力の象徴として警士が捧げ持っていたものである。ファスケスという語自体は「ファクティオー(束ねる)」という動詞が変化した、「束ねられたもの」を意味する。19世紀に入るとこの語に由来する「ファッシ(単数形ではファッショ)」という語が様々な政治的集団を指す意味で使われるようになっていたが、上述のムッソリーニがイタリアにおいて国家ファシスト党政権を成立させると、以後はほぼこのファシスト政権の体制・思想を指すようになった。
すでに述べたとおり、ファシズムとはなにか、という認識については各者大きく振れ幅があり、厳密に定義することには困難がともなう。そもそも「ファシズム」という概念に対しては「民主主義」「保守主義」「共産主義」のような対応する訳語すら定着していない時点でわりとお察しである。
その理由の一つとして、ファシズムが多くの場合「ファシズムの運動」が先行して、そののちに「ファシズムの思想」が後をおう、という展開をたどってきたことがある。そこで、ここではまずファシズム運動の背景にある歴史的状況の要素と、ファシズム運動の形態的な特徴、そしてやがて成立するファシズム「思想」およびファシズム「体制」の持つ性格を、イタリアとドイツの事例を元に列挙することから始めたい。
ファシズム運動が本格的に活性化するのは第一次世界大戦終結直後である。後にファシズムそしてナチズムが勃興することになるイタリア・ドイツにおいては
といった不安定な条件がそろっていた。これらの条件は、やがて「反ヴェルサイユ体制(極東-日本においては反ワシントン体制)」「反コミンテルン」というファシズムの基本的性格を形成していった。
この反ヴェルサイユ-ワシントン体制、反コミンテルンという規定は、国内に目を向けてみれば、組織化された労働者大衆と、国際的大資本の間で不安定化する中間層(手工業者、中小商店経営者などの自営業者、官吏、ホワイトカラーなど)の問題として捉えなおすことができる。実際、大衆運動としてのファシズムの担い手となったのは、これら揺動する中間層であった。
これらの中間層に基盤を持つファシズム大衆運動であるが、イタリア、ドイツともにその形態に着目してみると、以下のような要素が共通して見られる。
もちろん、この時期においては、ファシスト以外に、保守主義や共産主義の陣営においても、類似の大衆動員運動が存在したのであるが、すでに19世紀以前から存在したそれらの政治的潮流に対して、ファシズム運動は「反(コミンテルン)革命」「反伝統主義」「反資本主義」「反国際主義」といった自己規定を与えることで、その思想的位置を模索しはじめる。
そのような過程を経て構築されたファシズムの思想については、おおむね以下のような要素を見て取ることができよう。
やがてムッソリーニのファシスト党、ヒトラーのNSDAPなど、ファシストは単なる大衆的運動を超えて政権の中枢にいたるのだが、「ファシズム体制」の典型例とみなされることの多いこの両者の間にあっても、その時期、政権に至る過程などなど、差異は大きい。しかし、あえてファシズム体制の特色とみなしうる要素を列挙すれば、次のようになるだろう。
今あげた3つの要素を見てお気づきの人もいるかもしれないが、この3つだけではファシズムとスターリンのソ連において猛威を振るったような全体主義、恐怖政治との区別は困難である。そのため、ファシズム体制の第4の要素として「権威主義的反動と擬似革命の政治的同盟」という概念が研究者によって提唱されている。この同盟理論に関しては、詳細は後述する。
ここまで、ファシズムの運動、思想、そしてファッショ的支配体制において見られる要素を列挙してきた。では、ファシズムとその他の政治体制を区別するのは一体なんだろうか。先程述べたとおり、その支配体制の形態、特にその内外における暴力の苛烈さに着目した場合、ファシズム(の極致としてのナチズム)と、スターリニズムはいくつかの点で際立った類似性を見せる[1]。また、ほかならぬファシズム運動の元祖とも言えるムッソリーニをはじめ、ファシズムが社会主義の影響を強く受けてきたことも事実である。一方で、日本、スペイン、ポルトガルといった諸国において見られた抑圧的性格を持った支配体制も、イタリア・ドイツにおける典型的ファシズム支配とはその条件や性格を異にしながらも、しばしばファシズムの範疇に数えられる。
では、他の政治体制とファシズムを明確に区別するポイントはどこにあるのか。あるいはそのような特徴がそもそも存在するのか…というのが、実はファシズム研究(比較ファシズム論)という分野のキモであり、多くの研究者が様々な見解を展開してきた部分である。ここでは、その一つの解釈として、ほかならぬ「日本ファシズム」の分析に端を発する「権威主義的反動と擬似革命の政治的同盟」というファシズムの規定を紹介しておくこととしたい。
昭和初期から第二次世界大戦敗戦に至る日本の政治権力がファシズムに該当するかどうか、というのはかねてから議論の的となっていた点である。日本においては、行政権力の立法府に対する優越、特高警察や憲兵隊などによる制度化されたテロ、国粋主義の称揚など、明らかにその政治支配体制においてファッショ的性格を見ることができるが、一方でイタリア・ドイツに見られたようなファシスト政党、ファシスト私兵集団、大衆動員に基盤を持つファシズム政治運動などが、既存政治体制に取って代わることはなかった。また、そもそも第一次世界大戦の直接的影響など社会的状況においても伊独とは隔たりがあることも事実である。
こうした日本の状況をさして、具島兼三郎・丸山正男らは[2]既存の権力がファッショ化する「上からのファシズム」と呼び、伊独において見られた大衆運動に立脚する「下からのファシズム」と対比させた。日本のファシズムを「上からのファシズム」、伊独の(真性)ファシズムを「下からのファシズム」と二分する丸山の理論は、各国の状況を単純化しすぎているという批判もあったが、ファシズム体制の形成において2つの力の流れ、下からの大衆運動の力と、上からの反動化した既存保守勢力からの力の流れがあるという指摘は、イタリアやドイツのファシズム、あるいはスペインのフランコ体制やポルトガルのエスタド・ノヴォを比較ファシズム論の枠組みに組み入れるのに有効であった。
つまり、一方では街頭での大衆動員に立脚し、既存体制の(擬似)革命[3]による打破を志向するファシズム運動があり、もう一方の側に、反動化する権威主義的保守勢力があって、その政治的同盟によって成立するのがファシズム体制である、という考え方である。これが先述の「権威主義的反動と擬似革命の政治的同盟」理論である。この理論に従えば、ファシズム体制にも伊独のようなファシズム運動を基盤とする革命的性格の強いものと、日本などのように既存権力体制がファッショ化した権威主義的性格が強いものがあって構わないのであり、また、一国のファシズム体制の中においても、革命的性格が強い局面と権威主義的性格が押し出される局面がありうるのだということも説明可能になる。
また、この理論を援用すれば、ファシズム全体主義と共産主義的全体主義をある程度区別することが可能になる。ファシズム体制においては、共産主義では徹底的に排撃される既存保守勢力が残存し、むしろ保守派との政治的妥協の中で、ファシズム政党の社会革命的性格が骨抜きにされていくこととなる。
一方で、このファシズムの擬似革命性は、ファシズムと単なる権威主義保守反動を峻別することを可能とする。例えば、日本ファシズムにおいては、「下からのファシズム」の萌芽であった皇道派将校や民間の国家主義運動が失速した後において、統制派将校や革新官僚による「新秩序」「新体制」が称揚されたことは、ファシズムの擬似革命性の現れとして見ることができる。
山口定によって提唱されたこの同盟理論は、その「権威主義的反動」の定義のあいまいさなどについて批判はあるものの、ファシズムの定義を精緻化し、その後の比較ファシズム研究に続く道を作った点で現在でも評価されている。
第二次世界大戦の終結に伴い、イタリア、ドイツ、日本において、ファシズム体制は終焉を迎えた。世界大戦中中立を維持したスペインやポルトガルでは、第二次世界大戦終結後も体制は維持され、冷戦構造の中で再び西側世界に組み込まれていったが、指導者の死去や失脚にともなって民主主義政治体制に移行し、戦間期に端を発したファシズム的支配体制は終焉を迎えた。
その後も、排外主義や国粋主義を唱える様々な政治勢力が多くの国で興隆と衰退を繰り返してはいるが、そのほとんどはあくまでも極右政党とでも呼ぶべき存在であり、現代の社会において、かつての伊独のファシズムに比すべき、真性ファシズムと呼びうるような政治勢力は、少なくとも影響力を持った集団としては存在しないと言っていいだろう。
一方で、「ファシズム」「ファシスト」という用語[4]は、未だしばしば「お前の態度が気に入らない」というだけのことを表明するための便利ワードとして一部で乱用される傾向にある。
この記事にここまでお付き合いいただいた諸兄諸姉にはご明察のことと思うが、ファシズムという思想、あるいは現象は極めて複雑で実態をつかみにくいものである。自分が使っている語の概念を深く省みることもなく、安易にノリと勢いだけで「ファシズム」「ファシスト」を口走るような言説に出会ったら、それだけでマユに唾つけて聞いておくのもひとつの見識であるものと、筆者としては僭越ながら忠告差し上げるものである。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/25(月) 21:00
最終更新:2024/11/25(月) 21:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。