荒野の用心棒単語

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「荒野の用心棒」とは、1964年イタリア制作されたマカロニ・ウェスタンである(日本では1965年アメリカでは1967年開)。
原題名はイタリアでは「Per un pugno di dollari」、アメリカでは「A Fistful of Dollars」直訳するといずれも『一握りのドルのために』という意味である。
監督セルジオ・レオーネ 演:クリント・イーストウッド 音楽エンニオ・モリコーネp>

概要

黒澤明の「用心棒」を西部劇に置き換えた物語マカロニ・ウェスタンの最高傑作とも言われている。哀愁漂う口笛メロディ、残虐な暴力シーンしいガンファイトが特徴的で、この映画ヒットを皮切りにマカロニ・ウェスタンは1973年まで量産された。セルジオ・レオーネやその他のスタッフ達がイタリア用心棒を試写会で鑑賞して感銘を受けたことが制作の発端であるが、黒澤本人には制作許可を得ていなかった。1960年代当時、日本映画海外では売れず、映画業界からも軽視されている潮にあった事が起因していたと言われている。これを受けて「用心棒」側の制作会社である東宝レオーネ達を著作権告訴東宝が裁判に勝ち取り、「荒野の用心棒」の日本の権利は正式に黒澤に譲渡された。

演を務めたクリント・イーストウッドアメリカTV西部劇ローハイド」で元から知名度はあったが、この映画に続く「夕陽ガンマン」、「続・夕陽ガンマン」所謂ドル箱三部作の出演でマカロニウェスタンの世界ヨーロッパ全域にもその名が知れ渡るようになった。イーストウッドもまた黒澤映画ファンであり、脚本を読んでしばらくして、内容が用心棒モデルにしている事を察し、残酷ながら非常に知的だと述べている。

日本語吹替について

日本語吹替版は初めて放送されたのは1971年放送のテレビ朝日日曜洋画劇場」でのこと。しかしこの時、イーストウッドを吹き替えたのは専属声優である山田康雄ではなく納谷悟朗であった。「ローハイド」のイーストウッドは優男のイメージだったが、反対に「荒野の用心棒」では強い男に仕上がっていたため、プロデューサーはチャールトン・ヘストンクラーク・ゲーブルといった強い男を吹き替えていた納依頼した。これに対し納山田に対する配慮から当初断ったが、それでもプロデューサーが引き下がらなかったため、山田と話し合って引き受けたという経緯がある。
その後、放送権はTBSテレビに譲渡され、1974年放送の「月曜ロードショー」でも放送されたが、ここでもイーストウッドは山田ではなく夏八木勲といったTVドラマ俳優吹き替えていた。1976年に同じく「月曜ロードショー」で放送された時にはようやくイーストウッドを山田吹き替えバージョンが新規に制作された。1979年に再びテレビ朝日日曜洋画劇場」で放送された時もイーストウッドを山田吹き替え直され、コチラは脇役吹き替え及び翻訳は納バージョンとほぼ同じである。

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最終更新:2023/12/05(火) 06:00

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