ダビド・ナルバンディアン(David Nalbandian)とは、アルゼンチンのメタボ元テニス選手である。
David Nalbandian | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アルゼンチン |
出身地 | アルゼンチン:コルドバ |
生年月日 | 1982年1月1日 |
身長 体重 |
180 cm 79 kg |
選手情報 | |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
デビュー年 | 1998年 |
引退年 | 2013年 |
テニス選手テンプレート |
1980年代前半生まれ、いわゆるニューボールズ世代の代表的選手の一人。
ATPツアーでの優勝はあまり多くないが、四大大会の全てで準決勝進出経験を持つなど、どのコートでも実力を発揮できるオールラウンドな選手である。ロジャー・フェデラーより1歳若く、アンディ・ロディックと同年代だが、実は彼らより先に2002年のウィンブルドンで四大大会決勝に進出している(レイトン・ヒューイットに敗れて準優勝)。翌2003年から2007年まで年末ランキングでTOP10に入り続けた。キャリア最高ランキングとして2006年シーズン中に3位を記録したことがある
フェデラー、ラファエル・ナダルのような安定した強さは無いがハマッたときは非常に強い。2007年終盤のマドリッドでは当時のランキングTOP3(1位フェデラー、2位ナダル、3位ノバク・ジョコビッチ)を全員下して優勝する離れ業を演じている。さらに2週間後のパリでもフェデラー、ナダルを下して優勝した(余談ながらこの年は全米オープン終了時点で20位台だったランキングを終盤一気にTOP10まで押し上げたため、揶揄なのかジョークなのか「年末調整」と表現する人もいた)。
2009年の全仏オープン前から2010年全豪オープンまで故障離脱していたため、ランキングも一旦100位以下まで落としてしまう。2010年8月第1週のワシントンの大会で待望の復帰後初優勝を果たしたが、これが最後のツアータイトルになってしまった。この年終盤から翌2011年前半にかけて20位近くまでランキングを戻したが、ワシントンでの優勝のポイントが失われた2011年8月以降は四大大会でシードの付かないランキングに低迷してしまっていた。
2012年、ウィンブルドンの前哨戦であるクイーンズ大会で決勝に進出。マリン・チリッチ相手に第1セットを奪い、久しぶりの優勝(かつ芝では初優勝)が期待されていた。ところが第2セットでブレイクされたところでフラストレーションを爆発させて線審の足元に合った看板をキック、蹴った看板が線審の足を直撃して流血沙汰になってしまう。この行為が暴力行為であるとして、まさかの失格負けに。三十路にもなるいい大人が何やってんの…。優勝をふいにしただけでなく同大会での獲得ポイントと賞金も没収、さらに罰金も科せられている。中途半端な幕切れに観客からもブーイングが上がり、勝ったチリッチも素直に喜べる状況ではなく、非常に後味の悪いものになってしまった。この行為で幸運を逃がしてしまったのか、その後は故障もあって良いところ無くシーズンを終えることになった。
2013年10月1日に現役引退を発表。この年は当初から全豪オープンを欠場するなどツアーは程々にデビスカップに注力する体制をとっていた。彼は以前からデビスカップに積極的な選手として知られている。ワールドグループの1回戦と準々決勝のダブルスでいずれも勝利に貢献したが、肩を故障して5月に手術を受けた後、そのまま復帰できずに引退となった。アルゼンチンはナルバンディアンが代表入りして以降で3回決勝進出しているが、ついに優勝できずに終わってしまった。11月23日に引退記念のエキシビションを開いており、ナダル、ジョコビッチ、ファン・モナコらが参加している。ツアーでの最後の決勝進出は2月のサンパウロ大会だったが、このときの対戦相手もナダルだった。3月のマイアミ大会で1回戦負けしたのが最後のツアー公式試合となった。
引退後はラリー(注:モータースポーツの方)に力を入れている模様。現役当時からラリーのほかに釣りなど多趣味で知られていた。
ナルバンディアンはジュニア時代から「フェデラーの天敵」として知られていた。2003年の全米オープンではウィンブルドンで初優勝したばかりのフェデラーをきっちり下している。この時点での対戦成績はなんとナルバンディアンの5戦全勝だった。フェデラーがNo1に定着してからは対戦成績も逆転されたが、最終的な対戦成績は8勝11敗で他の同世代の選手に比べればよく食い下がっていたと言える。No1経験後のフェデラーから3勝しているが、近い世代の有力選手ではロディック、ヒューイットが2勝、マラト・サフィンも1勝しかできていない(ヒューイットは2010年ハーレの決勝で勝つまで対フェデラー15連敗中だった)。
2005年マスターズカップでは決勝でフェデラーを下して優勝したが、この勝利はフェデラーの年間最高勝率タイ記録を阻止する大きな1勝となった(ATPの年間最高勝率は1984年ジョン・マッケンローの82勝3敗で勝率.965。フェデラーは決勝で勝てばこの記録に並んでいた)。またフェデラーはATPツアー決勝での連勝記録も継続していたが、こちらも24でストップとなった。
彼が登場する動画を見るとコメントやタグに「腹」と言う単語がよく出てくる。2ちゃんねるのテニス板/実況板では、一時期非常に立派になっていた彼の体型から、親愛の情を込めて「腹」と呼んでいたのである。その後はおとなしくなったのだが結局呼び方は変わらなかった模様。あくまでも「愛すべきデブ」的な扱いとはいえ「どうしてこうなった」と思わざるを得ない。
ネタキャラ扱いされているが動画を観ればハマった時の強さが判るだろう。特にバックハンドのアングルの付け方は神がかっている。
掲示板
2 ななしのよっしん
2012/04/30(月) 01:42:33 ID: i6mVgoiHHW
3 ななしのよっしん
2012/11/30(金) 13:01:25 ID: 5pMaphQ6Oj
ナルバンディアンの記事なのに、マッケンローの凄まじさを思い知らされた(笑)
4 ななしのよっしん
2013/05/02(木) 23:15:01 ID: AimTWayy5f
ナルの世代のアルゼンチン選手は一時スペインを凌ぐくらい層が厚かったな。
スペインもアルゼンチンもクレーに強いストローカーが多いけど、アルゼンチンの方がオールラウンダー寄りの上手さがあった。
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最終更新:2024/04/27(土) 03:00
最終更新:2024/04/27(土) 03:00
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