フランクリン・ルーズベルト(1882~1945)とは、アメリカ合衆国の第32代大統領である。アメリカ民主党出身。正式な名前はフランクリン・デラノ・ルーズベルト(ローズベルト、ローズヴェルトとも表記)。第26代大統領であるセオドア・ルーズベルトは従兄に当たる。
世界恐慌、第二次世界大戦当時の合衆国大統領。二十世紀前半の世界史における中心人物の一角である。彼のニューディール政策は自国経済を恐慌のどん底から復活させたと米国内では高評価されている。ラジオを通じ国民とのコミュニケーションを重視し、歴代アメリカ合衆国大統領のランキングでの人気投票では毎回ほぼ上位5傑に入る等、現在も同国民からの支持は根強い。
その一方、ソ連の書記長スターリンに対する容共的な外交を行い、その侵略行為を黙認したことには批判される。中華民国(当時)に対しては日中戦争の際に蒋介石を強く支持し莫大な支援の行い媚中と言われた。
アメリカ大統領史上、唯一四連続による当選を成し遂げた大統領である。初代ジョージ・ワシントンが三選までを固辞した故事から大統領は二選までというのがそれまでの慣例だったが、戦時・有事を理由とし40年、44年の大統領選に立候補し当選。後に憲法が改正(第22条)、正式に大統領は2期までと定められた為以降はこの経歴に並ぶ大統領は現れないと思われる。
彼の内政によるアメリカ経済の回復は同時に、第二次世界大戦開戦前までの間、デトロイトの大工業地帯を枢軸国に対する「民主主義の兵器廠」に発展させる。これは戦後、同国が国際的な覇権を握る原動力となる。彼の平和に対する国際組織の展望は死後、国際連合として実現した。
彼の評価は主義の違いで大きく分かれる。自由主義(リベラル)から見ればニューディール政策をはじめとするケインズの福祉国家的政策は「恐慌対策を具体化した」として評価され、「本格的な貧困層対策に取り組んだ」大統領として評価される。それまで南部アメリカの一政党という雰囲気が強かった民主党に「世界恐慌により犠牲となった貧困層救済」という新たな指標を示し、これらの支持基盤を合わせる事によって「ニューディール連合」と呼ばれる巨大な民主党支持基盤を形成、その後数十年に渡る議会における民主党の天下を齎した。保守派内でも、ロナルド・レーガンは、彼の指揮能力を賞賛している。一方、小さな政府を唱えていた保守派はニューディールにきわめて辛辣な評価をし、党のニューディール連合を崩すことで80年代以降の共和党の勢力拡大が成功されたといえる。ニューディール政策については、現在でも経済学者の間でその評価は分かれている。
大戦中、日系人にだけ強制収容を実地した事や、任期内で行ったアフリカ系アメリカ人(黒人)の公民権運動に事実上の妨害行為等、人種差別的視点から行われた政策は、他の功績を差し引いても大きな批判をされただけではなく、同国における人種差別問題解決を遅らせる要因となった。このアメリカ民主党政権としての「貧困層」と「人種マイノリティ」という別々の経緯による同社会における弱者達への矛盾に満ちた態度の解決は、60年代のジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソンの政権まで持ち越される事となった。
1921年、ポリオを患う。その後遺症により、ほぼ下半身全体が麻痺し以降車椅子に乗っていた。(ギラン・バレー症候群説有り)。病後車椅子の姿をマスコミに映されるのを非常に嫌い、来訪先の会見等では植木、立ち木のカモフラージュ目的の配置などを自ら徹底的に指示をした。また、当時のマスコミも察したのか積極的に報道せず、TV時代の現代ではまず有りえない話だが、彼が車椅子が必要な障害者だということは国民はほぼ知らなかった。実際、彼の車椅子姿の写真は2枚のみの残存である。
2001年、アメリカの身体障害者協会の運動により、首都ワシントンに車椅子姿のルーズベルトの銅像が立てられた。
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最終更新:2024/11/28(木) 02:00
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