ミルコ・クロコップ(Mirko Cro Cop)とは、クロアチア出身の格闘家。旧リング名はミルコ・タイガー(Mirco Tiger)、ミルコ・"クロコップ"・フィリポビッチ(Mirko "Cro Cop" Filipovic)。本名はミルコ・フィリポヴィチ(Mirko Filipović)。
1996年に初代K-1王者ブランコ・シカティックの弟子「ミルコ・タイガー」(タイガーはドージョー・チャクリキのクロアチア支部の名称)としてK-1デビュー。しかし同年中に師匠と決別してK-1リングから遠ざかるが、3年後の K-1 REVENGE '99 から「ミルコ・"クロコップ"・フィリポビッチ」としてよりビルドアップした姿で復帰、この年は四天王ベルナルドを1ラウンドKOに下すなど順次好成績を収め、翌年から「ミルコ・クロコップ」に改名した。また、常に顔色ひとつ変えず精妙な攻守を繰り出す様から「ターミネーター」というニックネームも頂戴した。
「クロアチアのコップ(警官)」という意味のリングネームの通り、当時は本職の警察官(対テロ特殊部隊の教官)だった。2003年から '07年にかけては母国の国会議員を務めている。10代後半頃、故郷であるクロアチア東部の都市ヴィンコヴツィはクロアチア紛争(1991~’95、クロアチアでは「祖国戦争」「大セルビア侵攻」と呼ばれる)の前線間近であり、甚大な被害を蒙った。これにより多くの知人を喪った彼は、当時のバルカン半島の激動を経験したクロアチア人スポーツ選手の例に漏れず大変な愛国者であり反戦主義者で、かつて格闘家を志したのも「みんなを守りたい」という強い動機に基づくものであった(彼も紛争の最後の1年ほど従軍している。初来日したのは紛争解決からわずか4か月後)。
2000年に憧れの選手であったアンディ・フグの地元引退試合の対戦相手を務めた(フグはその約3か月後に急逝する)。 '01年の総合格闘技ルールでの藤田和之戦をきっかけに総合格闘技にシフト。 同年、高田延彦戦にてPRIDE参戦。その後ヴァンダレイ・シウバ、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、エメリヤーエンコ・ヒョードルといった強力なライバルとしのぎを削りあい、 '06年のPRIDE無差別級GPにて優勝し、PRIDE無差別級王者となる。
いかにも「ターミネーター」らしく、間合いの取り方の上手さ、タックルへの反応速度、一撃必殺の左ハイキックとそれを餌にしたキレの鋭い各種打撃が武器で、調子の良いときは手がつけられない強さを見せるが、生真面目な一方で図に乗りやすい性格らしく、大事なところでミスをする癖があり「無冠の最強戦士」という二つ名を頂戴することもあった。
2007年からはUFCに移籍したが、移籍直前や在籍期間中に3度(合計で4度)手術した両膝の怪我の影響から得意の蹴りやフットワークが上手く使えなくなり、年齢からくる衰えなども重なり以前のような力を発揮できなかった。その後K-1に戻り数試合を行い連勝。総合格闘技の試合も行いながら現在に至る。
入場テーマはたまに変えるが、デュランデュラン「Wild Boys」のイメージが強いだろう。
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最終更新:2024/12/22(日) 15:00
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