川滝航空機工業とは、「ワールドウィッチーズ」に登場する航空兵器製造会社である。
扶桑皇国の航空機メーカーで、総合重機械製造業である川滝重工業の航空機部門を担う会社。川滝重工業の飛行機科を原型とする。空冷魔導エンジンが主流の扶桑航空機・ストライカーユニット生産業界にあって、尾張航空機とならぶ液冷エンジンメーカーとして知られる。社章は翼をつけた川滝重工業マーク(「川」の字の丸い図案化)。
第二次ネウロイ大戦時には失陥したカールスラントの技術者を招聘して生産能力を向上。カールスラントとの協力・人員受け入れに積極的で、メッサーシャルフ Bf109や搭載エンジンであるデイスムス・ベルン DB601液冷魔導エンジン向けの部品生産を担った。特に魔導エンジンDB601は陸海軍共同のライセンス購入によりマ40として川滝でも生産され、高い信頼性からノイエ・カールスラントの生産体制確立以前には欧州にも供給された。
以上のような、欧州で主流の液冷エンジンの生産やカールスラントとの技術交流から、扶桑陸軍ウィッチの欧州派遣時には川滝製ユニットが優先使用されている。フレデリカ・ロージヒカイトなど、しばしば扶桑に赴いて川滝のユニット開発に協力するカールスラントウィッチも存在した。
陸軍のキ61三式戦闘機「飛燕」をはじめ、キ10九五式戦闘機、キ45改二式複座戦闘機「屠龍」、キ100五式戦闘機といった数々の陸軍航空機を開発・生産した。ダイムラー・ベンツDB601液冷エンジンをハ40としてライセンス生産したことでも知られる。
扶桑陸軍の航空ストライカーユニットで、宮藤一郎博士による「宮藤理論」以前の複葉戦闘脚。1937年(昭羽12年)に勃発した扶桑海事変時にはすでに旧式化しつつあったが、戦役初期の陸軍主力戦闘脚として高い戦果を挙げた。
いまだ背負い式のエンジンユニットを必要とした時代の機材であったが、同様の海軍九五式艦上戦闘脚(長島飛行脚)よりも搭載魔導エンジンの出力が一割高く、400km/hという最高時速や上昇速度、航続距離でも海軍九五式よりすぐれた。運動・旋回性能でも開発当時の世界水準を凌駕する優秀機といえた。
しかし、当機の採用と同時期にカールスラントのメッサーシャルフBf-109やブリタニアのホーク ハリケーンといったユニットが500km/h以上を記録。国内でも宮菱重工業が九試単座戦闘脚(後の九六式艦上戦闘脚)で451km/hに達するなど、当時のストライカーユニットの急速な発展を前にして、早期に全金属単葉の新型戦闘脚開発が進められることとなった。
扶桑海事変の初期には、後継機となった長島九七式戦闘脚が前線に行き渡っておらず、九五式が主力として戦闘参加。多くの戦果を挙げている。
著名な使用ウィッチとしては、穴拭智子、加東圭子、加藤武子(いずれも扶桑海事変初期)など。
九五式戦闘脚の後継機として、「宮藤理論」採用ユニットを求めて陸軍が各社に競争試作させた航空ストライカーユニットのひとつ。
液冷式を採用し、長島のキ27、宮菱のキ33と競ったが、陸軍はキ27を九七式戦闘脚として採用した。
陸軍の大型航空ストライカーユニット。大型戦闘脚としての目標の戦闘性能は発揮できなかったが、改良された結果、優秀な防空・夜戦向けストライカーユニットとなった。
キ45は、欧州における大型駆逐ユニット開発の活発化を受け、陸軍の指示で開発された戦闘脚で、コンセプトは大出力魔導エンジンを搭載する大型ユニットであった。しかし、エンジンの出力不足から性能は不十分なものに留まり、故障の多発と他ユニットの優先生産のために配備も大きく遅延した。
キ45改では、この問題が大きく改良され、偵察・爆撃ユニットとして採用された。魔導エンジンに大きな余剰出力が生まれたことで37ミリ砲ホ203のような大型武装の携行が可能となり、少数で大型ネウロイを相手とする防空や夜戦任務にも適したユニットとなった。
欧州の大型駆逐ユニットの運用にならい夜戦をメインに運用された同機は、扶桑本土の防空戦闘部隊へと配備され、大陸方面からの大型ネウロイ渡洋侵攻の阻止に大きく貢献した。
搭乗したウィッチとしては、扶桑本土の防空任務でエースとなった樫田勇美がいる。
陸軍の重戦闘ストライカーユニット。液冷エンジンであるマ40を搭載した戦闘脚として開発された重軽二種のストライカーユニットのうち、前者の重戦闘脚にあたる。総合力でキ61に劣り、採用を逃した。
諏訪真寿々がDB601Aを搭載した試作機に搭乗し、欧州にて実戦試験を行った。
陸軍の軽戦闘ストライカーユニット。キ60とともにマ40魔導エンジンの搭載ユニットとして開発された重軽二種の戦闘脚のうち、後者の軽戦闘脚にあたるユニットである。重戦闘脚として開発されたキ60と比して総合力にすぐれ、三式戦闘脚として採用された。メッサーシャルフBf109と同じ魔導エンジンを搭載したため、「扶製メッサー」の異名をとった。
初期型では、製造不良や整備兵の未熟から故障が多発したものの、カールスラントの技術支援で克服された。マ40搭載のI型(甲・乙・丙の各種が生産された)につづいて、II型としてマ40の出力を独自に向上させたマ140の搭載が計画されたものの、性能が不十分だったため試作段階で挫折する。
このためII型改(キ61-II改)としてデイスムス・ベルン DB605(DB601の発展型)のライセンス生産品であるマ240を搭載することとし、1944年(昭羽19年)9月より量産に移行。しかし、肝心要のマ240は部品の欧州への供給が優先され、結局II型改にはマ140をDB605の部品で改良したうえで搭載することとなった。
III型改(キ61-III改)ではマ240の搭載が実現したが、生産が遅れ、少数の量産にとどまった。
諏訪天姫はキ61の開発段階からテストパイロットとして携わり、欧州派遣後もしばしば扶桑に呼び戻されてII型などの改良型のテストを行った。
このほか、加東圭子はアフリカでの現役復帰後、砂漠向けに現地改造されたI型甲を使用した。同機体は魔導エンジンも現地で換装された可能性が指摘されている。
川滝航空機工業の設定解説は『SW2』特典「全記録」第一集に「扶桑皇国のストライカーユニットメーカー」の一部として収録。
ノベル「アフリカの魔女 ケイズ・リポート」においては加東圭子、稲垣真美がキ61を使用。コミック『ストライクウィッチーズ零 1937扶桑海事変』第一巻巻末の鈴木貴昭「戦闘脚ノ頁」では九五式戦闘脚について解説されているほか、キ28にも触れられている。この他、イラストコラム「ワールドウィッチーズ」では諏訪天姫の本文と愛用ユニット紹介でキ61と川滝について解説された。
アニメでは、『SW』最終話と『SW2』第1話で宮藤芳佳のもとに墜落してきた諏訪天姫がキ61に搭乗しており、『SW』の「全記録」第六集では、キ61の機体説明こそ無いものの、カラー・バリエーションのみ収録されている。
掲示板
1 ななしのよっしん
2020/11/10(火) 10:12:52 ID: NRY/hreWe1
カワタキか…。
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最終更新:2024/05/02(木) 02:00
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