帝銀事件 単語

7件

テイギンジケン

1.6千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

帝銀事件とは、1948年1月26日に起こった銀行強盗殺人事件である。戦争が生々しいGHQ統治下に起きた事件であり、犯人とされる人物が逮捕されたが今現在になってもの部分が多く、戦後最大のミステリーとも言われる。

概要

昭和23年東京都豊島区にある長崎帝国銀行現在三井住友銀行椎名町支店に午後3時半ごろ、都の衛生員と名乗る40代半ばくらいの腕章を付けた中年男性入って来て厚生省技官の名刺を差し出し、近所で集団赤痢が発生したので予防を飲むよう銀行員らに示し16人に青酸カリを飲ませ、結果的に計12人が死亡した事件。

犯人が回り始めた犠牲者たちが次々と倒れ現場が混乱している間に現約16万4410円と安田銀行現在みずほ銀行板橋支店の1万7450円小切手を奪い逃走。

犯人全員に満遍なくが行きわたるよう飲み方を示し、かつ安全なものだと明するためまず自分が手本として飲んで見せるなどその手口は底している。また使った名刺は貰った者のの中から然と消えていた。かろうじて一命をとりとめた四名も恐怖でしばらくは口をきけないありさまだった。

似顔絵制作し、731部隊などの旧日本軍関係者を洗いざらい調べるなどした2かにわたる捜索の結果、類似事件で悪用された松井蔚の名刺を手渡された人物の中から北海道在住の洋画平沢貞通が容疑者として浮上。名刺の捜を担当していた警部補が直接北海道に赴き対面したところ、人相書きにそっくりだったためその素性を調。すると過去詐欺事件を起こしており、また事件当時アリバイく、事件直後に事件で奪われた額とほぼ同額を預するなどしていたことからいったん平沢逮捕し取り調べを実行すること決意。

こうして平沢8月23日東京に護送された。護送中は人だかりができて歩くのにも苦労したという。このときになっても捜本部の流は依然として旧軍関係者であり平沢逮捕を強行した名刺班の面々は事実上の謹慎処分を受けたが、逮捕直後に平沢銀座にある日本時計店で詐欺を働いていたことが明らかになると本部の流れと世論も一気に平沢犯人説に傾く。

当初、一貫して身の潔していた平沢だが逮捕されて一かもすると自10月12日強盗殺人強盗殺人未遂で起訴された。

裁判が開かれてから平沢は一転して自は不当な取り調べによるものとして無罪するも1955年4月6日最高裁大法廷(第3審)上告棄却により死刑が確定。

死刑が言い渡された後も平沢実をし続け、遂には刑は執行されることなく1987年に95歳獄死した。

平沢の死後も養子を始めとした支援団体は平沢の名誉回復のため再審要を続けている。

関連動画

関連リンク

関連項目

この記事を編集する
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/05/20(月) 01:00

ほめられた記事

最終更新:2024/05/20(月) 01:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP