政府が発行する紙幣を政府紙幣という。これに対して、銀行が発行する紙幣を銀行券と呼ぶ。
政府紙幣は、発行した直後から政府の資産として計上される。これに対して銀行券は、銀行が金塊や国債といった資産を受け取ったときに銀行の負債として発行される。銀行券は銀行の負債なので、銀行以外の全ての存在にとって資産となる。
2020年現在の日本国政府は、1円玉から500円玉までの硬貨を発行している。硬貨は、発行した直後から政府の資産として計上される(詳しくはお金の記事を参照のこと)。それゆえ、「政府紙幣とは硬貨と同じようなもの」と説明される。
ただし、「政府紙幣は政府が発行する負債である」という考え方もある。その考え方については、本記事の末尾の『政府紙幣を政府の負債と扱う』の項目で詳しく解説する。
政府の税収が不足しているのにもかかわらず、政府は巨額の出費を敢行しなければならないときがある。戦争が起こって、外国の軍隊の脅威にさらされているときなどである。そういう場合に、政府紙幣を発行して政府の資産を一気に増やして財政問題を解決させる手段がしばしば採用される。
政府が発行する軍票(軍用手票)は、政府紙幣の典型例とされる。占領地における軍隊は金食い虫で、様々な出費をしなければならない。そこで軍票が発行され、財政問題を一気に解決することが多い。軍隊というのは、結局のところ、政府の一部門なので、軍票は政府紙幣の定義にぴったり当てはまる。
政府紙幣は、財源の不足を補うために発行されるケースが多い。そのため、金塊との交換を保証しない不換紙幣であるケースがとても多い。
政府紙幣は、日本を始めとして様々な国で導入されたことがある。ただし、2020年現在において政府紙幣を流通させている国は、シンガポールぐらいであり、ごく少数に留まっている。各国に流通している紙幣は、銀行券であることが多い。
日本においても、また海外においても、政府紙幣が数多く発行された。
1868年(慶応4年であり、明治元年)の1月に江戸幕府軍と薩摩藩・長州藩連合軍が鳥羽伏見の戦いで激突し、江戸幕府軍が敗退した。同年3月に新政府軍が江戸に進駐し、江戸幕府は権力を完全に譲り渡した。同年5月、江戸幕府やその残党と戦う戊辰戦争で財政が危機に陥った新政府は、太政官札を発行し、財源の不足を補った。これは、日本国の中央政府が史上初めて発行した紙幣とされる。
1869年に民部省札、1872年に明治通宝、1881年に改造紙幣、と相次いで政府紙幣が発行された。先述の戊辰戦争は1868年~1869年、西南戦争は1877年に発生し、明治政府の財源が不足したので、こうした政府紙幣は大いに役立った。
ちなみに、西南戦争の敵方である西郷軍は、占領地で西郷札という軍票つまり政府紙幣を発行している。
1882年に日本銀行が開業し、1885年に10円の日本銀行券(大黒札)が発行された。これ以降は、日本銀行の発券する銀行券が通貨として優れているとされ、政府紙幣は廃れていった。
ただし、政府が発行する軍票は、戦争が起こるたびにしばしば発行され、軍隊の財源不足を救った。日清戦争から大東亜戦争まで、戦争が起こって軍隊がどこかを占領すると、必ずと言っていいほど軍票を発行した。
アメリカ合衆国において、戦費をまかなうため政府紙幣が発行された例がある。1775年から1783年までの独立戦争でコンチネンタルという政府紙幣が発行されたし、1861年から1865年までの南北戦争においてエイブラハム・リンカーン大統領率いる北部がデマンド・ノートという政府紙幣を発行した。1963年6月4日にジョン・F・ケネディ大統領が政府紙幣を発行した。
また、第二次世界大戦の最中からベトナム戦争の頃まで、軍票を発行している。
2020年現在において、世界中の国々は中央銀行が発行する銀行券を通貨としている。その制度を止めて、政府紙幣を通貨にすることは可能なのだろうか。
結論を先に言うと、可能である。銀行券を通貨にする場合と比べて、やることが全く同じで、順序が変わるだけである。
まず、政府が政府紙幣を発行し、政府の資産を一気に増やす。そして、公共事業などの政府支出をする際、その政府紙幣で民間業者に支払いをする。
政府紙幣の発行と、民間業者への政府紙幣支払いだけをしていると、当然ながらインフレになる。そこで、民間に流通する政府紙幣を回収することになる。
政府紙幣の回収には、徴税と、市場における売りオペレーションの2種類があり、両方を上手に使い分けることになる。
徴税という方法は、政府紙幣を回収するという意味では極めて強力なのだが、少し手間がかかるのが難点である。徴税をするには法律が必要で(憲法第84条)、法律は国会の議決を必要とする(憲法第41条、憲法第59条)。しかも国会は年がら年中開いているわけではなく、1年のうち7ヶ月ぐらいしか開催されていない。ほんのちょっと税率を変更するだけでも、えらく時間がかかってしまう。
市場における売りオペレーションというのは、手間がかからないし、細やかに実行することができる。
市中に溢れかえっている政府紙幣を回収するには、「利子が付いて確実に償還される金融商品」を売り出すのが効果的である。政府紙幣には利子など付かないので、「利子が付いて確実に償還される金融商品」を売り出されれば誰だって大喜びで購入する。その結果、政府紙幣を回収してインフレを押さえ込むことができる。
「利子が付いて確実に償還される金融商品」は、国債が最適である。ただし、国債は政府が発行する債務証明書なので、発行するに当たって国会の議決が必要で(憲法第85条)、臨機応変にポンポン発行できるわけではない。売りオペしたくなってから国債を発行するのでは遅いことがある。そのため、事前に国債をある程度だけ発行しておいて、市場に売却せずに政府の倉庫にしまっておく、という準備をしておくのが望ましい。
「利子が付いて確実に償還される金融商品」のもう1つの候補は、中央銀行が発行する手形である。「1年後に1億千万円で償還します」と約束した手形を1億円で売り出されたら、誰だって大喜びで買い求める。中央銀行は政府機関ではないので憲法第85条が適用されず、気軽にポンポンと手形(債務証明書)を発行できる。こういうのを「日銀の手形売り出しオペ」という。
2020年現在の日本で採用されているのが、この方式である。
政府は国債を発行して市場に売却し、銀行券を獲得して、資産を増やす。得られた銀行券で公共事業を行い、民間業者に支払いをする。
日銀は、市場に出回る銀行券を増やしたいと思ったとき、市場の国債を買い上げる買いオペレーションをする。国債は日銀の資産となり、それに対応する分だけ銀行券を新規に発行する。
市場の国債を買い上げる買いオペレーションをやりすぎて、市場に出回る銀行券が増えすぎてインフレになったとする。銀行券を回収してインフレを押さえ込むのは、政府による徴税と、日銀による売りオペレーションである。日銀は、手持ちの国債を売り飛ばして、銀行券を回収する。銀行券には利子が一切付かないのに、国債には利子が付く。このため、国債を売りオペすると簡単に銀行券を回収できる。
日銀に適当な量の国債がなかったら、日銀手形を発行して売りオペし、銀行券を回収する。
政府紙幣も、銀行券も、やることが非常によく似ている。
銀行券を通貨にする制度と、政府紙幣を通貨にする制度の間に、優劣はない。
2020年現在において、政府紙幣を発行するには、通貨法を改正しなければならず、けっこう面倒な作業となる。たいした意味のない制度変更のために時間を浪費するのは、国家の発展という面であまり望ましくないだろう。
政府紙幣に関して、肯定論と否定論が語られている。
Twitterでは、政府紙幣の待望論が多く書き込まれている。また、榊原英資や高橋洋一やジョセフ・E・スティグリッツや若田部昌澄といった、博士号を取得して学者と呼ばれるような人々も、政府紙幣待望論を述べている。
そうした待望論を唱える人の論調を見てみると、「国債発行額が増大するのは問題だ」という思考が見え隠れする。「国債は国の借金であり子孫に負担を押しつける悪魔のような代物だ」という国債恐怖症の考えに苦しみ、国債発行額がどんどん増大していく様子を見て震え上がるあまり、「国債発行額の増大を止め、国債発行額を減少すべきだ」との考えにとりつかれ、政府紙幣を待望する気持ちが生まれるのだろう。
「国債は、通貨発行の調整に使われる金融商品に過ぎない」という考えがある人は、国債発行額の増大などたいした問題がないと考え、政府紙幣を待望しなくなる。
Wikipedia記事やコトバンク記事では、政府紙幣の否定論が書かれている。
その否定論の論調は、ハンコで押したように全く同じで、「政府紙幣は、一旦発行すると回収できず、インフレを制御できない」というものである。
実際は、徴税したり、国債を発行してそれを市場に売り飛ばしたりして、政府紙幣を回収することができる。国債とは、売りオペするに当たって最も便利で手頃な道具である。
本記事において、「政府紙幣は政府の資産として発行される」と何度も論じてきた。
その一方で、「政府紙幣は政府の負債として発行される」という考え方もある。その考え方だと、信用貨幣論に合致する。信用貨幣論は、「すべての貨幣は、誰かの負債である」という学説である。
ところが、「政府紙幣は政府の負債として発行される」という考え方を採用すると、日本国憲法第85条に抵触し、政府紙幣を発行するたびに国会の決議を得なければならず、手間が増える。これが、この考え方の短所である。
「政府紙幣は政府の負債として発行される」というが、どういう負債かというと、返済期限無期限・無利子の負債である。これは、負債としての厳しさが皆無であり、負債を発行する政府にとって極めて優しいもので、政府の財務体質に全く負担を与えない。返済期限無期限の負債は厳しさが皆無である、ということについては、債務の記事や不換銀行券の記事にも記述があるので、参照されたい。
本項目では、日本政府の貸借対照表(バランスシート)の変化を見て、政府紙幣が政府の負債として発行されたときの様子を確認する。
政府の貸借対照表 | |
資産の部 | 負債の部 |
徴税権 | 国民に福利をもたらす義務 |
資産として徴税権があり、負債として国民に福利をもたらす義務がある。徴税権は日本国憲法第30条に明記されており、国民に福利をもたらす義務は日本国憲法前文の「国政は~(中略)その福利は国民がこれを享受する」といった部分や日本国憲法第25条第2項に明記されている。
政府が、憲法第85条に基づき、国会の議決を受けた上で返済期限無期限・無利子の負債として政府紙幣を発行する。
政府は、政府紙幣を支払って、物資を購入し、職員に給料を払い、物資や人員という資産を手に入れる。そして、政府紙幣が民間にばらまかれる。
政府の貸借対照表 | |
資産の部 | 負債の部 |
徴税権 | 国民に福利をもたらす義務 |
物資や人員 | 政府紙幣 |
政府は徴税権を行使する。国民によって政府紙幣を支払うという納税が行われ、政府の徴税権が消滅する。
政府の手元に戻ってきた政府紙幣は、消滅する。手形を振り出して代金支払いとして渡した後、手形の振出人に手形が戻ってきたらその手形は消滅するのだが、政府紙幣の場合にも同じことが発生する。
政府が徴税権を行使しても、国民にばらまかれた政府紙幣のすべてを回収するわけではないので、政府紙幣の一部が政府の負債として残る。
政府の貸借対照表 | |
資産の部 | 負債の部 |
物資や人員 | 国民に福利をもたらす義務 |
政府紙幣の一部 |
政府は、国会の議決に基づいて国債を発行し(憲法第85条)、国債市場に売り出して、余分な政府紙幣をさらに回収する。
国債には利子が付き、政府紙幣には利子が付かない。ゆえに、国債を発行して売り出せば、順調に国債が売れて、政府はインフレを食い止めることができる。
政府紙幣は国民生活にとって必要不可欠なので、政府紙幣のすべてを国債売却で回収するわけではない。政府紙幣の一部が政府の負債として残る。
政府は債務超過になるが、政府というのは債務超過になることを憲法で禁止されているわけではなく、債務超過になっても許される存在である。詳しくは、国債恐怖症の記事を参照のこと。
政府の貸借対照表 | |
資産の部 | 負債の部 |
物資や人員 | 国民に福利をもたらす義務 |
政府紙幣の一部 | |
国債 |
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最終更新:2024/11/30(土) 00:00
最終更新:2024/11/29(金) 23:00
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