日本国憲法第25条とは、日本国憲法第3章(国民の権利及び義務)に存在する条文である。
日本国憲法第25条は、第1項で国民の生存権を保障し、第2項で国家の社会的責務に関して規定している。
日本国憲法第25条
日本国憲法は、社会権として、国民の生存権(第25条第1項)、教育を受ける権利(第26条第1項)、勤労の権利(第27条第1項)、労働三権(第28条)を保障している。
社会権とは、人間が人間らしい社会生活を営むために保障される権利である。国家の介入を認めない自由権(国家からの自由、消極的権利)とは異なり、社会権は国家に対し一定の社会保障を請求する権利(国家による自由、積極的権利)といえる[1]。
第25条第1項は、国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有すると規定している。
生存権の根拠となる条文である。生存権は、人が人らしく生きるために必要なものを要求できる権利である。
なお、「健康で文化的な最低限度の生活」の水準については、その時代の文化の発達の程度、一般的な国民生活の状況などに照らし合わせて判断決定されるべきものとされる。また、立法にあたっては国の財政事情なども勘案される。
第25条第2項は、国家は、社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上及び増進に努めなければならないと規定している。
第1項で規定した国民の生存権の実現のため、国に対し、生存権を具体化する努力義務を課している。生存権を具体化した法令として、生活保護法、国民健康保険法、国民年金法、厚生年金保険法、労働者災害補償保険法、失業保険法、児童福祉法、老人福祉法、障害者基本法、環境基本法などがある。
GHQの占領時代に日本国憲法の制定作業が進められた。第25条の規定のうち、GHQ草案にあったものは第2項のみであったが、国会審議において社会生活学者であった衆議院議員森戸辰男の発案により、ヴァイマル憲法にもあった第1項の生存権に関する規定が加えられた。
森戸は終戦直後、GHQ草案のモデルとされる憲法研究会の憲法草案要綱の作成にも携わっており、生存権はその憲法草案要綱にも盛り込まれていたものである。
日本国憲法第25条の性質について以下の考え方がある。
1.は初期の裁判で提起された考え方であり、2.から5.までは憲法学の学者が提起する学説である。
2.のプログラム規定説は日本国憲法第25条に法的効力を認めない考え方である。その一方で、3.や4.の具体的権利説や5.の抽象的権利説はいずれも日本国憲法第25条に法的効力を認める学説で、法的権利説という。
1.は学者がまったく支持しない考え方であり、2.と3.は通説から離れており、4.と5.が通説とされている。
以上のことをまとめると次のようになる。
法的効力 | 学者の支持 | |
1.「生存に必要な行為を妨害させない」 | 認める | 誰も支持しない |
2.プログラム規定説 | 認めない | 通説ではない |
3.具体的権利説で「法律がなくとも憲法第25条によって具体的給付判決を得られる」説 | 認める | 通説ではない |
4.具体的権利説で「法律がない場合に立法不作為の違憲確認判決を得られる」説 | 認める | 通説 |
5.抽象的権利説 | 認める | 通説 |
「憲法第25条は生存に必要な行為を妨害させない条文である」という考え方は、日本国憲法第25条を巡る最初期の裁判で提起された考え方で、日本国憲法第25条の法的効力を認める考え方であり、「個々の国民が生存のために必要とする行為を政府が法律によって妨害したらその法律を憲法第25条違反として排除できる」という考え方である。
生存権を自由権(国家からの自由、消極的権利)と捉える考え方である。
1948年(昭和23年)9月29日の食糧管理法違反事件判決において、主文として次の文章が書かれている。「されば、上告人が、『右憲法の規定から直接に現実的な生活権が保障せられ、不足食糧の購入運搬は生活権の行使であるから、これを違法なりとする食糧管理法の規定は憲法違反である』と論ずるのは、同条の誤解に基く論旨であつて採用することを得ない」[2]
最高裁裁判官沢田竹治郎の意見として次の文章が書かれている。「日本国憲法第二五条第一項の権利の内容は、~(中略)~『個々の国民がその生活に必要であるとする行為なら、どんな行為でも法律命令によつて制限禁止又は処罰されない』という『国家権力に対する自由』ではない」[3]
最高裁裁判官井上登の意見として次の文章が書かれている。「財産を所有せず且職を与へられない者は盗でもしなければ生活出来ない場合がないとはいえない、しかし其為め盗罪を罰する刑法の規定が違憲だという者はあるまい」
つまり、「Aという国民が『この行為は生存のために必要だ』と思って実行する行為を法律で妨害したらその法律は憲法25条違反である」という論法は成り立たないというわけである。
日本国憲法が施行されたのが1947年(昭和22年)5月3日である。憲法が施行されてから1年4ヶ月後の最初期の最高裁判決で、「憲法第25条は生存に必要な行為を妨害させない条文である」という考え方が否定された。
プログラム規定説とは、日本国憲法第25条の法的効力を認めない考え方で、「個人に対して裁判を通じて救済を受けられるような具体的な権利を与えたものではなく、国家に対しその実現に努めるべき政治的・道義的目標と指針を示すにとどまる性質のものである」と解釈する考え方である[4]。
このプログラム規定説というのは、1919年から1933年までワイマール憲法によって統治されたドイツにおいて主張された。その時代のドイツでは、社会経済的実態から遊離した政治的理想を追求する傾向があったので、現実と「憲法の理想」のギャップを埋めるために使われた[5]。
1948年(昭和23年)9月29日の食糧管理法違反事件判決において最高裁が「言い換えれば、この規定により直接に個々の国民は、国家に対して具体的、現実的にかかる権利を有するものではない。社会的立法及び社会的施設の創造拡充に従つて、始めて個々の国民の具体的、現実的の生活権は設定充実せられてゆくのである」と宣言し、プログラム規定説を採用した。
生存権の具体的実現には予算をともなうが、予算の配分は財政政策上の問題として国の裁量に委ねられている。予算案の編成をするのが内閣で[6]、予算案を最終的に議決するのは国会である[7]。裁判所が「憲法第25条に従って国民に○円を支給せよ」という判決を出してしまうと、内閣の予算編成権や国会の予算議決権を侵害することになり、財政民主主義に反してしまう。このため財政民主主義を保全する立場からプログラム規定説が支持された。
しかし、プログラム規定説をそのまま受け入れてしまうと、国家は法からまったく自由となってしまう[8]。
そしてなにより、「憲法第25条第1項が『権利』として保障するといっているものを『実は法的には無意味である』とするのは、あまりにも恣意的ではないか」という強い批判がなされるようになった[9]。
このためプログラム規定説は次第に通説の座から離れていくことになった。
具体的権利説で「法律がなくとも憲法第25条によって具体的給付判決を得られる」と論ずる学説は、プログラム規定説の正反対ともいえる考え方である。
憲法第25条の法的効力を認め、裁判所が「憲法第25条に従って国民に○円を支給せよ」という判決を出すことも可能になる説である。
内閣の予算編成権や国会の予算議決権を侵害して財政民主主義を侵害する、裁判所の権力が強くなりすぎてしまう、というのが問題点である。
具体的権利説を支持する学者の中で、この学説を支持する学者はいないようである[10]。
具体的権利説で「法律がない場合に立法不作為の違憲確認判決を得られる」と論ずる学説は、具体的権利説の中の穏健派である。
立法不作為違憲確認判決とは、「憲法を読めば、国会に対して法律を制定する義務を課していることが明らかなのに、国会がそうした義務を無視して立法の努力を怠った」と裁判所が判決し、国会の怠慢を糾弾するというものである。
「立法は本来的に複雑な政治的・社会的与件の中で行われるものであり、いわゆる立法の不作為をもって直ちに違憲になると一般的にいえるのか」という反対意見があり[11]、さらには「ある種の法律の制定を裁判所が国会に強要することになり裁判所の権力が強くなりすぎるのではないか」とか「予算を必要とする法律の立法を国会に強要することで、内閣に対し予算の編成を強要し国会に対し予算の議決を強要することになり、財政民主主義が侵害されるのではないか」という反対意見もある。
抽象的権利説は、政府・国会が憲法第25条を具体化する立法をしたとしても、裁判所が「著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用をしている」と判断したら、裁判所が「憲法第25条に違反している」と判決してそうした法律を排除できるとする学説である。
朝日訴訟と堀木訴訟で、「現実の生活条件を無視して著しく低い基準」だったり「著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合」だったりする立法措置があるときに限りそうした法律を憲法第25条違反として扱うことを最高裁が宣言し、純粋なプログラム規定説から離れることになった。
学界では、4.の具体的権利説で「法律がない場合に立法不作為の違憲確認判決を得られる」説と5.の抽象的権利説が通説として有力視されている。
ただし、「4.の具体的権利説をとるのか、それとも5.の抽象的権利説をとるのか」といったカテゴリカルで対立的な捉え方は適切でないとされる[12]。
日本国憲法 | |
---|---|
第1章 天皇 | 1 2 3 4 5 6 7 8 |
第2章 戦争の放棄 | 9 |
第3章 国民の権利及び義務 | 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 |
第4章 国会 | 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 |
第5章 内閣 | 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 |
第6章 司法 | 76 77 78 79 80 81 82 |
第7章 財政 | 83 84 85 86 87 88 89 90 91 |
第8章 地方自治 | 92 93 94 95 |
第9章 改正 | 96 |
第10章 最高法規 | 97 98 99 |
第11章 補則 | 100 101 102 103 |
掲示板
12 ななしのよっしん
2023/06/04(日) 00:33:27 ID: G+qmutde7c
最低限とか書くから貧困層とか生活保護へのバッシングが多くなったんじゃないかな、変な誤解を招いているのもあるし、国からして保障に消極的だし
最低限は削除、あるいはせめて「節度ある」「穏当な」辺りに変えた方がいい
13 ななしのよっしん
2024/02/01(木) 20:37:10 ID: ZCs+s9WUQG
その時々の感覚とかいう曖昧模糊な基準で最低限がどこまでかゴールポストが裁判官や担当者ごとに高速移動するから普遍的客観的尺度をいい加減定めてほしい
14 ななしのよっしん
2024/02/04(日) 18:26:04 ID: HSIq8iB9o0
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最終更新:2024/12/02(月) 06:00
最終更新:2024/12/02(月) 05:00
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