ベトナムセンソウ
ベトナム戦争とは、ベトナム共和国(南ベトナム・西側)とベトナム民主共和国(北ベトナム・東側)の間の戦争である。開始については諸説あり、1975年に南ベトナムの首都サイゴンが陥落し終結。
大戦後ホーチミンが成立させたベトナム民主共和国(北ベトナム)が第一次インドシナ戦争でフランスと戦い退けることに成功。
これに対しアメリカ合衆国は、ドミノ理論を理由に共産主義政府の存在を危惧し、フランスの傀儡政権であったベトナム国(南ベトナム・後にベトナム共和国)政府を支援。軍事顧問を送るなどした。こうして南北二つの政府の対立が始まった。
1964年、米駆逐艦が北の魚雷艇から攻撃を受けた事件(トンキン湾事件)をきっかけに、アメリカは本格的に介入。(ただし二度目の魚雷攻撃は誤報告である。(あえて米国の陰謀だと言うことは避ける))
1968年、北ベトナムのテト攻勢をはねのけるも、この際の米国大使館占拠映像や北ベトナム将校射殺映像が世界に衝撃を与え、アメリカ国内世論が反戦へと傾く。結果、1973年に米軍は撤退。
1975年、南ベトナム首都のサイゴン(現ホーチミン)が陥落し、北ベトナムが南北を統一した。
この戦争は
などの特徴がある。大規模な枯葉剤散布による環境汚染や戦後の出産異常、ソンミ村虐殺事件を始めとした戦争犯罪など米軍による非人道的な行為も世間を大きく騒がせた。
アメリカの社会や文学・音楽・映像作品に大きな影響を与えた(アメリカン・ニューシネマ)。『ディア・ハンター』、『プラトーン』、『ハンバーガー・ヒル』、『地獄の黙示録』、『フルメタルジャケット』『カジュアリティーズ』『ランボー』など、ベトナム戦争映画は国威発揚的なそれまでの戦争映画とは異なり、戦争の悲惨さや兵士の狂気を描く陰鬱なものが多い。
ベトナムは隣国と地続きの国境を有する接壌国家であり、北ベトナムはラオスやチャイナを「国境外聖域」として利用することができた。
また、アメリカは「誰が北ベトナムの主権者なのか」を見極めることに失敗していた(ここで言う主権者とは、その国の軍事外交政策に多少なりとも影響力を持つ国民を指す)。北ベトナムの主権者はごく少数の共産党指導者であり、農民や兵士はこの意味においての主権者ではなかった。したがって、戦闘でいくら北ベトナムの非主権者が死亡しても、北ベトナムの軍事外交政策になんの影響も与えなかった。
これに対し、インドシナに派遣された米軍兵士は、全員が「アメリカの主権者」であった。彼らの負傷や戦死、厭戦気運はアメリカの軍事外交政策を直接動揺させた。それがあるレベル(戦死58000人、戦傷35~75万人)に達し、さらに増えると見積もられた時点で、アメリカは国家意思を変更し、撤退した。
もしアメリカ軍が、北ベトナムの農民や兵士ではなく、ハノイにいる指導者のみをピンポイントで攻撃していたら、ベトナム戦争の帰趨は変わっていただろう。
掲示板
328ななしのよっしん
2022/08/06(土) 09:56:00 ID: fDSkfyre6W
ピノチェト「おっそうだな」
329ななしのよっしん
2022/08/10(水) 17:03:16 ID: HHZuQZBI2Q
日本のドラマや映画に第二次世界大戦が出てくるように、
アメリカのドラマや映画にベトナム戦争が出てくる。
人は勝った戦争よりも負けた戦争の方が記憶に残る。
だからドラマ映画の題材にされやすい。
330ななしのよっしん
2022/08/10(水) 18:40:48 ID: eFMWP6Jt61
「住民を銃殺した韓国兵士を見た」 ベトナム戦争虐殺被害者、初めて法廷で証言
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この訴訟はベトナム戦争当時にあった「フォンニィ事件」の被害生存者のグエン・ティ・タンさんが韓国政府を相手取って2020年4月に起こした3000万ウォン(約309万円)相当の損害賠償訴訟だ。
ベトナムに派兵された韓国軍海兵隊第2旅団(青龍部隊)所属兵士がフォンニィ村の住民74人を殺害したという疑惑だ。この事件当時8歳だったティ・タンさんは家族5人を失い、本人も韓国兵士が撃った銃で左わき腹を負傷し、今も後遺症に苦しんでいると訴えている。
韓国政府はこのような事件があったという事実そのものを認めない立場だ。これに先立ち政府側弁護人は「韓国兵士に偽装した南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)が行ったこと」「たとえ韓国兵士が犯したものであっても、戦争中なので容認されうる状況」と主張した。
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最終更新:2022/08/18(木) 22:00
最終更新:2022/08/18(木) 22:00
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