木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 単語

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もしかして与謝野晶子

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』とは、増田俊也による長編ノンフィクション

木村」と称された史上最強柔道木村政彦の生涯を、「なぜ木村力道山に敗れたのか」というを起点に描く。与謝野晶子は登場しない。

概要

昭和29年12月22日――。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名で開催された「昭和決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村一方的叩き潰され、KOされてしまう。
まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全民注視の中で、残な姿をしてしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。
柔道の現役時代、木村柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前には必ず短刀の切っ先を部にあて、切腹練習をして試合に臨んだ。負ければを切る、その覚悟こそが木村常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は?

戦後スポーツ史上、最大のとされる「決戦」を軸に、希代の最強柔道木村政彦人生を詳細に描く、大河巨編!!

2008年から2011年にかけて、格闘技専門誌「ゴング格闘技」にて連載され、2011年9月新潮社から刊行された木村政彦の評伝。第43回大宅壮一ノンフィクション賞、第11回新潮ドキュメント賞を受賞。2014年新潮文庫から上下巻で文庫化され、現在はそちらで入手可
木村政彦生誕100周年となる2018年には、本書に入りきらなかった原稿を集めた『木村政彦外伝』がイースト・プレスから刊行されている。また「小説新潮」にて「続 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」が連載され(全6回)、2019年に単行本化予定だったが、2023年現在、なぜかまだ刊行されていない。

1954年12月22日に行われた「昭和決戦」、プロレスラー力道山柔道木村政彦対決は、台本のあるプロレスだったはずが、力道山がそれを無視して木村KOしてしまう。なぜ力道山引き分けにするという取り決めを反故にしたのか。そして不意を打たれたとはいえ、史上最強柔道だった木村がなぜああもあっさりと力道山KOされてしまったのか? プロレス史上最大のとも称されるこの対決から語り起こし、単行本で2段組700ページ文庫では上下巻合わせて1200ページ弱という大ボリュームで柔道木村政彦人生を辿る。

読めばわかるが、著者の増田俊也は全な木村贔屓で、全編から「不当に貶められた木村の名誉を回復したい」「力道山卑怯なことをしなければ木村が負けたはずがない」という著者の信念が滲み出ている。と言っても露木村賛美・力道山罵倒の本というわけではなく、可な限りな記述をしようと心がけており、その結果「木村力道山に負けた」という動かせない事実と、取材を重ねるほど「やっぱり木村は勝てなかったのではないか」という拠が積み上がっていくことに対する著者の煩それ自体が読みどころになっている。

木村政彦の生涯を辿るにあたって日本柔道史・格闘技史についても詳しくまとめられており、さまざまな流のあった日本柔道が講館中心にまとまっていった経緯や、木村現在の講館中心の柔道史から黙殺されるようになった理由、木村政彦も登場する漫画空手バカ一代』が日本格闘技史に与えたとその内容の真実性の検証木村らの旗揚げしたプロ柔道ブラジル遠征がブラジリアン柔術に与えたなども詳しく記述されている。
著者の増田自身が、北海道大学時代にいわゆる七帝柔道(講柔道とは異なる高専柔道の流れをむ寝技中心の柔道)を経験しており、その経験を題材にした『七帝柔道記』という自伝的小説も出している。

刊行当初から各方面で絶賛された傑作評伝だが、良くも悪くも著者の偏った熱量が魅力の本であるので、内容全てを事実正史として受け取るべきかはやや留保をつけつつ読むのがいいかもしれない。

プロレススーパースター列伝』の原田久仁信による漫画『KIMURA 〜木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか〜』2013年から2016年にかけて双葉社の「週刊大衆」で連載された。全13巻。

与謝野晶子はなぜ力道山を殺さなかったのか

☆☆☆ 一言で言うなら時代がそれを許さなかった

二人の邂逅昭和15年、晶子61歳、力道山15歳のことであった。
老いたりともいえ血気盛んな晶子が力道山に後れを取るということはない。
若い力山のバナナを揉んでやろうという気概は当然持っていた。

本書は『なぜ』の部分にスポットを当て、関係者たちの言によって進められるドキュメンタリーである。

平塚らいてう、山田わか、児玉誉士夫、田一雄、梶原一騎などへのインタビューによって、官的とも言われた寝技を駆使し『やわ肌の晶子』と異名をとった柔道活動や、東スポ誌上で行われた論戦の末が詳細に浮かび上がる。

そこには若い力山に対するの情や、これから開かんとするプロレス文化への期待が読み取れる。
『なぜ殺さなかったのか』ではなく『なぜこの二人が同じ時代を生きたのか』を書き起こした著者渾身の一冊である。

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若い力山のバナナを揉んでやろうという気概は当然持っていた。
っぱらから怪文書貼りたまふことなかれ

2020年3月、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』単行本の表木村政彦の顔を与謝野晶子に変えたコラ画像とともにふたば☆ちゃんねる投稿された怪文書。この文章自体は特に何かの改変というわけではないようだ。文才の不法投棄。

ふたば☆ちゃんねるではなぜか与謝野晶子コラ素材として人気があり、TwitterMisskey.ioにも波及して今やすっかりネットミームと化しているが、その与謝野晶子コラを代表する作品として非常に知名度が高い。知名度が高すぎて元ネタの書籍の方がコラに見えるという人も多い。

大事なことなのでもう一度言うが、元ネタ与謝野晶子は登場しない。そもそも力道山が初土俵を踏んだのが1940年だが、与謝野晶子はその同年に右半身不随となり1942年に死去しているため、面識はない可性が非常に高い。

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