

議論の余裕を持たさずにスピード採決に持ち込もうとするかのような動きがあり、「イメージを取り締まる」という前代未聞の条文は、拡大解釈による恣意的な運用が懸念されていまして、表現の自由に抵触する重大な結果をもたらす危険があります。
この問題につき、すでに明治大学准教授・藤本由香里さんから詳しい経緯の報告と、条例の危険性を訴える見解が出されています。京都精華大学でも、昨日の教授会でこの問題が取り上げられ、マンガ学部を擁する大学としての、公式な反対声明を出すことで議論がまとまりました。


私は予言者になりたくて『図書館戦争』を書いたわけじゃないよ、と。


見ること、話すことを放棄して、隔離だけしようとするのはおかしい。
知らずに育つことが健全なんじゃない。知っていて、自分の意志で拒否できることが健全なんだ。
オトナには、子供達がそういうものに出会ってしまった時に、少しだけ離れたところから見ていて欲しい。そして、その子供が、自分にはいらない、必要ない、と判断できた時に、照れや気後れなく「これは良くないね」と手渡せる関係を築くことが大事なんじゃないだろうか。
ハッキリ言えるのは、"非実在青少年"はなんの解決にもならない、と言うこと。
問題をより複雑化して、アングラ化させて、まっすぐに作品を作ろうとしている人に余計なストレスを与えるだけ。
せっかくこの問題に真摯に取り組もう、という気があるのなら、もっと時間かけて、いろいろな人と解決策を探していこうよ。
近視眼的に、目の前に来た物を叩くだけが、解決策ではない。


児童ポルノ作品が、多くの一般人にとって不快な存在であることは、これは、議論以前の問題で、見ればわかることだ。誰だってあんなものを学校の図書館に置きたいとは思わない。
規制に反対する人々は、規制の倫理的根拠に疑義を表明しているのではなくて、むしろ規制がもたらすであろう弊害について懸念している。ゴキブリを駆除するのにナパーム弾を使うのは、過剰反応ではないのか? と。ここのところを見誤ってはならない。
ああいうものを見せられて、それらがネットや携帯電話などを介して小学生でもアクセス可能、という前提の中で話をしていれば、当然、議論は過激化する。
でも、現実社会でも同じことだが、「到達可能」であることと「あえて踏み込む」ことの間には、相当な距離があるものなのだ。
リアルな世界でも、小学生が歌舞伎町を訪問することは可能だし、バスの切符(パスモ?)を買えば新宿二丁目で降りることだってできる。が、だからといって、「歌舞伎町を浄化せよ」だとか「二丁目を焼き尽くせ」と言う人はいない。ん? 石原都知事が言ってた、と? では言い直す。よほどアタマがアレな人でない限り、青少年にとって有害だからみたいな理由で現実の町を消そうと考える人間はいない。

18才未満のキャラクターの表現を規制するという法律。非実存青少年都条例|ちばてつやのブログ『ぐずてつ日記』
こういう法律が決まってしまうとマンガ、アニメだけでなくいろいろな表現媒体が規制で縛られ、元気がなくなり、世の中が狭く、息苦しくなってしまうのが目に見えてきます。
我々漫画家仲間たちは、この条例改正案に危機感を持ち、週明けにも都議会議員の皆さんと話し合う予定です。



はいこれ。表現、創作にすら規制。
誰も知らないうちに可決されるわけです。誰も反対しなかったからといわれるわけです。
反対だよ!


改正案のキモは、まさに「さじ加減ひとつ」でどうとでもなる部分自体にあるような気がします。この手の条例は、さじ加減で決まる部分が多ければ多いほど、取り締まる側はいろいろ旨みがあるわけです。ましてそれを「児童ポルノ」という御旗で飾れば、なかなか真正面から反対しにくい。そんな仕組みが見え隠れ。
Twitter / TAGRO: 【布告】例の条例案。石原都知事の発表と同時に講談社は反対声明を出す模様。そういうわけで作家の名前を貸してくれと言われました。勿論どうぞどうぞ。良かった。長いものに巻かれるような会社じゃなくて。
http://twitter.com/TAGRO/status/10505271240![]()


掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/12(金) 15:00
最終更新:2025/12/12(金) 15:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。