「樊建」(ハン・ケン ? ~ ?)とは、三国時代の蜀漢の政治家であり、蜀漢が魏に降伏した後に権力闘争にまきこれて殺害された鄧艾(トウ艾)の赦免を晋の武帝司馬炎に嘆願した人物である。
字(あざな)は「長元」。
荊州義陽郡の出身で、蜀漢が二代皇帝劉禅の時代に大黒柱であった諸葛亮が亡くなると呉へ使者として赴き、呉の皇帝孫権が病気で面会できなかった為、孫権が以前蜀から訪れた事のある宗預と比べてどうだったかを、代わりに面会した諸葛恪に確認した際に、
才能は宗預に劣るが、性質は宗預以上です。
と諸葛恪に評された。
その後、諸葛瞻や董厥と共に蜀の国政を預かる身にまで出世したが、劉禅をたぶらかす宦官の黄皓の政治への介入に打開策を打つことができず、諸葛瞻や董厥に至っては黄皓と親しくする状況だった。
魏の討伐軍の鄧艾(トウ艾)により諸葛瞻が戦死すると、劉禅は魏に降伏して蜀漢は滅亡し、樊建は董厥と共に劉禅の洛陽行きに従い、列侯に封じられ、蜀の民心の安定に努めた。
魏から禅譲をうけて司馬炎が晋の皇帝に即位した後に、司馬炎から諸葛亮時代の蜀の治世について尋ねられた際に諸葛亮を賞賛する返答すると、司馬炎も諸葛亮を賛辞した為、蜀漢が魏に降伏した後に鍾会の独立騒ぎの際に反逆者の汚名を着せられて暗殺された鄧艾(トウ艾) の赦免を平伏して嘆願し、司馬炎は赦免を認めた。
諸葛亮の南蛮平定時や北伐の際に、董厥と共に従軍して諸葛亮を補佐した。
※その他「樊建」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照
| 能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
| 三國志 | - | - | - | - | - | ||||
| 三國志II | - | - | - | ||||||
| 三國志III | - | - | - | - | - | - | |||
| 三國志IV | 54 | 31 | 68 | 64 | 65 | ||||
| 三國志V | 29 | 68 | 65 | 68 | |||||
| 三國志VI | 28 | 31 | 68 | 67 | 63 | ||||
| 三國志VII | 28 | 61 | 77 | 66 | |||||
| 三國志VIII | 29 | 61 | 79 | 65 | |||||
| 三國志IX | 49 | 25 | 73 | 81 | |||||
| 三國志X | 45 | 29 | 71 | 81 | 73 | ||||
| 三國志11 | 41 | 24 | 71 | 77 | 73 |
関連人物 |
|||
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/16(火) 07:00
最終更新:2025/12/16(火) 07:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。