紫電改 単語

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紫電改とは旧日本海軍が最期に実用化した局地戦闘機(迎撃戦闘機)である。「紫電改」とは通称であり正式名称は紫電21陸軍四式戦闘機と異なり海軍航空行政混乱、製造側である川西航空機戦闘機設計の不慣れから製造数は400機と少ないが、米軍をして「とにかく危険な敵戦闘機」と言わしめる活躍を示した。

なお「局地戦闘機」とは航続距離を犠牲にしても速度と上昇、武装を重視した戦闘機で一般には迎撃戦闘機に該当する機体である。同じ局地戦闘機としては三菱雷電などが存在する。

紫電改の名前が広く知られたのは田実率いる海軍343航空隊をモチーフにした「紫電改のタカ」など、戦後コミカライズによるもので、戦中実機を見たものは海軍航空隊の搭乗員や整備員でもごく少数であったと言われている。343以外では横須賀航空隊などごく限られた部隊にのみ配備された。

概要

」の通称がつく通り原無印紫電紫電11)が論存在している。これは川西航空機開発した水上戦闘機「強」を、強引な言い方をすれば中配置の水上戦闘機をやっつけで陸上機に仕立て直し、誉エンジンポン付けしただけの機体である。零戦より速度や武装は善されたが運動性や稼働率、下方視界で大きく劣った。

特に水上機の設計をそのまま受け継いだ中配置を補うべく、二段伸縮式の長い脚は伸縮装置の故障や強度不足による折損が相次いだ。これは雷電も同様だが初期99式1号/2号20mm機を混載し、火力発揮や部品補給と整備にも大きな負担を現場に強いている。

この実情を受けた海軍川西航空機(現新新明和工業)は紫電底して再設計。機体を直径の小さな誉エンジンに合わせてスマートなものとし、従来は中配置だったを低式とし脚を短縮化し構造も単純化。他にも自動戦フラップの信頼性善や部品製造点数の減少など、紫電を原に新機を作るに等しい設計を行った。

結果として完成したのは整備状況や燃料、潤滑等の品質次第であるが、本来の性を発揮すれば644km/hの高速を発揮。更には戦闘機較しても劣らない急降下・上昇性零戦ほどではないが良好な運動性を持つ新局戦だった。近年の研究では苦闘の連続と評価されるが、それでも海軍航空隊から大いに警された。

特に2号身に統一された20ミリ4門を零戦よりも頑丈なと機体に搭載することで、命中精度と火力の両方で大きく向上。B-29に対してさえ重大な脅威となった。また戦後米軍基地へのフェリー飛行の際、米軍基準で整備された紫電改がコルセアを軽々と突き放したという逸話も存在する。

兵器として必要なとき、必要な数が間に合わなかったという点では失格だが、海軍戦闘機隊の掉尾を飾るに相応しい戦闘機ではあった。現存する機体は4機であり3機は米国航空博物館で展示され、内では一、愛媛県の南予に中から引き揚げられた機体が、ほぼ原を留めて展示されている。

また機体そのものではないが、海上自衛隊鹿屋基地に隣接する博物館には、屋外に紫電改の誉21発動機も展示されており、そこの諸元には紫電改が本来の性を発揮した速度などが詳細に列挙されてもいる。

実態

このように本来は有していた高いポテンシャル戦後しばらくかなり誇された343の活躍、「紫電改のタカ」などの名著により米軍機を圧倒しうる高性戦闘機という印が強く、零戦陸軍四式戦闘機疾風と並んで日本戦闘機としては外でも著名な機体である。交戦した米軍からも確かに高く評価はされた。

しかし実際のところは米軍機相手のキルレシオは零戦とそれほど変わらなかった。搭乗員、整備員の技量の低下。補給部品の劣化。何より川西航空機姫路工場でさえ、ロールアウトしたばかりの機体が試験飛行で墜落する粗製濫造ぶりが大いに祟っていた。343のある松山基地の滑走路には、低品質機体と未熟練搭乗員による紫電と紫電改の事故機の残骸が積み上がった。

加えて元々理のある設計の誉エンジンをいよいよ悪化した戦局の中で当初の設計通り動かすことは、343のような優遇された部隊でも困難を極めた。結果として発動機は出低下を含む運転制限を受けている。よく言われる紫電改の最高速度596km/hはこの運転制限を受けた末の数値ともいわれる。

「精鋭」といわれる343ですら半数は未熟練搭乗員であり、紫電改装備部隊はよく戦ったものの他の陸海軍戦闘機隊と同様、自の工業基盤崩壊と戦闘機隊の数量、戦術更新と練度向上を前に壊滅を免れることは出来なかった。米軍に一矢報いたのは事実であるが、それ以上を成し得ることは紫電改といえど不可能であった。

紫電改の評価

紫電改の評価はおおむね高い。紫電と紫電改、双方を志賀淑雄元少佐などは「紫電改によりこの戦闘機った」と大変高い評価を下している。三上雄は「軽戦に対する重戦でありながらも零戦の塁を摩する」「零戦は軽戦、紫電改は重戦と言うべく十分使えた」と評価。笠井智一、佐藤精一郎は紫電改で戦えたことを最高の誇りとしている。本田稔は大戦末期における双璧は紫電改とP51であると評価。

坂井三郎氏は紫電改をさほど好んでいなかった。一説によれば「戦闘機に関しては二流のメーカーのでっち上げ」とさえ酷評したといわれる。反面、紫電改の速度火力・頑丈さなどに関しては高評価を下しており、氏が如何様な所感を抱いたかは現在では推測の域を出ない。(坂井三郎氏は自らの機である零戦の20ミリに対しても、評価が二転三転している)

一方これは11をさして述べた言葉という説もある。実際、発動機と名称こそ同じだが11と21ど全く別の戦闘機であり、21が配備された部隊は喜んだ反面、11が配備された部隊の搭乗員たちは大いに落胆したといわれる(単純な性劣後のほか複雑で故障しやすい脚や、下方視界が劣悪なことが敬遠された)。ただ確かであることは坂井氏が最も紫電改で辛い評価をつけたのが、航続距離の短さである。確かに紫電改は負傷する前の坂井氏の機、零戦21べると航続距離は短い。しかしそれは艦上戦闘機局地戦闘機とでは用途が異なること、また坂井氏がしばらく負傷療養のために現役を離れ戦局と感覚がずれていたこと、紫電改も稼働率低下に悩まされたことなどが原因と思われる。

そもそも、坂井には紫電改での実戦経験は皆無であるし、グラマンとの戦闘経験も数回しかない。因みに坂井氏も343にも所属していたが大村から同じだった杉田一と仲が悪かった。杉田坂井より若いのに撃墜数も経験も上である海軍トップクラスの撃墜王で、年上というだけで偉そうにする坂井は若いパイロットとうまくいっていなかった。飛行長の志賀淑雄が仲裁に入り、坂井を別の航空隊に移動させたというエピソードもある。同様の評価は二式単座戦闘機鍾馗」や四式戦闘機疾風」でも、既存の九七戦やに慣れた古中勤務者と最初に乗った戦闘機が重戦の若手中勤務者では、評価が反転するといった事例が存在している。

派生型及び娯楽媒体等での扱い

紫電も紫電改(21)を始めとして、航空母艦への搭載を想定した2や誉発動機の発達への換装。武装や防弾の強化、あるいは烈風も搭載していた三菱「ハ43」発動機へ換装した試作機さえ存在している(B29の襲で工場ごと消失)。製造数こそ多くないものの海軍が21以降の紫電に大いに期待していたことは間違いない。

但し性ばかりではなく、最満足な分量・品質のジュラルミンを作ることもできなくなり、他の多くの戦闘機と同様に性低下を承知で機体を鋼製に悪設計した、戦時乱造とも言えるタイプも存在する。

因みにこれはアニメ作品であるが、ストライクウィッチーズ2坂本美緒少佐の装備するストライカーユニットとして、紫電で最も期待された紫電改五紫電五三が登場している。最大速度は高度3000mで348ノットであり、この数値は「ハ43」が期待通りの数値を発揮した場合の最高速度にほぼ一致していると思われる。

更に有名なのは平野耕太氏の「ドリフターズ」での活躍であろう。史実では戦死した菅野直大尉が「漂流物」として、筒発事故を起こした機ともども異世界に紛れ込みドラゴン数機を撃墜。その後は不時着して飛行する様子はないが当人は元気一杯であり、史実のニューギニアでの不時着時同様、現地の人達を堂々と従えている。

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