調布飛行場とは、東京都調布市に所在する東京都営の飛行場である。
| 基礎データ | |
|---|---|
| ICAO | RJTF |
| 種類 | その他空港 |
| 滑走路 | 800m(17/35) |
| 開港日 | 1941年4月30日 |
| 設置場所 | 東京都調布市 |
正式名称は「東京都調布飛行場」で、「調布空港」と呼ばれることもある。飛行場の一部敷地は三鷹市・府中市にもかかる。
1941年4月30日にメイン滑走路と横風用滑走路の2本の滑走路を備える公共用飛行場として開港。これが現在の調布飛行場の前身である。開港から間もなく太平洋戦争が始まり、戦時中はもっぱら帝国陸軍が使用した。戦時中は未舗装の滑走エリアが現在の味の素スタジアムや警視庁警察学校付近まで広がっていた。この拡張によって、新撰組局長近藤勇の生家が取り壊されている。
終戦後、調布飛行場はアメリカ軍に接収され、舗装された滑走路は飛行場として使用。未舗装エリアのうち西側は人糞堆肥を用いない水耕農場とされた。1954年に飛行場の日米共同使用が認められ、翌年一部が返還。1973年に日本に全面返還された。
1979年、新中央航空が伊豆諸島新島行の航路を開設。1984年には伊豆大島行、1992年には神津島行がそれぞれ開設された。
実は調布飛行場が正式な飛行場となったのは2001年3月のことと随分最近の話である。アメリカから一部が返還された1955年から2001年までは場外離着陸場という飛行場であって飛行場でない施設だったのだ。
現在は伊豆諸島方面への民間航路が発着する他、小型プライベート機の運航拠点としても使われている。ただし安全の問題などから遊覧飛行目的での利用は認められていない。
長さ800m、幅30mの滑走路を1本持つ。ILS(計器着陸装置)はない。
ターミナル建物内には新中央航空のチェックインカウンター、待合室、自動販売機、トイレなどが設置されている。ATM・外貨両替所・レストランはないが、ターミナル外の空港敷地内にレストラン「プロペラカフェ」がある。このレストランは運営会社の日本エアロテックの社員食堂も兼ねている。
全て新中央航空が運航。機材は全てターボプロップ小型機である。
調布飛行場へ直接乗り入れる鉄道路線は存在せず、最寄り駅からはやや遠い。歩く場合でも全域に渡って市街地なので歩きやすい。
調布飛行場ではこれまでに2回離陸直後の飛行機が墜落する事故が発生している。
1件目は1980年8月10日、航空測量のため離陸した共立航空撮影所属のエアロコマンダー685が近隣の調布市立調布中学校校庭に墜落。搭乗していた機長と撮影係が死亡。
2件目は2015年7月26日、飛行訓練のため離陸した日本エアロテック所属のバイパー PA-46が近隣住宅地に墜落。搭乗していた5人のうち2人が死亡、3人が負傷し墜落した家の住民1人が死亡、2人が負傷。
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最終更新:2025/12/16(火) 12:00
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