郭泰源(クォ・タイユェン、かく たいげん)とは、元プロ野球選手である。
OB | |
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郭泰源 | |
基本情報 | |
国籍 | 台湾(中華民国) |
出身地 | 台南市 |
生年月日 | 1962年3月20日 |
身長 体重 |
180cm 72kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1985年 |
引退 | 1997年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1962年3月20日生まれ。台湾の台南市出身。7人兄弟の末っ子として育ち小学5年時から本格的に野球を始める。
高校卒業後、合作金庫へ進んだ後、中華民国陸軍野球部に入隊。1982年に台湾代表に選出され注目されると、1983年のアジア大会では決勝の日本戦での完封勝利を含む17イニング連続無失点を飾り、優勝の立役者になる。1984年のロザンゼルス五輪では最速158km/hを記録する速球を武器に活躍し、銅メダル獲得にも大きく貢献した。
五輪終了後、日本のみならずメジャーリーグの数球団が獲得に動くなど激しい争奪戦となったが、注目を集める以前の高校時代から目をかけてくれていた西武ライオンズのスカウトに恩を感じ、契約金8000万円で西武に入団することを決めた。
初年度の1985年、初登板となった近鉄バファローズ戦で完投勝利を挙げるとそのまま勢いに乗り4月は4試合登板で2勝0敗、防御率0.32という圧巻の内容で月間MVPを獲得。6月には日本ハムファイターズ戦でノーヒットノーランを達成するなど抜群の存在感を示しリーグ優勝に貢献した。9勝5敗、防御率2.52の成績を残した。
1986年、キャンプ終盤になっても肩に違和感が解消されなかったということもあり、開幕から抑え投手として起用される。慣れない役割ながらも高いポテンシャルを発揮したが、8月頃からは再び先発に戻っている。5勝7敗16セーブ、防御率2.91の成績をマーク。
1987年、この年は開幕から先発ローテーションに定着。肩痛から一時離脱もあったが、自身初の二桁勝利となる13勝(4敗)を挙げた。日本シリーズでは台湾の英雄でもある王貞治率いる読売ジャイアンツ相手に完投勝利を挙げ喜びを爆発させている。
1988年、開幕前に行われた東京ドーム開業記念イベント「サッポロビール プロ野球トーナメント大会」では、広島東洋カープ相手にノーヒットノーランと幸先の良いスタートを切った。開幕してからも12試合に登板し10勝0敗と絶好調であったが、8月に肘痛のために登録抹消と故障にも苦しんだ。最終的には13勝3敗1セーブ、防御率2.41の成績を残し、勝率.813で最高勝率のタイトルを獲得した。
1991年、オールスター前に5連敗を喫する厳しい期間もあったが、夏場以降はパ・リーグ歴代2位となる9連続完投勝利を達成しリーグ優勝の原動力となった。15勝6敗1セーブ、防御率2.59の成績をマークし、MVPとベストナイン、ゴールデングラブ賞に選出された。
1992年、腰痛を訴えての途中降板やオールスター出場辞退など仮病を疑われ、後半戦10試合ベンチ外という措置が下されたが、パ・リーグタイ記録となる3試合連続完封勝利を記録するなど結果は残した。最終的には14勝4敗、防御率2.41の成績をマークし、2年連続でゴールデングラブ賞を受賞。
1994年、故障の影響もあり投球内容は今ひとつだったが、打線の援護に恵まれ開幕9連勝を記録。5月には通算101勝で外国人投手歴代最多勝利を更新した。以降も調子が上向かず秋口にはリリーフに配置転換され、4勝を挙げリーグ優勝に貢献。最終的には規定投球回到達した投手の中で最低の防御率4.98ながら、13勝5敗、勝率.722をマークし2度目の最高勝率のタイトルを獲得した。
1995年、前年と打って変わって8勝と勝運に恵まれなかったが、防御率は1位の伊良部秀輝とわずか0.01差の2.54を記録。後に郭は「今考えるともったいない。あと1イニングでも投げていれば抜けたかもしれないから。手首の状態が良くなかったから諦めてしまったんですよ。」と語っている。
1996年は手首の故障の影響で思うような投球ができず、0勝6敗と低迷。
1997年、この年も復活すること無く現役引退を決意。引退試合の対ダイエーホークス戦では元チームメイトの秋山幸二相手に登板し中飛に打ち取り、同じく同年限りで引退する鹿取義隆にマウンドを譲った。
引退後は台湾に戻り、台湾大聯盟(台湾の野球連盟)の技術顧問として渡辺久信を招聘し台湾球界の発展に貢献。その後誠泰コブラズの監督や台湾代表、統一セブンイレブン・ライオンズの監督・投手コーチなどを務めた。
2013年~2014年には福岡ソフトバンクホークスの投手コーチを務めた。
2020年、ともに「二郭一荘」と呼ばれた荘勝雄とともに台湾の野球殿堂である台湾棒球名人堂に選出された。
最速158km/hの速球とキレ味抜群のスライダー、シュートを武器に相手打線をねじ伏せた本格派右腕。その球速の速さから「オリエンタル・エクスプレス[1]」の異名を持つ。
好調時は手がつけられない投手であったが、故障が多く「ガラスの右腕」と呼ばれることもあった。
登板間隔が当時の投手としては長めの中6日か5日での起用が中心であることや、故障の多さから仮病を疑われる事もあった。ただ現代の野球では中6日での登板が主流となっている。
通算:13年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 272 | 92 | 24 | 117 | 68 | 18 | --- | .632 | 1682.1 | 450 | 1069 | 655 | 591 | 3.16 |
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最終更新:2024/03/29(金) 05:00
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