反出生主義

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  • 3271 ななしのよっしん

    2018/09/20(木) 02:01:51 ID: I0oXEwZkS2

    反出生主義者たちが自身の子供を作らなかったとして、それってその子供全に何の苦しみもない状態にしたってことにならないよね
    々はという概念無知であるから、実際にはが苦痛を生まない状態だっていうのも信仰や臆見の一つに過ぎない
    ひょっとしたら意識はであるということを許さないかもしれない(つまり、反出生主義者の元に生まれなかった子供の意識がどこか別の場所で生まれてしまうのかもしれない)
    そもそもという状態はなく、この世にある前は苦痛が存在するのかもしれない
    反出生主義を純化させていくと不可知論にぶつかって止まってしまうと思うよ

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  • 3272 ななしのよっしん

    2018/09/20(木) 02:03:31 ID: I0oXEwZkS2

    あと、もう一つ、反出生主義死後の世界輪廻転生、御霊信仰などを全に否定するから、原理上こういうものに対する信仰も捨てなくちゃならないってところがね
    ここのスレに来てる反出生主義者は出生主義者に対しかなり厳しいことを言うけど、そういう君らは反出生主義底に努めているのかい?まさか、虚な墓へのお参りやいもしない祖先への礼拝を続けている訳じゃないよな?まあ続けていてもいいけど、それならそんな中途半端な理念の信奉者は出生主義者に対して大上段から振りかざす見下しを改めるべきだよね

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  • 3273 ななしのよっしん

    2018/09/21(金) 01:37:50 ID: mM8Mt4knbz

    個人的に「生まれていない子どもの幸福や権利を問うこと」に関しては一考の余地があるように思う。
    としての責任力が明らかに欠如している人間(重度の依存症精神疾患を抱えている等)がなんの許可資格しに自らの子どもを持ててしまう現在、そういった人間に持つ子どもは、必ずではないが不幸になることが多いし、最悪の場合虐待死することもある。
    「何故こんな人間になってしまったのか」と思うようなニュースもしばしば。
    人が自らの子どもを持つ事が全に自由であっていいのだろうか?

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  • 3274 ななしのよっしん

    2018/09/21(金) 08:55:30 ID: nl7sPIVCZn

    >>3271
    >意識がどこか別の場所で生まれてしまうのかもしれない
    それなら反出生主義より優生主義の方が良いってこと?

    >>3272
    >虚な墓へのお参りやいもしない祖先への礼拝を続けている訳じゃないよな?
    死後の世界輪廻転生、御霊信仰などを否定してても権力を得るためとかなどの理由で礼拝を続けてる人はOKってことね

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  • 3275 ななしのよっしん

    2018/09/22(土) 00:04:25 ID: I0oXEwZkS2

    >>3274
    反出生主義の言い分を推し進めるなら、意識の発生についての十分な知見がないとそれは単なる一つの信仰に過ぎないいてことですよ
    哲学的推論から生まれる妥当な論理的帰結ではなくてね
    苦痛を感じる機構の誕生を形上的な根元に遡って止めること・くすことは果たしてできるのか?という命題にはも回答できていなのではないでしょうか

    あと、礼拝の否定を不底にする態度は反出生主義の高潔な理念を考えるにかなり欺瞞に満ちた行為だと思うんですが
    生命の苦痛を取り除きたいと熱心に考えていらっしゃる方が、権力などという概念を前にあっさり教条に反する行いをしても良いというのはあまりに都合のいい解釈では?

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  • 3276 ななしのよっしん

    2018/09/22(土) 00:19:54 ID: gRTdoD/wtD

    遺伝子記憶の領域があるらしいことがわかってきたし、前世記憶とかこれが正体だろうね
    様が自分の息子も出させて血を絶やしたら輪廻から解脱できたのも納得

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  • 3278 ななしのよっしん

    2018/09/22(土) 04:06:13 ID: EupkbKBwIB

    十分な確実性を持たない知見から導き出される考えを『信仰』と呼ぶのなら、一切の価値体系は『信仰』ということになるだろう
    「意識の発生についての十分な知見」というのが、形上学的な領域まで含まれると考えるのなら尚更そう
    哲学的推論から生まれる妥当な論理的帰結」というのも『哲学的推論』『妥当』と言うからには結局『信仰』なわけだろう

    それに、価値体系はどれも限界を設定しているものだから、ある価値体系が一定の領域の問題を切り捨てていたり、いは低級に位置づけたりしていても、それがその体系の欠陥ということにはならないし、第一どんな領域の問題も解決してくれる完璧な価値体系など存在するはずかない
    価値体系において重要なのは、事実の確実性を保することではなく(そんなことは不可能)、一定の信仰としての限界を提示しながらも多くの人が納得できるような普遍性を追求する点にある
    の受精・出産と、子どもの意識の発生に直接的な因果関係を認めるという『信仰』は、十分なくらい妥当な普遍性を持っていると自分は思う

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  • 3279 ななしのよっしん

    2018/09/22(土) 12:10:52 ID: v4MVusWmST

    神の存在証明チックだなあ
    まだわかってないがあるかもしれない、だからないなんて言えないって

    将来に説明を託す感じね、自分達の負債

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  • 3280 ななしのよっしん

    2018/09/23(日) 00:15:09 ID: I0oXEwZkS2

    >>3278
    私は、の受精・出産と、子どもの意識の発生に直接的な因果関係を認めるという『信仰』は、この世の自由意志に関する権利を々の形下で考えるため、言うなれば権利の科学的な妥当性確保のために実用的であるからこそ多くの人に信奉されてるのではないかと推察しています
    しかし、それが反出生主義という生命の安定的発展を動揺させる考え方に帰結してしまうのなら、今回もまた「実用的な考え方」に信仰をシフトさせることで、反出生主義以外の有望な『信仰』が見つかるのでは、と考えたわけです
    言うなれば、意識の発生にまつわる様々な哲学命題を与えないように、反出生主義の絶対的な意識への認識に疑義を呈したということです

    そもそもこの問題は、意識の発生に充足理由が成立するかと言い換えられるかもしれません
    本当に意識は原因あって初めて存在するんですか?果たしてある意識の発生を々があれこれ手を尽くすことで阻止できるんでしょうか?

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  • 3281 ななしのよっしん

    2018/09/23(日) 09:30:23 ID: nl7sPIVCZn

    >>3275
    >生命の苦痛を取り除きたいと熱心に考えていらっしゃる方が、権力などという概念
    反出生主義実現させるために権力を得るのはダメなの?

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  • 3282 ななしのよっしん

    2018/09/23(日) 09:50:09 ID: I0oXEwZkS2

    >>3281
    反出生主義が苦痛について究極的な根に迫って駆逐しようとしているにも関わらず現実を考えての方便の前に妥協を行うのは反出生主義という『信仰』に動揺を与える行為だと思いますが
    そこで妥協ができるのなら、意識の発生に充足理由が成立しないという『信仰』による妥協で、出生主義をも純理念的に受容することができると考えます
    そしてそれを反出生主義側から理念的に否定してみせることはできなくなるでしょう

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  • 3283 ななしのよっしん

    2018/09/23(日) 12:39:39 ID: x7DRLwH4VO

    貴様らよくこんな長文で会話できるな!

    「生むな」「増やすな」「このハゲ」これで十分だぜ!

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  • 3284 ななしのよっしん

    2018/09/24(月) 02:41:26 ID: EupkbKBwIB

    反出生主義は苦痛を究極的な根(?)に迫って駆逐しようとする考えである」という意味不明定義を勝手に周知の前提としながら
    「ならば反出生主義者は、自分の考えている反出生主義理念通りに振る舞わなければならないはずだ」と決め込んで、少しでも他人の振る舞いが自分のイメージ通りでなかったら脅迫的になるのは、傍から見ればいちゃもんをつけているようにしか見えない
    (それはまさに一般に批判されている「大上段から人を見下し、自分の信仰を押し付ける信者」そのものだろう)

    悪く言えば、「相手に無限に質問して、一つでも自分の気に入らない所があったら相手の負けゲーム」を勝手に開始しているように見える

    一人の人間の思想や行動が『全て』を包摂していなければならないというのは根本的に不可能な考えだし、それを他者にめて裁くのは傲慢の極致だろう

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  • 3285 ななしのよっしん

    2018/09/24(月) 12:13:32 ID: QTpvhxMpC1

    何泣き言いってんの
    らしくないよ

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  • 3286 ななしのよっしん

    2018/09/24(月) 14:15:10 ID: I0oXEwZkS2

    >>3284
    だとすると、これは反出生主義者が出生主義者が苦痛を生み出し続けるというする際にも同じことが言えるのではないでしょうか?
    意識の発生というものに私が提示したような多様性が見出せる以上、出生主義が苦痛を生むという反出生主義側からの説明もまた、あまりに限局的な意識への説明であり、「出生主義者は、自分の考えている出生主義理念通りに振る舞わなければならないはずだ」という思考様式の押し付けでは?
    しかも、少なくとも反出生主義者はその理念に従い、出生主義者との共存を標榜しつつ、その罪深いと思われる苦痛の創出についてあれこれ考えを巡らせ否定的に評価しているわけですよね
    これは出生主義者を反出生主義一方的な「意識発生観」で断じた傲慢の極致なのではないでしょうか

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  • 3287 ななしのよっしん

    2018/09/24(月) 17:33:48 ID: EupkbKBwIB

    上で書いた「傲慢の極致」というのは、
    「『苦痛の究極的な根』というような、見解によっては無限に規定内容が変わってしまうような多様な概念の、その全ての規定の可性を反出生主義は包括しなければならならず、よって反出生主義は『意識』『苦痛』といった概念に、他の一切の規定と齬をきたすような限局をしてはいけない」  
    という、意味不明どころかそもそも一つの価値体系としての成立すら根本的に不可能になるような荒唐稽な考えを、あたかも反出生主義の絶対の理念であるかのように前提して、それを基に反出生主義の『信仰』とそれに基づく行動批判するという行為をして言っている

    だから別に、
    「『意識』という一義的でない概念を自分の意志で規定して『信仰』し、その規定に則って構築した価値体系を基に他人の『信仰』と価値体系を批判する」
    ということを傲慢批判しているのではない
    (第一それが悪いことであるなら議論など一切できなくなってしまう)

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  • 3288 ななしのよっしん

    2018/09/24(月) 18:09:14 ID: Z/IvfEyPWW

    意識の発生について多様性が見出せる以上、反出生主義の意識への見解が全くの間違いであるという可性がある一方、その逆の可性も当然ながらある。
    全く同じ命題の中に相反する可性が同時に存在している以上、少なくとも科学的、あるいは哲学的にその解答へと至っていない現在ではそれは悪魔の証明じみたものになり、議題として挙がるには不適なのでは?
    意識の発生がどうあれ、明確な意識と体を持った人間が産まれるのはこの世界であることには変わりないわけで。
    そこに産まれる人間不幸反出生主義者は論じており、世界の意識がどうとかは論じていないのでは?

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  • 3289 ななしのよっしん

    2018/09/24(月) 21:03:26 ID: I0oXEwZkS2

    >>3287
    反出生主義者たちは、生者の苦痛を取り除くためにその苦痛を感じる意識自体を消し去る信念を持って、出生行為を拒んでいますよね
    ここで、反出生主義者たちの信念は、「完璧な、不底を許さない」ものです
    出生主義を選ばずに反出生主義を選ぶとき、出生主義の側に「生者にとって都合よく考えられている」『信仰』があるためにそれを選ばないのだ、という論理があるためです
    ならば、苦痛を取り除く行為を「完璧な、不底を許さない」ものにするために、「生者にとって都合の良い」考え方があってはいけません
    そこで持ち出されるのが『苦痛の究極的な根』です
    反出生主義者たちはこれを「の受精・出産」としているのでしょうが、これは反出生主義者たちが便宜的に定める「反出生主義者という生者にとって都合の良い」定義になると私は考えます
    なぜなら、私が以前述べた通り、意識の発生は一義的なものにならず、最終的に不可知論で処理するしかないものであるからです
    結局のところ、『苦痛の究極的な根』について確定させること自体が、反出生主義者の禁じる「生者にとって都合の良い」考えである、というのが義の矛盾であると摘します

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  • 3290 ななしのよっしん

    2018/09/27(木) 05:35:43 ID: v4MVusWmST

    "反出生主義者たちの信念は、「完璧な、不底を許さない」ものです"
    って言ってるけどそれあんた定義じゃん?
    あんたが決めた定義あんたごちゃごちゃいって論破した気になってるの?

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  • 3291 ななしのよっしん

    2018/09/27(木) 05:40:50 ID: v4MVusWmST

    あとやたら意識の発生時期にこだわってるけどそこは現時点だと内のただの電気信号ってのが有力だし体が出来た時点だろ
    確認されてないそれ以外の可性なんて言い出したら論だの法則だの全部意味なくなるよ

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  • 3292 ななしのよっしん

    2018/09/27(木) 17:13:28 ID: I0oXEwZkS2

    反出生主義者たちは出生主義の用いる出生の正当化のことを「生者にとって都合のいい論理」と評し、その常識的な論理えて苦痛を消し去ろうとするからこそ反出生主義を選択するものと考えられます
    しかし、意識を底的に考えるとすると、その発生がどのようなものであるかは不可知論の領域にあり、にも把握できません
    そこで、々は論や法則を議題に上げるときに、形下のこの世界でのみ通じる限定的な論拠を用いる以外にないのです
    しかし、反出生主義者の苦痛を取り除けるという形下での『信仰』は「反出生主義者にとって都合のいい意識の発生観」であり、突き詰めれば反出生主義者の否定していた「生者にとって都合のいい論理」と同等のものとなってしまうため、自撞着となります
    つまり、「現時点では苦痛を感じる意識とは内のただの電気信号だ」から「その電気信号を止める、つまり出生さえしなければ、苦痛を感じる意識も発生しない、その意識は救われる」というところまで来ると、これは反出生主義者にとって実に都合のいい論理であり、悪くいってしまえば反出生主義者が苦痛からの解放を導く救世主でありたいと自己陶酔するための具なんですよね

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  • 3293 ななしのよっしん

    2018/09/27(木) 19:17:48 ID: Z/IvfEyPWW

    反出生主義者が「自分たちにとって都合の良い論理を信仰したエゴイスト」と言うのならその通りだと思う。
    所詮は人間なんだし、主観エゴも多少混じるでしょ。
    しかし、だからと言って出生主義正当化される謂れはないのでは?
    出生主義自由意志のない他者(つまりはその子供)まで巻き込んでるそれ以上のエゴイズムだし。
    反出生主義者が出生主義を「エゴ」と非難するのはそこにあるかと。

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  • 3294 ななしのよっしん

    2018/09/27(木) 20:47:57 ID: EupkbKBwIB

    藁人形論法の相手をしてはいけない

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  • 3295 ななしのよっしん

    2018/10/01(月) 01:18:02 ID: gRTdoD/wtD

    潜在的な反出生主義ってのがあるよな
    「本当は産みたくなかったが、に迫られたから仕方なく…」とか
    子供に対して「本当はお前なんて産みたくなかったんだよ!」とか言っちゃう連中いる

    まあそういう連中の次の世代になって少子化が異様に進んだんですけどね

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  • 3296 ななしのよっしん

    2018/10/01(月) 01:56:19 ID: 2xtf1R+kHh

    いや それは潜在的な反出生主義じゃなくて単なるアホだよ そこに信条があるとは思えない

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  • 3297 ななしのよっしん

    2018/10/03(水) 10:06:09 ID: I0oXEwZkS2

    >>3293
    そこで子供を「出生主義に巻き込む」というのも、反出生主義者にとって都合のいい論理ではないでしょうか
    なぜなら、反出生主義者の言に従いその子供を出生しないことを選んでも、本当にその子供の意識が生じないという保はできませんからね
    あくまでその反出生主義者が信仰する教条の中で解釈される世界において、その子供の出生が観測されないとしかいえません
    あと、もう一つ摘したいのが、反出生主義者たちは自己のエゴイズムに自覚的であるかについてです
    今まで様々な意見を見てきましたが、反出生主義者が出生主義者のエゴイズムを苛に非難してきた一方、自身の理論が秘めるエゴイズムについては、苦痛の救済という崇高なお題によって目隠しされ、自覚な態度をとっている者が多いように見受けられます
    また、エゴイズムを認める反出生主義者も、子供の幸福を考えるよりも苦痛を眼に考えることへのエゴイズムを論じていて、苦痛を取り除くために意識の発生を抑えることができるという解釈自体が、不可知論の領域を侵しつつ苦痛の救済という理念を見出すために都合の良い意識の発生説を取っていることに触れている人は居ないようですが

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  • 3298 ななしのよっしん

    2018/10/03(水) 17:21:11 ID: EupkbKBwIB

    不可知論というのは、人間の観測できない経験的領域の問題を『扱わない』立場のことであって、経験的な領域の普遍妥当性や客観性、蓋然性を排除する考えではない
    だから現時点の科学で観測できない領域や形上学的領域を『扱わない』という反出生主義の立場は不可知論に少しも抵触してはいないし、
    むしろ経験的な拠の欠如した形上学的問題を議論上に載せることが正に「不可知論の領域を侵す」行いだといえる

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  • 3299 ななしのよっしん

    2018/10/04(木) 12:07:30 ID: I0oXEwZkS2

    >>3298
    確かに、不可知論を持ち出しておきながら、反出生主義を否定するために提出した論理が形上的な概念に依拠するものでは、自己矛盾摘は免れません
    これは私の大いに反省すべき点ですね
    では、苦痛や意識自体がそもそも形上的な側面を持っており、そこから不可知論で得られる部分のみを切り離して考えることはできないという考え方はどうでしょうか
    あなたは>>3278で「の受精・出産と、子どもの意識の発生に直接的な因果関係を認めるという『信仰』は、十分なくらい妥当な普遍性を持っていると自分は思う」と述べていますが、これが意識の発生という概念を不可知論に基づきその一部のみを切り出して論じたもので、その概念の都合のいい理解の一つに過ぎないというものなのですが

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  • 3300 ななしのよっしん

    2018/10/05(金) 02:53:00 ID: EupkbKBwIB

    ならその『形上的な側面』とやらを含めた、より正しく普遍的な「意識の発生」観を最初から提示したらどうなの?
    お粗末な藁人形論法に頼ったりせずにね

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