ハイフライヤー 単語

ハイフライヤー

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ハイフライヤー(Highflyer)とは、1774年生まれのイギリス競走馬種牡馬である。

概要

HerodRachel、Blankという血統。
ヘロドは通称キングヘロド(キングヘロドが正式名称でのちにヘロドと短くなったという説もある)と呼ばれ、当時8回連続でリーディングサイアーとなっていた種牡馬の王。
レイチェルは不出走で3歳のときから繁殖入りし、ハイフライヤーの他に28戦20勝した三大始祖系以外の最後の大物種牡馬(オルコックアラビアン系)とされるマークアンソニーを出した。全に13-e族などの牝系の祖先となったルース、全に13-a族の基礎繁殖牝馬となったルティリアがいる。
ブランク記録に残っている競走成績は3戦1勝と並だったが3回リーディングサイアーになっている。ちなみに最終的にゴドルフィンアラビアンを所有したことでも知られる第2代ゴドルフィン伯爵の生産。

生産者は初代ジョッキークラブ会長であった一方、酒乱で悪名高いギャンブラーでもあったらしいチャールズバンベリー卿。名前はこのが生まれた牧場にハイフライヤー・ウォールナットというクルミの一種がそびえ立っていたことから名付けられた。また「ハイフライヤー」は「高く飛ぶ」の他に「野心」や「大法螺吹き」などの意味も持つ。

バンベリー卿から友人ボーリングロー子爵に売却されたハイフライヤーは、3歳時に10月ニューマーケットの2マイルで行われた100ギニーのステークスであまり調子が良くない状態でデビューしたが、それでも同ライバルらに勝した。
4歳時には100ギニーのステークス勝利した後、当時の大レースである4歳限定のグローヴナーSに勝利し、7月には1400ギニーという高額のステークス勝利した。その後ウェイトアンドスケールプレートという馬齢別定戦に勝利した。10月に行われたポストSでは相手が全部回避したので不戦勝となり、ディクテイターとの500ギニーのマッチレースでも勝した。

5歳時には300ギニーのステークスと200ギニーのステークス優勝した。
その後ハイフライヤーはボーリングロー子爵が財政的に困窮したこともあり、競走馬のセリを世界で初めて事業として成立させたことでも知られるリチャード・タタソール氏の熱意もあって2500ポンドでタタソール氏に売却された。
タタソール氏に馬主が変わってからの初レースは、初めてニューマーケットから離れたノッティガムでのレースとなったがここでは単走勝ちとなり、ヨークでのヒート競走でも単走勝ちとなった。同日に行われた4マイルでのヒート競走は2頭立てとなったが、ここでも勝負にならず楽勝した。9月リッチフィールドでのキングスパースではこれまでの連戦と輸送で体調がすぐれなかったが、ここでも勝利し全勝を守り抜いたまま引退した。

なおハイフライヤーの1歳上にポテイトーズがいたが、どちらかが対戦を避けたのか、あるいは巡りあわせが悪かったのかわからないが、1度も対戦することなく終わっている。また、ダービーステークスは本が3歳になった年の3年後に設立された。もしハイフライヤーの活躍したときにダービーがあったら、問題なく勝利していたと思われる。

1793年にジェームズ・ウェザビー氏によってジェネラルスタッドブックが創刊されることとなり、ウェザビー氏もハイフライヤーの正確な競走成績を調べるために奔走した。同名の敗北した記録のあるが同時期にいたので紛らわしかったが、ジェネラルスタッドブック第1巻では本敗であると結論付けた。


敗のまま引退しタタソール氏の所有で種牡馬入りしたハイフライヤーだが、むしろここからが本番である。

当初15ギニーという良心的な種付け料とタタソール氏の熱心な活動により多くの繁殖牝馬を集めた。特にタタソール氏はエクリプス産駒繁殖牝馬をつけ、それらを買い取ったり、熱心に売り込みをした。

その結果、12年連続を含む13回イギリスリーディングサイアーとなり、キングヘロド18世紀で最も成功した種牡馬となった。この時代に469頭の勝ち上がりを出し、その中からダービーステークスには1786年優勝ノーブル1787年優勝のサーピーターティーズル、1789年優勝スカイスクレイパーを送り込み、他にもセントレジャー3頭、オークス1頭を出した。

今でこそ三大系統はエクリプス系、マッチェム系、ヘロド系となっているが、当時はヘロド系とさえど呼ばれず、ハイフライヤーの子孫によるハイフライヤー系1強となっていた。特にハイフライヤー死後に産駒の1頭サーピーターティーズルが後継種牡馬として受け継ぎリーディングサイアー10回となり一大勢力を築いた。

1793年にハイフライヤーが19歳で死亡した時タタソール氏は丁重に埋葬し、墓碑には「ここに完璧美しい均衡のとれたハイフライヤー眠る。彼とその素晴らしい子孫によって祝福されたタタソールを高運命に導いたが、このことを恥じることなく覚えておく」と記された。

しかしその一大勢力を築いたハイフライヤー系も19世紀後半になると急に衰え、1970年代には滅亡したとみられる。それでもハイフライヤーのリーディングサイアー13回は更新不可能かと思われていたが……。

1990年サドラーズウェルズリーディングサイアーになると、1992~2004年には13年連続でリーディングサイアーに。計14回リーディングサイアーとなりハイフライヤーの記録過去のものとしてしまった。更にその子のガリレオ2010年から11年連続でリーディングサイアーとなった。ガリレオ2021年まで存命だったので順調にいけばサドラーズウェルズ記録更新されるだろう……と思いきや2021年にはそのガリレオ産駒であるフランケルが獲得し、記録は08年に獲得したのを含めて12回でストップ2022年にはドバウィが非ノーザンダンサー種牡馬としては1989年ブラッシンググルーム以来となるリーディングサイアーを獲得、リーディング史において一つの時代がまた終わりを告げたのである。

ハイフライヤーや競走馬のセリによって富を得たタタソールズ社は現在でも存続し、欧州要セリ会社の1つとなっている。

血統表

Herod
1758 鹿毛
Tartar
1743 栗毛
(Croft's) Partner Jigg
Sister One to Mixbury
Meliora Fox
Milkmaid
Cypron
1750 鹿毛
Blaze Flying Childers
Confederate
Salome Bethells Arabian
Champion Mare
Rachel
1763 鹿毛
FNo.13
Blank
1740 鹿毛
Godolphin Arabian
(or Barb)
不明
不明
Amorett Bartlet's Childers
Flying Whigg
Regulus Mare
1751 芦毛
Regulus Godolphin Arabian
Grey Robinson
Soreheels Mare Soreheels
Milbankes Black Mare

クロス:Godolphin Arabian 3×4(18.75%)、Sister One to Mixbury 4×5(9.38%)、Darley Arabian 5×5(6.25%)、Betty Leedes 5×5(6.25%)

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