ヘロド 単語

ヘロド

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ヘロド(Herod)とは、サラブレッドを作り上げた偉大なである。
名前の由来は古代ユダヤの王・ヘロデ大王から。 別名キングヘロド。

伝説の大種牡馬一族

18世紀も半ばの、1758年生まれ。は三大始祖と呼ばれるの一頭であるバイアリータークの血を引くターター、サイプロンという血統である。

当時はアラブ種など中東系・中央アジア系・欧州系など多な地域出身の種を掛け合わせ、優れた乗用へ改良する途上であり、サラブレッドという名前すらなかった時代ということもあり、方には血統情報不明のが混じる、現在ならサラ系認定されてしまう血統を持つ。 
ちなみに、生産したのは後にこれまたサラブレッドを形作った大種牡馬エクリプスを生産したカンバーランドウィリアムオーガスタスであった。 

1763年、5歳で競走界に降ろされるとそれなりに頑り、カンバーランドの死で馬主が変わると調子を崩したが、引退レースをきっちり勝利引退した。通算成績はおそらく、記録が正しければ10戦6勝。当時としても一流だが、圧倒的過ぎてことわざすら生まれたエクリプスべれば強さは大したことはなかった。

しかし彼の本領は種牡馬として発揮される。初年度からフロリゼルという名を輩出、更にハイフライヤーウッドペッカーらを輩出し8年連続で英愛リーディングサイアーを獲得。ちなみに19世紀最強種牡馬セントサイモンが7年連続を含む9回である。すごい
ヘロドのライバルは弱かったんじゃないかと思うかもしれないが、種牡馬生活の途中でエクリプス種牡馬入りし戦を繰り広げたので相手が弱かったなんてことはない。さらに、18世紀最高クラスの名と呼べる強さを見せた息子ハイフライヤーもまた、彼自身すら駕する才覚を持ってエクリプスに立ちはだかった。ハイフライヤーは13回のリーディングを獲得、さらにそのハイフライヤー息子、つまり孫のサーピーターティズルも10回獲得。ヘロドの血統だけで33年で31回という独占ぶりである。

種牡馬として"Eclipse first, the rest nowhere"(一抜きん出て並ぶものなし)をやったのは、ヘロドとその子孫であった。

……しかし、セントサイモンの悲劇を知っている人ならばだいたいオチは読めたと思うが、このあと血の飽和・閉塞の間隙を縫い、一回もリーディングを取れぬまま永眠したエクリプスの子孫が一気に枝葉を広げ、ヘロドの末裔を駆逐していった。
ただ、エクリプス自身は重要なレースに勝ったようなはだいたいヘロド系のであったという。繁殖牝馬もヘロドやハイフライヤーなどのたちはすごい数がいたのは確実で、直系は駆逐されたが、牝系などに入ってエクリプスの子孫たちの覇を手助けした、とも言えなくはない。

今につながるヘロド系の行方

欧州では19世紀中に少数勢力に転落、ウッドペッカーの子孫たちが20世紀中に二頭の傑出したを出すなどしてなんとか繋いで現在まで存立している。

ザテトラーク系

まずは物好きな馬主が復運動をやった結果生まれたザテトラーク驚愕快速で、凄まじい人気も博した……のだが、このちゃんと種付け出来ないひねくれ者で、そのせいか子孫の数が非常に少なく、現在彼の直系子孫は絶えている。

なお、復運動の余波でオーストラリアの有力なヘロド系種牡馬が根こそぎ英国に買われてしまい、一回絶えたという。ちなみにザテトラークは、フランスで見繕ったの子である。なんでや……。
しかしごく僅かな子孫しか残せなかった割にそれなりに長くつないだ。絶えていると前述したが全にザテトラーク系子孫が絶えたのはなんと2010年代インドらしい。詳しいことはようわからん。
後継種牡馬筆頭となったテトラテーマは彼の素晴らしいスピードを受け継ぎ大活躍した。

しかし、今の名たちに強くリンクするのは孫のナスルーラやマームード、ロイヤルチャージャーらに入りその超絶スピード牝系からつないだFlying Fillyムムタズマハルであろう。彼女から引き継いだ凄まじいスピード力は子孫たちに色濃く発現している。一番わかり易いのは孫のナスルーラであろう。
他にもミスタープロスペクターゴールドディガー-ナシュア-ナスルーラを通って、ノーザンダンサーナタルマ-アルマームード-マームード-マーイランを通って、*サンデーサイレンスヘイロー-ヘイルトゥリーズン-ターントゥ-ロイヤルチャージャーを通ってムムタズマハルに到達する。実質現代競馬スピードを生み出しているのはザテトラーク、という凄まじい暴論が通ってしまうと言っても過言ではないだろう。

日本ではトキノミノルらを出したテトラテーマ産駒の*セフトが一番有名なザテトラーク種牡馬だろう。戦後日本リーディングサイアーとなり、後継種牡馬シーマーやイツセイからも八大競走を輩出できた。しかし最大の大物トキノミノルダービー後に病死したのが大きく、最後の大物ボストニアン種牡馬として失敗したのが決定的だった。更にそこへ競走馬の輸入を解禁されたのが致命傷となり、*ライジングフレームや*ヒンドスタン駆逐されて、サラ系1979年を最後に競馬場から姿を消してしまった。今は戦前戦後まもなくに導入された繁殖牝馬の末裔たちの血統表に存在するのみである。

別のところでは、天皇賞タカクラヤマからアングロアラブのミトタカラ産駒スマノダイドウを通した系統が2000年代まで最も長く活躍した。スマノダイドウは7度のアングロアラブリーディングサイアーとなり、産駒のスマノヒツトも4度のアングロアラブリーディングサイアーを獲得してアングロアラブでも最大の発展を見せた。しかし、日本アラブ競走は1984年中央競馬から撤が始まり、それに地方が追随して2009年全に終焉を迎えた。これによって、90年代から2000年代にかけてアングロアラブの生産数も減し、同じくアングロアラブで残っていた*セフト産駒クラクセフトの系統諸共、スマノダイドウ系は大打撃を受け、モナカバキチが2012年引退したことでアングロアラブ世界においても*セフト系は断絶した。もし繋がっていたとしても今やアングロアラブを生産するのは趣味か労役あたりと思われるので、競走馬ではない。

ちなみに、ザテトラークムムタズマハルグレイソヴリンを通して芦毛の中の祖としての役割も果たした。彼自身は斑が立つ変な芦毛だったが。 

トウルビヨン系

欧州のトウルビヨン系

もう1頭はトウルビヨン。旋を意味する名を持つ天才で、今残るヘロド系は皆彼の子孫である。素晴らしい力を持ち、種牡馬としてもジェベルアンビリクスを輩出し前のであったヘロド系の寿命100年は伸ばしたであろう名である。
イギリスのやたら高い競馬先進国としてのプライドから作られたジャージー規則を破壊した立役者でもあるが、そのジャージー規則により発展における出足が遅れてしまった。
彼を生産した情熱と狂気マルセル・ブサック落も痛かった。後期の傑作種牡馬となったアンビリクスこそアメリカに送られたが、最も活躍した後継種牡馬ジェベルマルセル・ブサックバックアップ狂気インブリード理論があったからこその大活躍だったためである。ジェベル産駒で名種牡馬として活躍したマイバブーやクラリオンマルセル・ブサックの生産ではないが……。

少し前の欧州ならば*ラムタラから年度代表馬を"譲られた"と当時一部で言われた天才マイラー・リッジウッドパールらを輩出したジェベル-クラリオン-クレイロンラインにいるアホヌーラ産駒インディアンリッジの子孫が短距離存在感を示していたが、スピードが残った血統は先細って中級から下級の短距離戦に特化し大物不足、さらにインヴィンシブルスピリットグリーンデザート系、ゾファニーら軽い*デインヒル系、ノーイネヴァーらスキャットダディ後継、*ワージブの直系(!?)種牡馬ダークエンジェルなど短距離種牡馬とニッチの奪い合いになって人気低下が著しい。なんとか欧州に残留している数少ない大物の1頭である2000ギニーインディアンイヴンも年に数頭がいいところである。

スタミナがある血統はメルボルンカップを勝ち種牡馬入りしたカタールレーシング総帥・ファハド殿下のお気に入りのステイヤーであるドゥーナデンがいたが折してしまう不幸に見舞われてしまう。ファハド殿下はこのドゥーナデンを甚く気に入っており、亡くなったときの明で「彼がいなけりゃ競馬事業にこんなにカネを使わなかったし、印で並ぶロアリングライオンくらいだ」と述べるほどであった。そのため産駒に奨励金を出し、彼の血統を末永く守ろうとまでしていたが折により先行きは不安定になった。

しかしファハド殿下はもう一頭のインディアンリッジ後継種牡馬を保有している。インディアンリッジの子で最も種牡馬として成功した短距離コンプトンプレイス(2015年死亡)産駒パールシークレットである。こちらもドゥーナデン同様奨励金が出されるらしく、50頭前後の種付を確保している。パールシークレットスピードタイプなのでもうワンチャンスあるかもしれない。

ちょっと前にはアホヌーラで別れたラインからノットナウケイトや*ドクターデヴィアスも出たが前者は障害向けに転向、後者ロンドンブリッジの活躍でわかるように繁殖牝馬としては有能だったが種牡馬としては伸びなかった。

トウルビヨン祖国フランスで発展した子孫、クレイロン産駒のリュティエを祖とする流れは古になってから凱旋門賞を連覇しかけた(が斜行でフイにした)サガスの折、リーディングサイアーいたサンシリアンが種牡馬たる存在になれなかったこと、日本が輸入した*ダンディルートの活躍で片っ端から買い漁ったもあり先細っていった。まーたネヴァーセイダイプリンスリーギフトの悲劇を……。

現在でもリュティ産駒ティップモスの系統からダイヤモンドボーイが登場し大人気種牡馬として活躍しているが、が一流ハードラーだったためパッとしないながら障害種牡馬として種牡馬入りしたタチである。まあ向こうは障害こそって面はあるんで……。

日本のトウルビヨン系

ザテトラーク系と入れ替わる形で日本でも、トウルビヨン種牡馬が60年代から輸入された。特に、ジェベル産駒アメリカ拠点に活躍したマイバブーの系統でも傍流に位置づけられる*パーソロン日本で確変したかのごとく大活躍。1971年1976年リーディングサイアーいた。系も

と伸びていき種牡馬墓場と呼ばれた日本からトウルビヨン系を守り立てる天才たちが生まれたかに見えたが…。サクラスターオーは競走中の怪が原因死亡し、メジロマックイーンGIが出ず、トウカイテイオーに関しては産駒GIストロングブラッドが居たにもかかわらず後継種牡馬となれなかった。まあ、当時の日本ダートGIでは・・・

また、別の流れではジェベル産駒クラリオンの系統に位置するダンディルートGI級こそ残せなかったものの、産駒5世代の全ての世代から重賞を輩出。こちらの系も、

と伸びたが、グルメフロンティアは種付け数が少なく、ダイタクヤマトオーナー破産によって種牡馬として十分な支援が得られなかったことで断絶。トウショウゴッドもわずか7頭の産駒から重賞5勝のヌエボトウショウを輩出したが残念ながらだった。

更に、9000年代にかけて*サンデーサイレンスら外種牡馬らに他の日本系諸共塗り潰され、今や前のになってしまった。

ただ、メジロマックイーン産駒ギンザグリングラス産駒を残し、トウカイテイオー産駒クワイトファイン種牡馬として残っているだけ日本はまだ情勢的にマシな方と言えなくはない。

オーストラリアで生き残っていたマイバブー直系のマスタープリントも2015年死亡し断絶濃厚、続いたとして日本の2頭より情勢がよくなるとは考えられない。そのくらい血統書上のヘロド直系のサイアーラインは厳しいのである。

アメリカのヘロド系

アメリカでは、初年度産駒ロリゼルの直系が19世紀半ばに”盲目英雄”と呼ばれたレキシントンという伝説的名を輩出した。
引退後も種牡馬として大暴れし、なんと16回リーディングサイヤーを獲得し後世”アメリカセントサイモン”と呼ばれるほどの大活躍を見せ大いに繁栄する勢いだったのだが……彼が引退してそこまで経たない頃から南北戦争が開戦。これによって本来種牡馬繁殖牝馬として活躍するべきたちが軍として徴用されて有力な子孫が減ってしまったのもあったか20世紀初頭から一気に衰えてしまい、1989年に最後の直系が生まれたのを最後にサラブレッドとしての子孫は確認されていない。彼女の死により、レキシントンの血は絶えたと思われる。もし続いていたとしても競走馬としてではない。
同じ時代にウッドペッカーの直系にあたるグレンコーの子孫が一気に勢力を広げ、ヒンドゥーとハノーヴァー子が2代連続で獲得賞金記録更新するなど大活躍したがこっちも20世紀に入ったあたりで沈み始め競走馬世界から去っていった。

また、前述の通りマルセル・ブサックアメリカ向きと見抜きアメリカ種牡馬入りさせたトウルビヨン産駒アンビリクスも北で大活躍し、さらに産駒シートアンカーアルゼンチンに輸出され活躍、後継のマウントドラゴも活躍したのだが、こちらも北残留組はNDミスプロボールドルーラーに、アルゼンチン組は*サザンヘイローら北からやってきた連中にされほぼ断絶状態。アリシドンの直系にあたるシアトルフィッツが未だに元気アルゼンチン生存競争に負けてしまったのか……。
他にもマイバブーが活躍し一時期伸ばしたものの衰退。その衰退が始まった頃にデビューしたプレシジョニストがながーい間1980年代アメリカの一線級で短距離距離を駆け抜け大活躍し、種牡馬としても引き合いはあったのだが……彼の精子シガーと同じくらいダメダメであった。数頭は産駒を残したからちょっとは上だったが。
これによりマイバブーのラインは決定的ダメージを受け、アメリカ残留組はノーザンダンサーミスタープロスペクター爆発的伸長の前になすすべなく飲み込まれていった。

一番繁栄したハイフライヤーの直系も、1977年生まれの以降スタッドブックに載るがろくにおらず、すでに絶えた。最後の地はソ連だったらしい。意外だがアニリンのようなもいたし当時は産地としてはまあまあ有名であった。

意外なことにアメリカにはザテトラークを経てないルサシーの直系という変わり種が残っている。だが、ロアエロド(ザテトラーク)を最後に競走馬として走っておらず、障害飛越用の種牡馬として繋がってる系統で、ティーフクラシックツイスト術用種牡馬である。

番外:セントサイモン系

その他に、血統上はダーレーアラビアン系、そしてエクリプス系に属していることになっているセントサイモンの系統も遺伝子分析の結果から実はバイアリータークを始祖とするヘロド系である可性が高いという研究結果がウイーン大学から発表された。
え? と思うかも知れないがベンドアも取り違え、すり替え疑惑があるなど19世紀あたりの血統管理はまあガバガバガバガバガバスタッドブックになってしまいがちだったのだ。今みたいに遺伝子とかもできないし。
2歳と3歳2世代しかいない1890年にいきなりリーディングサイヤーとなり、その後1897年まで連続するなど繁栄し、子孫にもボワルセルリボープリンスローズなどの名種牡馬がいるのだが、現在では衰退している。血統書上は別扱いのセントサイモン系を勘定に入れてもしんどいのがあまりにも……。
オーストラリアに繋養されているプリンスジョン直系ラヴコンケアーズオールが多数の繁殖牝馬を集めているのが一の救いか。この何が凄いって血統表眺めるとかなり前でも北半球の有力種牡馬ニジンスキーネヴァーベンドしかいない。ダマスカス、リュティエ、シャムスターキングダムなど北半球ではすでにドマイナーになった血統で埋め尽くされたとても趣のある血統である。ただ、オーストラリアは簡単にせん馬にする傾向があるので次に繋がるかどうか……。

他にも北半球でもプレザントリーパーフェクトの重な後継種牡馬ノニオスがカナダでそこそこ数を集めている。

こうしてみると案外元気にはやっているが、前のに近くもある。

サラブレッドを形作った馬

とはいえ、ヘロドの偉大さは直系子孫が絶えようとも決して色あせることはない。繁殖力を元に最適な配合を弾き出すドサージュ理論という配合理論があるのだが、それに用いられる標準ドサージュ数において、ヘロドの数値は750という破格の数値を誇る。
ちなみに、現在どのが直系子孫であるエクリプスですら568セントサイモン420、20世紀最強種牡馬ノーザンダンサー296にとどまるので、ヘロドの力は今もって凄まじいの一語なのである。
ちなみに、血量換算にすると18.3%になる。 単純に言うとど馬にも2割弱くらいはヘロド由来の何かがある、ということである。
しにサラブレッドという品種は成り立ち得なかった、そんなレベルにまで彼の力は昇されているのである。
例え直系が絶えようとも、 彼が遺した足跡サラブレッドという品種が速さを競い続け繁栄する限り消えることはない。

血統表

Tartar
1743 栗毛
Croft's Partner
1718 栗毛
Jigg Byerley Turk
Spanker Mare
Sister One to Mixbury Curwen's Bay Barb
Curwen Spot Mare
Meliora
1729 栗毛
Fox Clumsey
Bay Peg
Milkmaid Wharton's Snail
Shields Galloway
Cypron
1750 鹿毛
FNo.26
Blaze
1733 鹿毛
Flying Childers Darley Arabian
Betty Leedes
Confederate Filly Grey Grantham
Black Barb Mare
Salome
1733 青鹿毛
Bethell's Arabian 不明
不明
Champion Mare Graham's Champion
Darley Arabian Mare

クロス:Darley Arabian 4×5(9.38%)

関連動画

タグシンボリルドルフビゼンニシキトウカイテイオーあたりで探せば末裔の走りが見られるよ!やったね!

関連コミュニティ

関連リンク

永遠のヘロド/The Eternal Herodexit

関連項目

Herod 1758
|Florizel I 1768
||Diomed 1777 ダイオメドの記事参照
||Fidget 1783
|||Colt by Fidget 1794
Highflyer 1774
||Sir Peter Teazle 1784
|||Sir Paul 1803
||||Paulowitz 1813
|||||Cain 1822
||||||Ion 1835
|||||||Wild Dayrell 1852
||||||||Buccaneer 1857
|||||||||Formosa 1865
||Prunella 1788
|Woodpecker 1775
|Buzzard 1787
|||Castrel 1801
||||Pantaloon 1824
|||||Windhound 1847
||||||Thormanby 1857
|||||||Atlantic 1871
||||||||Le Sancy 1884
|||||||||Le Samaritain 1895
||||||||||Roi Herode 1904
|||||||||||The Tetrarch 1911 ザテトラークの記事参照
|||Selim 1802
||||Sultan 1816
|||||Glencoe 1831
||||||Vandal 1850
|||||||Virgil 1864
||||||||Hindoo 1878
|||||||||Hanover 1884
||||||||||Hamburg 1895
|||||||||||Frizette 1905
|||||Bay Middleton 1833
||||||The Flying Dutchman 1846
|||||||Dollar 1860
||||||||Androcles 1870
|||||||||Cambyse 1884
||||||||||Gardefeu 1895
|||||||||||Chouberski 1902
||||||||||||Bruleur 1910
|||||||||||||Ksar 1918
||||||||||||||Tourbillon 1928 →トウルビヨン(競走馬)の記事参照

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