戦場でワルツを 単語


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センジョウデワルツヲ

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それは

旧友ボアズの語る夢から始まった








ボアズ・レイン=バスキーラ

ーBoaz Rein Buskila

 「レバノンの夢は?」                                        

 「いいや 見たことはないね 」                                                                                                         

 「全部で26匹                                            

     どの犬も鮮明に覚えている」

 「どこを撃ったか どんな表情で死んでいったか」

レバノン侵攻から20数年ぶりのその晩

フラッシュバックを経験した        

場所は西ベイルート            

サブラ・シャティーラの虐殺現場だった



オーリ・シヴァン                                          カルミ・クナアン        

ーOri Sivan                                           ーCarmi Cnaa'n      

「人は 存在しない過去を思い出す」                            「なぜ来た?」 

「記憶はまるで生き物」  

「思い出せない部分があると                                  「デッキに 巨大な女がやってきた

 都合よく創り出して その穴を埋めるんだ」                            やがて船の上に

                                                    火だるまの仲間たちが見えた」



                             「撃て」

                               「何を?」

 「明け方に目覚めた俺は仲間と上陸」                           「いいから撃つんだ」

 「恐怖と興奮のあまり                                     「お祈りは?」         

         全員で一斉に乱射した」                           「祈りながら撃て」

 「標的は?」 

 「知るもんか」  


ロニー・ダヤグ

ーRoni Dayg

 「いきなり爆発音が聞こえた」

 「水面が衝撃で震えて 波に飲まれて焦った」

 「泳いで生還したが

       心は晴れなかった

   自分が裏切り者に思えて」

幻覚でも潜在意識でもない

19歳で初めて戦闘に出た日の記憶

僕は戦場に着いた当日に

遺体を運んだ

シュムエル・フレンケル

ーShmuel Frenkel

 「パチョリをつけておけば

         誰も俺を見失わない」

 「屋外でも強い香りが残るからさ」

だが夢は突然消え 現実が戻ってくる

我に返った僕は 先を思い不安になった

今日 ベイルートを爆撃した                                            

  毎日 爆弾を落としている                                          

                     殺されても 文句は言えない

   無実の市民も時には巻き添え                                 

      毎日 爆弾を落としている                               


 

「バシールが死んだ」




ロン・ベン=イシャイ

ーRon Ben Yisahi

「ワルシャワ・ゲットーの写真を知ってるかい?」

「女性、老人、子供の列は」

「それに似ていた」

                                                「なぜまた来た?」

                                                        「何をやっていた? 思い出せ」

                                                      「ビルの上で光る空を見てた」


  「あれは永遠か一瞬か」      

そしてこのすぐ先でバシール暗殺への復讐劇が起こる

サブラ・シャティーラの虐殺事件だ 

                                         「俺は連中の残酷さを知ってる」       

「連中にとってのバシールは         

 スターでアイドルで崇拝の対象だった」

「性的にもそそったと思う 色っぽい男さ」 


「当時 本部が設置されていたのは?」

「キャンプが見渡せるビルの屋上だ」

「我々よりよく見えたはずさ」



ドロール・ハラジ

ーDror Harazi


「見張りの者が“連中が住民を撃ってる!”と叫んだ」

「壁に並ばせて射殺したと」


「彼らと一緒に中へ入ろう」

“解離”と言うのよ


実体験から自分を切り離すの


アマチュア・カメラマンの例があるわ

むごい戦争を見て平気かと尋ねると

“旅行者気分でいれば大丈夫”と返答

彼は戦場で こう思うの

“すごいぞ”

“銃撃戦に戦車 ケガ人までいる”

カメラを通してフィクションを見ている感覚ね

やがて変化が起きたわ

カメラが壊れたの

彼はその時

現実に素手で触れてしまった
























AN ARI FOLMAN FILM

WALTZ

WITH

BASHIR


戦場でワルツを






















WALTZ WITH BASHIR


原題 WALTZ WITH BASHIR <バシールとワルツを>

アニメーション・ドキュメンタリー映画

2008年にイスラエルで公開

イスラエル、ドイツ、フランス、アメリカ合作

上映時間90分

ヘブライ語

日本語字幕

PG-12指定作品

監督・脚本・制作・主演 アリ・フォルマン-Ari Folman-


2008年のカンヌ国際映画祭で上映が決定。

批評家から絶賛され、ゴールデン・グローブ賞等、23を超える各国の映画賞を総なめにした。

注目すべきは、アニメーションやドキュメンタリー部門というカテゴリーを越え、作品賞としての受賞が多いことである。

日本では2008年度の映画祭、東京フィルメックス初公開。

東京フィルメックス最優秀作品賞を受賞した。

2009年のアカデミー外国語映画賞にノミネートされるも、受賞を逃した。

尚、このとき受賞したアカデミー賞作品は、邦画『おくりびと』であった。


Adobe FLASHアニメーションと3Dアニメーション、古典的なアニメーション技法を融合した作品である。


日本での一般公開を希望する声があったものの、配給権を求める声がないまま、お蔵入りも噂されていた。

その後、提供・配給先が決定なり、2009年11月に一般公開が決定。

その際、題名を「戦場でワルツを」に改める。

劇場公開時にカットされたシーンを収録した完全版がDVD・Blu-rayにて2010年に発売。

2012年3月8日にニコニコチャンネルにて有料配信している。




Story


2006年冬のある夜、とあるバーで。

映画監督のアリを呼び出した旧友が、夜毎悩まされる悪夢のことを打ち明け始めた。

26匹の猛り狂った犬の夢。

それは、自分たちが従軍した82年のイスラエル軍のレバノン侵攻の後遺症なのだろうか。

アリは突然気付く…「自分には、当時の記憶がまったくない…」

ふいに直 面した謎に興味をそそられて、世界中に散らばっている戦友たちを訪れ取材しようと決意するアリ。

失われた記憶、自分自身の真実を見つけなければならない。

そして、自らの内へ深く深く入っていくうちに、彼の記憶はシュールレアルなイメージとなって這い出してきた…。

                                                                    ニコニコチャンネル動画説明文より抜粋

CAST


アリ・フォルマン

監督・脚本・制作・主演を務める。

1962年、ハイファに生まれる。ホロコーストから生き延びたポーランド人を両親に持つ。

1980年代半ば、徴兵を終える。

映画監督を志し、卒業制作のドキュメンタリー「COMFORTABLY NUB」(91)がイスラエルで評価され、イスラエル・アカデミー賞のドキュメンタリー最優秀作品賞を受賞。

TV用ドキュメンタリーを数多く手がけ、「セイント・クララ」(96)はベルリン国際映画祭にて公開され、観客賞を受賞。

その後も精力的に映画・TVドラマ・ドキュメンタリーを制作し続け、様々な賞を受賞した。


ボアズ・レイン=バスキーラ

アリの友人。会計士。潔癖症で、映画の出演を拒否。劇中の顔と声優は代役である。


カルミ・クナアン

アリの学友。兵役後インドへと渡る。90年代にオランダで成功し、富を得る。

出演を辞退。声優は俳優により代役された。


オーリ・シヴァン

アリの親友であり、私設臨床精神科医。

アリと共同で数々の作品を手がけた。

作中は本人の希望により、増毛した姿で登場している。


ロニー・ダヤグ

「話せる機会を待ちわびていた」といって本作に参加。

上級栄養技師、有機化学博士であり、イスラエル国内の酪農産業を独占している大企業のマネージャー。

あまりに淡々とした様子で過酷な経験を語る彼を見たスタッフたちは、ぞっとするような感覚を抱いたという。


シュムエル・フレンケル

ポスターのバシールが見守る中、まるでワルツを踊るような銃撃戦を見せた。

長年に渡り軍に留まり、格闘技に精通。

どちらかがギブアップを告げるまで殴り合う格闘競技デス・サバイバル8年間連続チャンピオン記録を持つ。


ロン・ベン=イシャイ

イスラエルのTV特派員であり従軍記者。

ヨム・キプール戦争で砲撃に見舞われながらも多くの負傷兵を救助し、表彰された。

サブラ・シャディーラの虐殺当日、イシャイが電話で報告を寄せたシャロンは、そのことを根に持っていた。

以来20年に渡り、シャロンはイシャイがイスラエル放送管理職へ昇進しないよう目を光らせた。


ドロール・ハラジ

サブラ・シャディーラの虐殺の日の午後、難民キャンプの門で戦車隊を指揮。

彼は部下から、虐殺が行われているという報告を聞き、本部の司令官に報告するが、了承済みだと言われ無視された。

何の説明も無く、不名誉なまま退任させられた。

この作品への参加は、自分が知っていることを話したいという、彼の最後の叫びであり、試みである。



Word


本作は、イスラエルの歴史・戦争の知識が必要なため、日本人には難解である部分が多い。

ここでは本作の簡単な背景を記述している。

参考になれば幸いである。



バシール・ジェマイエル

原題「バシールとワルツを」のバシールその人である。

高い軍事能力・カリスマ性を持ったキリスト教マロン派ファランへ党の指導者。

レバノン国内のキリスト教徒の多くが、混乱し続けるレバノンを、彼の手腕で主権と秩序により取り戻すことを期待した。

大統領就任を目前に、1982年9月14日、ファランへ党の本部ビルが爆破。死亡した。

しかし、今だに犯人は不明である。


アリエル・シャロン

82年のイスラエル国防相。

83年にサブラ・シャティーラ事件の責任により、国防相辞任。

99年、右派政党にリクード党首に就任。

2000年、パレスチナ側との衝突が各地で勃発。和平より治安を求める声が国内で高まり、国民の心を掴む。

2001年、首相に当選。以後2006年まで務める。

2006年、病に倒れ、政界を離れた。


サブラ・シャティーラの虐

爆破事件の後、ファランへ党は即座にPLOの犯行と断定。

バシール暗殺への報復として、パレスチナ難民の暮らしていた西ベイルート地域に進軍。

パレスチナ武装勢力はすでにチュニジアへ撤退済みだったが、難民キャンプにいるとして、

16日午後、イスラエル軍が包囲していたサブラとシャティーラの難民キャンプへと入った。

9月18日、3日間に渡ってファランへ党が虐殺を行なった事態が明らかとなる。

犠牲者が3000人を超えるであろうこの虐殺事件は、世界に衝撃を与えた。

現在、事件の慰霊碑がエルサレムの岩のドームの近くに設けられている。


PLO(パレスチナ解放機構)

イスラエル支配下のパレスチナ開放を目的に、1964年設立された組織。様々な考えを持つ各派から成り立つ

1969年にヤーセル・アラファトが議長になり、穏健組織から戦闘組織に変わる。

各派により、テロやゲリラが展開。

82年、イスラエルの攻勢の影響で、チュニジアに撤退。

87年に武力による解決から国際会議による中東平和に政策を切り替える。


キリスト教マロン派

東方典礼カトリック教会の一派。

レバノンを中心に信者を擁する。

「宗教・宗派の博物館」と呼ばれるレバノンには、18もの公認された宗教があり、マロン派もその一つである。

1975年から続く内戦の原因のひとつに、人口では大多数を占めるイスラム教徒と、フランスによる委任統治時代から

多くの権限を与えられていたキリスト教との対立がある。


パレスチナ難民

度重なる中東戦争や紛争から逃れてきた、パレスチナに住んでいたアラブ人、つまりパレスチナ人達である。

48年のイスラエル独立により、約80万人が難民となり、その後も増え続ける。

レバノンにも50年の時点で約13万人、2008年の本作公開の年で40万人もの人々が12の難民キャンプで暮らす。

この12という数字は、国連管理下のキャンプ数であり、現実には更に多くのキャンプが存在する。

サブラとシャティーラの難民キャンプも国連の管外であった



Staff


監督・脚本・制作

アリ・フォルマン


美術監督・イラストレター

デイヴィット・ボロンスキー

ロシア移民。

1998年に名門ベザレル芸術学校を主席で卒業。

新聞・雑誌・児童書のイラストで、数多くの賞を受賞した。

TVアニメーションの経験を積んだ彼は、現在教鞭も振るっている。

本作に参加後、4年で1720枚、実に80%のイラストをひとりで描き上げる。


プロデューサー

ヤエル・ナフリエリ

テルアビブ大学芸術学部を卒業。

テレビの文化プログラム調査員から、瞬く間に連続シリーズの管理職へと昇進する。

コンピューター導入からポスプロまで、ありとあらゆる雑用をこなす、完全無欠のマネージャー。

他、セルジュ・ラルー、ゲルハルト・メイクスナー、ロマン・ポールがプロデューサーを務めている。


アニメーション監督

ヨニ・グッドマン

新聞のイラストレーターとしてデビュー後、べザレル芸術学校でアニメーションと出会う。

卒業後はテレビ番組やCMで活躍。

公式ウェブサイトも手がけた仕事中毒人間。

ランボーシリーズを敬愛する。(特に3)

モザイク画のように被写体を細かく分解して動かす、フラッシュ・カットバック・アニメーションなる技法を編み出す。

この複雑な技法は本作アニメーター達に地獄の苦しみを与えることになった。


視覚効果監修

ロイ・ニツァン

2005年、アムステルダムの芸大を卒業。

2007年カンヌ国際映画祭でカメラ・ドールに輝いた「ジェリー・フィッシュ」で水中シーンの合成を担当。

同時期、Zeev Tene のシングル曲、<ベイルート>のビデオクリップを監督。

この曲が本作で使われることとなり、アリ・フォルマンに請われて視覚効果監修を務めることとなった。


音楽

マックス・リヒター

2002年のBBCフィルハーモニックオーケストラ録音アルバム<memoryhouse>で注目を浴びる。

数々のミュージシャンや映画監督からの興味が集まり、映画のオリジナル楽曲も携えた。

映画用のオリジナル楽曲がサウンドトラック盤として発表されたのは、本作が初めてである。


編集

ニリ・フェレー


サウンドデザイン

アヴィヴ・アルデマ



Production


制作

Bridgit Folman Film Gang

Les Films D'ici

Razor Film


共同制作

Arte France

ITVS International


制作協力

TNoga Communications - Channel 8

The New Israeli Foundation for Cinema & T.V.

Medienboard Berlin-Brandenburg

Israel Film Fund

HOT Telecommunication system Ltd



Movie



ニコニコチャンネルにて予告・有料動画が掲載されている。

http://ch.nicovideo.jp/channel/waltz-wo



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