『チャイナタウン(原題:Chinatown)』は、1974年に公開されたアメリカ映画。
第47回アカデミー脚本賞、第32回ゴールデングローブ賞でドラマ部門作品賞ほか3部門を受賞。映画学校や脚本講座で手本に取り上げられる俊逸な脚本が魅力の、映画史に残る名作。
本来の意味の「チャイナタウン(中華街)」については該当記事を参照のこと。
1937年、世界恐慌から間もないアメリカ。
慢性的な水不足とダム建設の土地利権問題に揺れるロサンゼルス(L.A.)──
私立探偵ジェイク・ギテスは、L.A.市水道局幹部ホリス・モーレイの「夫人と名乗る女性」から「夫」の浮気調査を依頼された。ジェイクはホリス氏を尾行し、若い女と遊ぶ彼を隠し撮りするが、何故か新聞にその写真がリークされた挙句、「本物のモーレイ夫人」エヴリン・モーレイからプライバシー侵害で告訴されてしまう。
ジェイクは己の矜持にかけて独自の調査を始めるが、依頼人も浮気相手も姿を消し、どこかへ出張したらしいホリス氏にも会えず、真相は霧の中。エヴリンはジェイクの誠意を評価して告訴を取り下げるが、どうやら深入りされることを恐れているようだ。間もなくして、市の貯水池でホリス氏の溺死体が発見される……。
ホリス氏が調べていたらしいもの。消える貯水池の水。偽モーレイ夫人の正体。「カジキクラブ」。大量の地主が集まる老人ホーム。そして、二転三転する言動でジェイクを翻弄するエヴリン。
幾多の妨害を潜り抜けて謎を追うジェイクの前には、余りにも深い闇が広がっていた──
チャイナタウン | |
基本情報 | |
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監督 | ロマン・ポランスキー |
原作/脚本 | ロバート・タウン |
音楽 | ジェリー・ゴールドスミス |
製作 | ロバート・エヴァンス |
配給 | パラマウント映画 |
日本公開 | 1975年4月12日 |
上映時間 | 131分 |
映画テンプレート |
現実の1930年代に問題化した「カリフォルニア水戦争」を背景に、街に蔓延る陰謀に翻弄される私立探偵を主人公にしたハードボイルド探偵映画。いわゆる、暗い雰囲気で進行する硬派な映画「フィルム・ノワール」や、社会の束縛や欺瞞から逃れようとする個人の暴走を描く「アメリカン・ニューシネマ」に分類される。筋書にはレイモンド・チャンドラーの探偵小説や当時の行政資料が強く影響している。
製作は『ローズマリーの赤ちゃん』『ある愛の詩』『ゴッドファーザー』などのヒット作を連発していた名プロデューサー、ロバート・エヴァンスが主導している。パラマウントから独立した彼は、馴染みの俳優ジャック・ニコルソンと、その友人である脚本家ロバート・タウンと組み、新作映画の構想を練った。
当初エヴァンスは『華麗なるギャツビー』の映画化を考えていたが、タウンは『チャイナタウン』の構想を提示する。自分の前作『さらば冬のかもめ』を手掛けた際、取材の中で古き良き、そして醜悪だった時代の空気が消えていくことを残念に思ったタウンは、主演のニコルソンの応援もあって「失われた30年代L.A.の物語」を書きたいと考えていた。
この暗い物語を監督するには誰がふさわしいか……エヴァンスはよりにもよって、かつて『ローズマリーの赤ちゃん』で組んだロマン・ポランスキーに白羽の矢を立てた。
「よりにもよって」というのも、1968年に女優シャロン・テートと結婚し、子供を授かる寸前だったポランスキーは、1969年にカルト教団にL.A.の自宅を襲撃され、胎児もろとも妻を殺害されていたのだ[1]。ヨーロッパに拠点を移していたポランスキーは悩んだ末、友人のニコルソンのサポートもあり、L.A.に戻ってメガホンをとることを決意した。また、ニコルソンは謎の女エヴリン役にフェイ・ダナウェイを推薦している。
もともと神経質なポランスキーだったが、忌まわしき地での撮影で更にそれが酷くなったようで、撮影現場ではトラブルを連発しエヴァンスを悩ませた。脚本の執筆時点でもタウンに注文を付け、特にエンディングについてはゴネまくって自分の案を押し通している。公開2週間前の試写の段階では、ポランスキーは友人の作曲家の「映画はいいが曲がダメ」という助言を受け、前任者をクビにしてジェリー・ゴールドスミスを呼び、音源を総とっかえさせる荒業に及んでいる。
紆余曲折を経て完成した映画は各方面から高く評価され、第47回アカデミー賞では10部門にノミネートされ、タウンが脚本賞を受賞した。なお、ポランスキーの報酬については、エヴァンスはポランスキーの前作『欲望の館』の興行収入と同額を払うと伝えていたが、そちらの興収はズッコケ、したがって『チャイナタウン』のギャラも大した額にはならなかった。エヴァンスの提案はこの結果を見越してのものであり、ポランスキーはキレた。
ストーリーテリングは王道の探偵物語だが、現代の目からするととてもストイックな演出が特徴。「分かりやすく面白い」映画とは程遠く、観客にもある程度の読解力・推理力・記憶力を要求してくるため、この手の映画に慣れていない人だと一度の鑑賞では事件の全貌を把握しきれないかもしれない(このためか、公開から時が経つにつれて本作の評価は賛否両論になっている節がある)。
理解の難易度を上げ、そして観客を魅了する要因は大きく2つ。
1つは「物語は全てジェイクの目線のみで描かれ、「一方その頃」な第三者を描くシーンや、他人の心境文(モノローグ)は一切存在しない」こと。これによって観客に入る情報量が限定される上に、手掛かりを掴んだジェイクはすぐに移動する(場面転換する)ため、落ち着いて情報を整理するタイミングがない。
もう1つは「物語は全てジェイクと調査対象の対話(ダイアローグ)の積み重ねで進行し、「これまでのおさらい」的な状況整理や回想のフラッシュバックは一切挿入されない」こと。限られた対話の中では、調査対象(とジェイク)は物事の全てを話しているとは限らず、真実を話している保証もない。観客は俳優のさりげない演技や間の取り方も考慮しながら、物語を解釈していく必要に迫られる。
この対話の組み立てと、新情報の開示プロセスが非常に巧みに作られているのが本作の真骨頂。あからさまな説明台詞や、不自然な言及はなく、いかにも本当にありそうな会話劇の積み重ねで物語が成立している。調査の過程で見つかった小物や、背景の飾りが、かなり後になって全く別の要素に関連付けられる、巧妙な伏線の設置・回収も見所。それらは出演者の名演や、演出の間の取り方によって、さらに奥深い物語として完成されている。
映像面も見所が多く、考え抜かれた構図で観るものを飽きさせない。美術面では1930年代後半のL.A.をセット、小道具、衣装の全てで忠実に再現しており、時事ネタをシナリオの下敷きにしていることも相まって、「時代劇」としても一級品のクオリティを誇る(当時あちこちで酷使されていた黒人がほとんど出てこないというツッコミどころはあるが……)。
なお、タイトルこそ『中華街』だが、実はチャイナタウンはシナリオにほとんど関係ない。このタイトルは舞台を指すのではなく、ジェイクの心象風景を指している。彼がかつての警官時代に勤務していたチャイナタウンの印象「怠け者の中国人たち(≒長いものにまかれて生きる人々)が暮らす、薄汚れた、腐敗と堕落の街」が、物語を締め括るファクターとなるのである。
Forget it, Jake, it's ”Chinatown”……
もう忘れようジェイク。”チャイナタウン”さ……
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最終更新:2025/07/13(日) 19:00
最終更新:2025/07/13(日) 19:00
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