青山敏弘 単語

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 青山敏弘とは、サンフレッチェ広島に所属するサッカー選手である。ポジションボランチ。

概要

 サッカーの強として知られる岡山県の作陽高校出身。2年生からスタメンでプレーし、3年生の7月にはサンフレッチェ広島から特別定選手として登録される。高校卒業と同時にサンフレッチェ広島に入団。
 デビュー後はしばらく出場機会が与えられずベンチを温めていたが、2006年監督に就任したミハイロ・ペトロヴィッチ(現浦和レッズ監督)にその才を見出され、として定着。度重なるケガや痛に悩まされつつも、公式戦の大半でスタメンとして出場を続けている。

 ペトロヴィッチ後のサンフレッチェ広島は非常に特徴的な戦術(攻撃時4-1-5、守備時5-4-1の可変式3バック)を採用しており、CBボランチは守備だけでなく攻撃的なセンスも要されるのだが、豊富な運動量と正確なパスを兼ね備えた青山はそれにうってつけであり、いまや広島心臓と言える選手である。また組み立てだけでなく、裏のスペース掛けての一撃必殺ロングパスという武器も持っており、チームエースである佐藤寿人に最も多くアシストを通しているのも彼である。対戦相手にとっては(ゴールから遠いボランチの選手でありながら)絶対にフリーで前を向かせてはならない危険な存在といえる。

 所属クラブにおいては2007年J2落ちを経験するも、翌年のリーグ戦序盤で森崎和幸とのドイスボランチを確立。それ以降の広島は連勝を続け、勝ち点100得点99という記録的な数字土産J1に帰還した(なおこのときの広島の進撃については「」と呼称されている。興味のある人はググってみよう)。
 そして2012年33節セレッソ戦で青山が叩き込んだ2点目exit勝利したサンフレッチェ広島は、初のリーグ優勝を果たした。翌2013年は他クラブからマークを受けて苦しむも、33節湘南戦で決勝点を挙げexit、34節鹿島戦で2点目の起点となったexit彼の活躍もあり、広島は史上2クラブとなるリーグ連覇を成し遂げたのである。

 上記のように所属クラブ素晴らしい活躍を見せながらも、アンダー含め日本代表とは長らく縁はなかった。2007年にようやく北京五輪メンバーに選ばれ予選突破に貢献するも、怪のため本戦に出場できずむことに。しかしサンフレッチェ広島の連覇への貢献を認められ、2013年東アジアカップメンバーに選出。韓国戦で得意のロングパスを披露して1点目をアシストexit2014年ブラジルW杯メンバーにも選ばれ、ついに本戦への切符を掴む。
 本番直前のザンビア戦では後半ロスタイムに交代出場、フィールドに入った9秒後に決勝点をアシストするexitという神業を見せ、本戦での活躍を期待されるも、結局はコロンビア戦1試合の出場に留まった。

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