実休光忠(刀剣乱舞)単語


ニコニコ動画で実休光忠(刀剣乱舞)の動画を見に行く
ジッキュウミツタダ
3.1千文字の記事
  • 2
  • 0pt
掲示板へ

「多分、は亡霊なんだ」

実休光忠(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲームスマホアプリゲーム刀剣乱舞』に登場するキャラクター刀剣男士)である。

イラスト 未都也 / CV子安武人

種:太刀
:長
レアリティ:4

備前長船派事実上の祖といわれている刀工忠の作。
名は、元である三好実休が由来。本能寺の変織田信長が最期に振るい、十八ヶ所の切込みができたとも伝わる。どうやら秘密趣味があるらしい。
公式Twitterの紹介exit

概要


2023年6月20日(火)~7月18日(火)12:59開催、「連隊戦~辺の」にて実装
イベントでは夜光10万、20万、30万の報酬として最大3口入手可

刀剣男士としての姿は、長船派忠に共通するい礼いつつ、ネクタイベストを着ていなかったり所々アレンジが見られる。青年の体格のわりには紫色の瞳はやや幼げな顔つきの。肩に付くほどのからへと変色しており、顔から腕にかけて見える炎を意したような?火傷のような?刻印は痛々しくも彼の辿った歴史を感じさせる。両にはピアスガッツリ付け、右耳は軟骨含め3つ、左耳には1つあるとの担当絵師の言exitがある。
まるでヴィジュアル系かホストのような厳つい身なりに加えて、逆光を帯びて両手を広げたすしざんまいラスボスと見紛う立ち絵のために迫力がある。

人物像は素直で穏やかな物で人当たりも良いが、どこか寂寥感を抱えた気な青年一人称は「」。
忠の中でも名の知れた名であるが、二度焼けて再もされなかった来歴から記憶があやふやであり、自身に欠落を感じている。負傷時の本丸では「傷だらけのを…綺麗だと言ってくれた人がいた…。誰だったかなあ…?」大切なものを喪失した哀しみを垣間見せる。
時代の損傷が身体へ反映があったり燃えたことにより記憶喪失となる刀剣男士過去にも例があったが、精神と身体の両方の損傷が立つ状態で顕現した刀剣男士しい。
戦闘においても時の穏やさを持ったままだが、真剣必殺では迫真の表情を見せる。これまた逆光を帯びてに迫力がある。

審神者への対応は柔和で謙虚だが、時折やけに距離が近い。実休から何か香ると審神者が気にすると、なんと逆に嗅いできて審神者のほうが甘い匂いがすると囁いてくる。審神者の呼び方は「」「君」。

担当声優子安氏は「実休くん凄く素敵な奴なので優しく寄り添ってくださいね」exit審神者達の護欲が刺されるコメントをしている。守護らねば……
また、「(子安氏の演技の色気がすごくてけしから刀という流れから)けしからんかはわからないが、何回か焼けて焼失しているため記憶があやふやという設定で、思い出せなくて、不安定な要素があり、そこが彼のほわほわしたところ儚げというか、そういうミステリアスなところを生んでいる僕のおすすめ馬当番のところ馬相手のときだけは乙女ゲームでとディレクションされた。他人に対しては距離感が若干そんなに近くないところにいるが馬にだけは本当に心を許して馬は口説くっていう収録をした馬にはとにかく囁いて落としてくださいと言われた」と武人・光樹のKOYASU RADIO第38回exitにて語っていた。

福島忠から「秘密園を作りたがっているがいる」といずれかの忠の実装を匂わされていたが、実休忠のプロフィールと合致したため彼の趣味および園とは何なのか推測が飛び交った。秘密趣味は明言せず、聞いてもせられるものの、採集作りなどに精を出す姿が散見され、審神者刀剣男士にも振舞ってくれる。
については、織田信長園や甲賀の三雲薬研藤四郎からは推察される。刀剣男士は手入れで治る身体なのに必要なのかと自問しつつ、心を落ち着けるために好んでやっているという。
織田信長ポルトガルの宣教師の要望に応じて伊吹山に約50町歩(東京ドーム約11個分)の園を開かせたという説が伝わっており、甲賀の製業発達の理由にもなった。実休が自分にとって趣味は重要だと語るのは、記憶から失われた元のよすがを辿ることで自分を見失わない意図もあるのかもしれない。

来歴

鎌倉時代中期の備前刀工忠による作の

元々は後の甲賀流忍術の中心となった近江甲賀三雲三雲定持が所持していたが、のちに三好実休が入手し、同では「三雲忠」とも呼ばれていた。

3年(1560)3月5日和泉八木久米田寺において三好実休は敵の流れ矢に当たりしたため、敵将の畠山高政がこの戦利品として分捕った。高政はこの後に織田信長に属し、詳細は不明ながら信長に献上したと思われ、信長の所持となる。たいへんな大業物という評判の太刀を手に入れられたことに信長は大いに喜び、岐阜のきりの馬場で自らその切れ味を試したという。その後は「実休忠」と呼ばれ、信長は差料として常に用していたという。

信長忠のを好んで集し、特に実休忠を寵愛していた逸話が残っている。正8年(1580)2月22日信長商らを安土城に呼び寄せ、自慢の忠のを二十五振り披露した。利きと評判が高い木屋に「実休忠はこの二十五のうちのどれか当ててみよ」とムチャぶりをする。
しかし木屋はなんと一発正解。その理由を尋ねたところ、木屋は「実休が最期のとき、根来法師の往来左の脛当てをその太刀で払ったため、切先のが少しこぼれた、と聞いておりました。話の通りにこの太刀にも切先にこぼれがあります故」と答えたという。

正10年(1582)本能寺の変にて信長は自らこの太刀をもって奮戦したとわれ、身には18ヶ所もの切り込み傷を負った。信長自害する直前まで使用され、共に炎に包まれて焼け身となる。

のちに豊臣秀吉により回収され、信長の形見として刀鍛冶に修復させた自らのに佩用した説もある。
しかし、大坂城では「七之 下之御太刀」と豊物帳の最後に記載され、秀吉が佩用した説は疑わしい。大坂城が落ちたのちは、焼け身となり徳川家康に献上される。

「享保名物帳」には焼失として記録されている。

関連動画

関連項目

【スポンサーリンク】

  • 2
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

実休光忠(刀剣乱舞)

1 ななしのよっしん
2023/07/05(水) 22:04:11 ID: fOTFSeGbu7
刀剣乱舞ONLINEの山姥切長義というキャラクターの設定はありません。
どうか関連項目デマを挟むような真似はやめてください。
👍
高評価
1
👎
低評価
4