Duran Duran(デュラン・デュラン)とは、1978年イギリス・イングランドのバーミンガムで結成されたアイドルロック・バンドである。
概要
1980年代前半にイギリスで起きた「ニューロマンティックブーム」を代表するバンド。アイドル的ルックスとヒラヒラした衣装、派手なメイクなど個性的なファッションを武器に世界中で人気を博した。
彼等以外に成功したバンドとして、Culture Club、Spandau Ballet、Simple Minds、The Human League、Thompson Twins、Depeche Modeなどが挙げられる。
1981年アメリカで開局した24時間音楽専門チャンネル「MTV」でのプロモーションも手伝い、1980年代前半のアメリカで「第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン」と呼ばれる一大ムーブメントを巻き起こした。その中心にいたのが彼等Duran Duranである。
デビュー40周年を超え、これまでの全世界でのレコード・セールスはゆうに1億枚を超える。
メンバー
1962年6月8日バーミンガム生まれ。バンドの実質的リーダー兼名付け親。バンド名は1968年公開の映画「Barbarella」に登場する悪役キャラ「Dr. Durand Durand」にちなんで付けた。
いち早くミュージックビデオの可能性を認識し、MTVが登場するよりも前から(マイケル・ジャクソンがミュージックビデオを進化させたショート・フィルムを作るよりも前に)、多くの努力と予算をミュージックビデオに注ぎ、派手なメイクに両性的衣装をまとい、ヴィジュアル面を全面に押し出してバンドを大きく売り出した。
プロデューサーの顔も持ち、1983年にKajagoogoo(カジャグーグー)のデビューシングル
「Too Shy(君はTOO SHY)」のプロデュースを担当した。
1960年6月20日バーミンガム郊外の町ソリフル生まれ。メンバー1のイケメンで女性からの人気は常に高かった。結成当初はギター担当だったが、アメリカのファンクバンド、Chicに感化されてベースに転向した。(後にChicのメンバーと共に仕事をする事になる)
商業的成功の反面、1990年代前半には酒と女とドラッグに溺れ、「Sex, Drug and Rock 'n' Roll」を地で行く生活を送っていた。
- ロジャー・テイラー(Roger Taylor、本名:Roger Andrew Taylor/Drums)
1960年4月26日バーミンガム生まれ。Queenのドラマーと同姓同名だが血縁関係はなく、まったくの赤の他人である。同じTaylor姓のジョン、アンディとも同様である。
少年時代の夢はイングランド・プレミアリーグのサッカークラブで、地元バーミンガムをホームタウンとするクラブ、アストン・ヴィラのゴールキーパーになる事。
Duran Duranのドラマーとして成功を収めるが、それに対するプレッシャーやレコーディングとツアーの繰り返しの毎日から音楽活動に嫌気が差し、1985年遂に脱退。それから2001年の再集結まで音楽から足を洗い、農夫として田舎に引っ込んでいた。
1958年10月27日ハーフォードシャー州ブッシー生まれ。Duran Duranの歌詞は難解で意味不明な事で知られているが、だいたいこいつのせい。
スティーブン・ダフィ、アンディ・ヴィケット、ジェフ・トーマスに続く4代目ヴォーカリストで、デビュー当初から不動。ただしメンバーにはオーディションで選ばれた。
デビュー以来1枚のソロアルバムも発表することなく、まさにバンドの顔でありフロントマンである。(人気はジョン、ニックの次らしいが)
エルトン・ジョンが同じ小学校の大先輩。舞台経験が豊富で、テレビのCMに出演したり、ミュージカルに出演した経験を持つ。
旧メンバー
1961年2月16日イングランド北東部タインマス生まれ。The Power Stationで憧れのロバート・パーマーと仕事をした事がきっかけでハードロック思考が強くなり、案の定、音楽の方向性の不一致を理由に2回も脱退。The Power Stationやソロ、ロバート・パーマー、ロッド・スチュワートのアルバムなどで彼の本気のギターを聴く事ができる。
なんと現在30年ぶり3枚目のソロアルバムを制作中だとか。
1960年5月30日バーミンガム郊外の町アラムロック生まれ。ニック、ジョンと共に創設メンバーだが、わずか半年で脱退。その後Duran Duranとは別に単独でソロデビューを果たす。
- アンディ・ヴィケット(Andy Wickett/Vocal)
- ジェフ・トーマス(Jeff Thomas/Vocal)
- アラン・カーティス(Alan Curtis/Guitar)
- ウォーレン・ククルロ(Warren Cuccurullo、本名:Warren Bruce Cuccurullo/Guitar)
1956年12月8日アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン生まれ。1986年から2001年まで在籍。1970年代にフランク・ザッパと最初に仕事をこなしたミュージシャン。また、1980年代にはMissing Personsの創設メンバーとなった。1986年にセッション・ミュージシャンとしてDuran Duranに参加、1989年に正式メンバーとして迎えられ、以後約15年近く在籍し低迷期に差し掛かったDuran Duranの屋台骨を支えた。
1964年5月3日アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。1989年から1991年まで在籍。1980年代半ばからセッション・ミュージシャンとして活動、シンディ・ローパーを皮切りに、スパンダー・バレエ、B-52's、ソウル・アサイラムなど数多のアクトを務めた。1989年にDuran Duranのツアーメンバーに選ばれ、そのまま正式メンバーに。しかし他のメンバーからのイギリスへの引っ越し要請を拒否した事から関係が悪化、ニューヨークへ帰省したまま戻らず、1991年Duran Duranを解雇。その後は1992年からデヴィッド・ボウイのツアーメンバーを長らく務めた。
経歴
1978年、ニック・ローズ、ジョン・テイラー、サイモン・コリー、スティーヴン・ダフィの4人によって結成。すぐにコリーとダフィが脱退。アンディ・ヴィケット加入、続いてロジャー・テイラー加入。1979年、ヴィケット脱退。
1980年、ベーシスト探しが難航し、ジョンがベースへ転向。ジェフ・トーマスとアラン・カーティスが加入するがすぐに脱退。アンディ・テイラー加入。しかしヴォーカリスト探しが難航した為、バンドはオーディションを開催。サイモン・ル・ボンが合格した。激しいメンバーチェンジの末、ようやくメンバーが固定。レコード会社は激しい争奪戦の末、EMIレコードと契約した。
1981年2月、結成から3年の歳月を経て、シングル「Planet Earth」でデビュー。
6月、1stアルバム『Duran Duran』リリース。
シングル「Girls On Film(グラビアの美少女)」のミュージックビデオの監督に斬新なビデオ制作に定評のあるゴドレイ&クレームを起用。
1982年4月、ミュージックビデオ撮影を、スリランカにて行なう。
5月、シングル「Hungry Like THe Wolf」及び2ndアルバム『Rio』リリース。
1983年3月、米ビルボード・チャートで「Hungry Like THe Wolf」が最高位3位を記録。
1983年3月、シングル「Is There Something I Should Know?」リリース。
2ndアルバム『Rio』が、米ビルボード・アルバムチャートで最高位6位を記録。
11月、3rdアルバム『Seven And The Ragged Tiger』リリース。
1984年、シングル「The Reflex」が全米(2週連続)・全英シングルチャートで初の第1位を獲得した。この曲はアルバムトラックと異なり、ナイル・ロジャース(Chic)のプロデュースでリミックスされた曲である。
続く「The Wild Boys」は全米(4週連続)・全英シングルチャート共に第2位に終わった。(ちなみにこの時の全米シングルチャート第1位はマドンナの「Like A Virgin」。そして両曲ともナイル・ロジャースがプロデュース。)この曲は後にクロアチアの格闘家、ミルコ・クロコップが入場曲として使用した事でご存じの方も多いと思われる。
初のライブ・アルバム『Arena』リリース。。
ボブ・ゲルドフ(The Boomtown Rats)とミッジ・ユーロ(Ultravox)の要請を受けて、エチオピア救済スペシャルプロジェクトBand Aidに全員参加。「Do They Know It's Christmas?」をレコーディング。クレジットにはギターをアンディが、ベースをジョンが担当したとなっているが、ジョンはベースを弾かなかったとする説もある。
1985年、バンド活動を休止しサイドプロジェクト始動。ジョンとアンディはドラマーにトニー・トンプソン(Chic)、ボーカルにロバート・パーマーを迎えThe Power Stationを結成。プロデューサーにバーナード・エドワーズ(Chic)を迎えアルバム『The Power Station』をリリース、アメリカでヒットした。当初レコーディングだけで終了する予定のプロジェクトだったが、予想を上回る反響の為に全米ツアーが企画された。しかしロバート・パーマーがソロアルバムの制作を優先させる為にツアー参加を固辞。代役に元Silverheadのマイケル・デ・バレスを起用しツアーを決行。このツアー中にレコーディングされたのがアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「コマンドー」のエンディングテーマ「We Fight For Love」(後に「Someday, Somehow, Someone's Gotta Pay」に改題)である。
一方、サイモン、ニック、ロジャーはArcadia(アルカディアじゃないよ、アーケイディアだよ)を結成。アルバム『So Red The Rose(情熱の赤い薔薇)』にはスティング(ポリス)やデヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド)、アンディ・マッケイ(ロキシー・ミュージック)、ハービー・ハンコック、グレース・ジョーンズなど、さらに日本から土屋昌巳(一風堂)が参加し日本でも話題を呼んだ。
同年7月13日に行われたアフリカ救済チャリティコンサート「Live Aid」に参加(参加会場は米フィラデルフィアのJFKスタジアム)。「A View To A Kill」、「Union Of The Snake」、「Save A Prayer」、「The Reflex」を披露。なおThe Power Stationも参加。
同年公開の映画で007・ジェームズ・ボンドシリーズの第14作「007/美しき獲物たち」の主題歌シングル「A View To A Kill(007/美しき獲物たち)」が米ビルボード・シングルチャートで2週連続第1位を獲得(全英第2位)。この曲はナイル・ロジャースがプロデュース予定だったが実現せず、バーナード・エドワーズがプロデューサーを務めた。なのでサウンドがThe Power Station寄りである。
一見順風満帆に見えたバンドに激震が走った…なんとロジャーとアンディがバンドから脱退。
すわ、解散の危機!?(1度目)
1986年、…そして3人が残った(これ、ジェネシスの9thアルバムの邦題)。ニック、ジョン、サイモンは3人でバンド活動を続行。アルバムのセッションにはウォーレン・ククルロ(後の正式メンバー)、及び
スティーヴ・フェローン(ex.Average White Band)が臨時参加。4thアルバム『Notorious』リリース。
1987年、シングル「Notorious」が全米2位・全英7位を記録。
1988年、10月に5thアルバム『The Big Thing』リリース。シングル「I Don't Want Your Love」が全米4位・全英14位を記録。この曲を最後にしばらくバンドはヒットから遠ざかり、低迷期に突入。
1989年、6thアルバム『Liberty』リリース。ウォーレン・ククルロとスターリング・キャンベルが正式メンバーに。しかしセールスは低迷。
1991年、キャンベル解雇。4人体制に。すわ、解散の危機!?(2度目)
1993年発表の7thアルバム『Duran Duran』からのシングル「Ordinary World」の予想外(!?)の大ヒットで彼等は音楽シーンに帰ってきた。
1995年、初のカバーアルバム『Thank You』を発表。
1997年、ジョン脱退。再びバンドは低迷期に突入。8thアルバム『Medazzaland』リリース。
2000年、9thアルバム『Pop Trash』リリース。しかしセールスはまたしても低迷。
すわ、解散の危機!?(3度目)
2001年、オリジナルメンバー5人が再集結。その煽りを受けてククルロが円満脱退。
2003年、日本を皮切りにアメリカ、オーストラリアなどでツアーを展開、成功を収め、解散の危機を乗り越える。
2004年、オリジナル5人の復活作10thアルバム『Astronaut』リリース。
2006年、アンディが再度バンドを脱退。引退したかに思われたが…
2007年7月1日、「コンサート・フォー・ダイアナ」参加。7月7日、「Live Earth」コンサート参加。
11月、11thアルバム『Red Carpet Massacre』リリース。
2010年12月21日、12thアルバム『Aii You Need Is Now』をiTunes Store先行で発表。2011年2月にCDリリース。
2015年9月11日、29年ぶりにナイル・ロジャースをプロデューサーに迎えた13thアルバム『Paper Gods』リリース。
2021年2月、デビュー40周年を迎える。おそらく誰も、彼等が40年以上も活動すると予想した人はいないはず…。
2021年10月22日、14thアルバム『Future Past』リリース。彼等の旅は、まだ終わらない…。
関連動画
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関連リンク
- Duran Duran Official Website 公式サイト(英語)
- 公式サイト(日本語)
- Duran Duran 公式Twitter
- Duran Duran 公式Facebook
- Duran Duran 公式YouTubeチャンネル
- Duran Duran - Wikipedia
関連項目
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